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「頭使わないと練習は普通に嘘つくよ」という言と、人が努力・苦労・練習と呼ぶものについての考察:努力の変換レート

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報われる努力、報われない努力が確実にある。苦労も練習もまた然り。
ただ、その「努力・苦労・練習」と呼ぶ内訳は、人に依って違う気がする。
それがそのまま、報われるか、報われないかになっているかのような。

自分の考えのまとめ。普通は努力・苦労・練習に対してフローだのストックだのは言わない。もうただの思考実験みたいな何か。

経済学のストックとフロー

ストックは個人単位の話なら蓄え。財産。資産あたりを指す。貯まるもの。

フローは個人単位でなら収入や支出、支払いなど。流動的な動きとその量。国ではGDPとか。

ストック型努力

経済学同様に「積み重ねる努力」をここでは仮にストック型努力と呼ぶ。

多くの人が言う努力がこれを指しているように見える。一般にも、
「努力を積み重ねる」
「ひたすら努力する」
などと言われる。
人は努力を何か質量的な、「貯金」のようなイメージが有り、それが目標額まで貯まる=目標達成、みたいなイメージを持っているように思える。別にこれ自体は間違っていない。

これらは主に「量」を見ている。時には「量」しか見ていない。これは対象次第では必ず行き詰まる。

フロー型努力

ストック型努力は別に間違っちゃいない。目標額まで貯まる=目標達成というイメージ自体は恐らく正しいだろう。

これが無駄な努力・報われない努力となり得るのは、量しか問わないなら、「努力の中身」で失敗するからだ。

500円玉を入れていっぱいにすれば100万貯まる貯金箱があったとしよう。あれに1円玉とか砂とか入れて、「一杯になったのに100万溜まってない」とか言ってる奴いたら頭おかしいだろう。叶うわけがないな。

流石にこれはないが、こと「努力」みたいな不可視なものに対しては、人はこれをやりかねなくなる。見えないものに対しては信仰、信念、つまりは思い込みが投影されやすい。
そして公正世界信念を始めとした、貯金箱に砂詰めながら「頑張ってるのだから報われるはずだ」と思わせる心理的要素も多い。


フローは経済学では流動的な金の動きを指すが、ここでは「何を努力として積み重ねたか」として扱う。つまり「質」。ストック型努力が間違いではないとしたのは、「質と量」が揃って初めて叶うからだ。

金に例えれば一見「何を買うか」に思えるが、努力という観点で見れば「投資」の方が近いか。売買のような「取引」ではない、投資先を誤ればまるっきり損をすることも有る行為。

フロー型努力によって支払われる労力は、ほぼ「掛け金」や株や為替で言う「種銭」のようなものだ。カジノで言うチップ。それを元手に利益=結果・効果が得られないなら「失敗・敗北」がある。

ストック型努力だけだと行動自体に失敗はない。あるいは失敗が認識されない。結果が出るのは未来だから、フィードバックとしての失敗がない。長い時間が経ってから「結果が出ていない」ことに気づいて手遅れ、という怖さがある。

ここが何より危険で、結果が出てるかどうかしか気にしないというのは「進んでるかどうかを気にしてない」ということだ。わかりゃ誰だって今までの努力や練習を疑い、改めるだろう。だが気にしないならわからない。


フロー型の努力では短期間の視点となる。常に結果が出ているか成果が出ているか気にすることになる。「信仰・信念によるただひたすらやるだけの努力」から脱却できる。

フロー型の努力(質的に正解な努力)をして、その成果をストックするというのが、実際の努力の構図だろう。

当然、質が高ければ必要量は下がる。前述の貯金箱の例でも、一万円札を折りたたんでぶっこめば100枚で足りるわけで。貯金箱はスカスカなまま、100万円が貯まることになる。つまりは「量を満たす」という目標は、入れるものの質が高ければ達成する必要が元から全くない。

限界的練習のページに載せたが、上達する人はミスを徹底して潰す(労力の賭け先が絞られている)。上達がイマイチな人はただひたすらやる(賭け先が拡散している)。
ギャンブルと違って八百長もディーラーの手腕も関係なく、それと比べれば「勝てる勝負」なのだから、チップの掛け先はちゃんと考えたほうがいいだろう。


