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完璧主義と不安感

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不安だから完璧にしておく

・完璧主義の原因の一つに、結果論で褒められてきたからってのは話としてはある。自主的な努力や工夫は認められず言われたとおりにできたかどうかの結果が全て。だから「言われたとおりにやって言われた結果を出す」という世界観が育った結果。これ指示が馬鹿だった場合詰むんだが。

これは相対的に、自主的な行動がかなり弱化され、指示がないと不安、何かやってないと不安などになることもある。

一方で完璧主義が高い理想になる理由に「どこまでやれば安心できるかわからないから」というのはあるだろう。だから一つの間違いもないように念のため(予防的態度)として高目標設定を行い、その達成を目指す。

 

完璧を目指す負の動機

・論理療法のアルバート・エリスの提唱した不合理信念パターンの一つが「失敗して、承認を得られない場合、自分には価値がない」というものだ。

ここでも不安感は完璧を目指す動機として大きい。

 

・「やる気」について考えてた時に色々見た結果思いついたことの一つが、動機には正と負があるのではないかというものだ。

完璧主義で言えば「やりたいから理想を叶えよう」というのは正の動機。まっすぐ向かってるからね。

反対に「怖いから理想を叶えよう」というのは負の動機。本質的な目的は罰や損失への恐怖などのネガティブなものへの対処であり、理想はそのための二次的なもの。

これがそのまま、能動的な完璧主義と消極的な完璧主義の動機として説明がつく気がする。動機の属性がやる気と不安感に分かれる。

 

負の動機の場合、不安感を抱えて自ら赴くというちょっと矛盾した状態になる。これはそのまま精神的負担になるだろう。

 

・ただ、人は社会的には負の動機で動くことのほうが多い。ペナルティで他者を律することでなんとかなってる部分は大きいからね。規則とか特に。

動物にしたって警戒心は強い。そういった者だけが生き残ったと考えるのが自然だろう。つまり、負の動機で動くこと自体は別に問題ないと思われる。むしろ自然体じゃなかろうかと思う。

同時に不安が動機の完璧主義の場合は、その不安感が大きすぎるのではないかと疑いを持っている。

 

全般性不安障害

・ところで、これを見てもらいたい。

  • 教師である厳しい両親に育てられた
  • 結果が全てという教育だった
  • 成績が悪いと手を上げる親だった
  • 裸足で家から逃げたこともある
  • 一人暮らしを始めたが、努力目標が親の評価を得ることから他人の評価に変わっただけだった
  • 当人が言うには一人暮らしを始めた時から「全てにおいて完璧で、いつも人から評価される人間でなければならない。」と己を縛るようになった
  • 理想の高さとそうではない現実との間で苦しんだ

まぁ、子供の時からそうなってたと個人的な感想としては思うのだけど。それに気づける余裕もなかったんじゃなかろうかと。

さて、これだけだと完璧主義に見えるわけだが、以上は全般性不安障害の人の話だ。

参照:https://www.mental-health.org/taiken1_d2.html

 

 

不安の原因と目前のタスクとの混同

・要するに、完璧を目指す負の動機足り得る不安感ってのは愛着(アタッチメント)の問題でも起こり得る。この場合、当人が対面している問題とは別の部分から湧