亜種としていわゆる「血のにじむような努力」みたいなのが好きなのもいるが、下手すりゃ「質」についての迷子でただの苦行マニアになりかねない。これもどちらかと言えば「量」メインの考えと言える。

後どうやって血をにじませるのかっつったら、やっぱりただの考えなしの反復であることが多いしな。ハッキリ言うがその方が「早く血がにじんでくるから」、そういったメチャクチャなことをやりたがるのはいる。

これを正当化するなら「正しい努力」で「血をにじませる」と言う他ないだろうが、それならやはりフロー+ストックとなる。

愚公山を移す

量だけでも「いつかは」叶うかもしれない。ただそれは概算時点で寿命が足りない状態かもしれない。

「愚公山を移す」という言葉がある。

どんなに困難なことでも努力を続ければ、やがては成就するというたとえ。
[補説]愚公という老人が、交通の便をよくするために一族で自宅の前にある山を崩しはじめた。これを見た人が、その愚かさを笑ったのに対し、愚公は、子々孫々続ければいつかは成功すると答えた。その志に感じた天帝が一夜で山を移させたという。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/愚公山を移す/#jn-60934

この話自体に文句はないが、一説によれば愚公の齢は90で、削った土砂を捨てるためにそれを担いで海に行って帰ってくるだけで丸一日かかってる。

今生で報われたいのなら、見習うべきではないだろう。着手に於いてに限れば、もっと詳しい話を読めばあの姿勢はとても結構だが。
効率で考えれば、頭使って猫車でも発明したら、少しは上がっただろうにな。

後見りゃ分かるが、愚公は別に達成してない。努力を叶えたわけじゃない。こういった「正直者(あるいは愚直な者)を見た偉い人・スゴい人が感動してなんとかしてくれました」みたいなオチは愚民化政策のような洗脳じみた臭さがあり、現実に当てはめるべきじゃない。

もう一度言うが、取り組む姿勢としては盗めるものも有るだろう。ただ、「個人」が「達成する」という観点で見ればグダグダで終わってる。

「練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。」について。

野球選手のダルビッシュ有の言。普通にソースあった。

これは真となる。ストック型の努力だけでは最悪「頭を使わない練習」をひたすら、それこそ裏切られるまでその者にさせる。量しか見ず、量をこなせばいいと思っているから。

フロー型の努力として、「何を」、「どうやって」、目指すのか頭を使い、「成果がでているか」、「進捗があるか」、つまり「本当にこのまま進んで大丈夫か」を常に問う必要はあるだろう。

ちなみに自分が成長・進歩するのだから、それに合わせて練習内容もまた変わるべきであることが多い。これをやらないと意図せずコンフォートゾーン(居心地のいいぬるま湯状態)に肩まで浸かり、成果が出なくなる。

対象次第では、フロー型の努力の「勝ち分」しかストックできない。筋トレにしたって効率がいい方法と悪い方法がある。体力つけたいのか筋肉つけたいのかにも依る。中には体を痛めるようなやり方もある。これらが「同じ1回」だとしても、同価値なわけがないだろう。


何を掛けているのか。時間と労力(体力と気力)。ちなみに一日は1440分なので、15分は一日の約1%となる。何かを15分毎日続ければ1年の1%になる。結構大きい。

それだけの同じ時間を、同じ体力と気力を用いて努力・苦労・練習するなら、質にこだわったものが勝る。必然だろう。「時速」が違う。同じ時間だけ動くのなら、そりゃ結果は時速に等しい差が出る。

幸いにもフロー的な「掛け方」の割り出し方は、いくらかフレームワーク化されている。


ただ、道が整備されている分野と、そうではない分野が有る。
スポーツなんかは結構整備されている方だ。競争が激しい分野ほど道具や方法などの「道」自体は整備されている。
一方で不明瞭なことが多く、手探りであり、間違った知識や古い知識もあったりする玉石混交の分野も有る。

後者の場合、分かるまで待ってたらそれはそれで寿命が足りない。なので挑戦する、試す、観察する、研究する、実験する、記録する、考える、このような態度はやはり必要になる。


RPGで何故かたまにあるカジノ嫌い

ゲームで、特にRPGで何故かたまにカジノがあったりする。私あれ大嫌いなんだが。死んだ目をしてポーカーやブラックジャックするの辛い。いくら現実よりは勝てる倍率だと言っても、ミニゲーム作るのは結構だがもっとテンポ考えてどうぞ。

ともかく大抵そこでチップを買ってプレイするわけだ。この上でそこには微妙にレアな賞品がある。チップじゃなきゃ交換できず、通常の通貨では買えない。

賞品がほしい時プレイヤーは、

  1. カジノで勝ってチップを稼ぐ
  2. カジノめんどくさいので通貨を全部チップに変換する

のどちらかになる。あるいはこの2つのハイブリッド。ゲームに限ればむしろ2の方が非現実的だったりするが。私は基本スルー。

今回になぞらえれば賞品が「努力に依って達成したいもの」となる。この時点で「専用通貨」を稼ぐ必要がある。金と時間と人脈があっても、それを直接使用・消費することはできない。全ては専用通貨を稼ぐための投資か変換となる。
1がフロー型努力。
2がストック型努力。ただし現実には貨幣も時間も労力も「積み重ねた努力」にタダで変換してくれる交換所はない。

ストックを主軸に考えれば、自身のリソースを「積み重ねる努力」に変換することになる。今回挙げたストック型努力の問題は、結局の所「努力のストック」と「苦労のストック」を間違えたらアホなことになると言う話だ。苦労を貯めて叶うのはなんだろうな。過労死とかしか思いつかないが。

ただしこちらの観点でも、頭使わなければクソレートになる。逆に頭を使って高いレートで変換できれば(=質の高い努力による成果)、十分に間に合う。

つまりはどの道、頭を使って「成果を稼ぐ」ことを積み重ねるしか無い。

あっれおっかしいなストック型努力の話だけで良かったんじゃないかこのページ。

努力の変換レート

試してみるか。
努力のためのリソースは、時間、体力、気力、金もそうかな。

これらを「目標」という賞品と交換できる「専用通貨」に「変換」する必要がある。

変換レートは様々な要素で上下する。


変換レートに関わる要素は、まずは知識だろうか。正しい努力の方法を見出すための。あるいは努力そのものに対しての知識(例えばコンフォートゾーンでの努力は成果が期待できないなど)。

あとは今から取り組むような「小さな目標」がどれだけ具体的かで真っ直ぐ進むか横道にそれるか決まるから、これも変換レートに関わるか。

「気づく能力」、適切な加減のフィードバック能力が有れば、変換レートは学習により上がっていく。
フィードバック能力が足りなければ学ばずひたすら繰り返す道に堕ちる。過剰ならば過学習(ここに当てはめれば苦手意識や思い込みなど)となる。

あとストレッチゾーンで変換レートにプラス補正。コンフォートゾーンとパニックゾーンはマイナス補正


まとまってしまったな。書いてる間に余計なこと閃くと困る。気づかぬまま書き上げてさっさと終わりたかった。


まぁ結局は、必要分は頭使ったほうが得だということで。仮に頭が足りなくても、それはそれで課題発見であり(フロー努力の対象)、その克服は元の目標のための一歩となり(ストック努力となる)、すなわち正当な努力だろう。変換レートを上げる能力の訓練と思えばわかりやすいか。

あとよく勘違いされるが、頭使うのと「考える」のと違うからな。ちゃんと立ち止まって確認して調べてとかそういう「丁寧さ」みたいなのを含む。逆を言えば誤信念による狂信的努力は「雑」だ。止まらんし。

厳密に言えば、知力じゃなくて認知能力に近い。違和感のような直感を拾い、言語的なレベルに変換して、吟味、精査など。
計画にしても、認知バイアスかかる余地がかなりあり、かかった状態で頭使っても意味はない。この点でもやはり認知能力のほうが重要かもしれない。


もう努力の変換レートってことでいいな。使いまわししやすいし。
要領のいい人は努力の変換レート高い。
要領が悪い人は努力の変換レート低い。
同じだけの時間を、(表面上)同じことやっても、現実に違いが出るのは、これで説明がつく。成長に限った話だが。

みたいな。

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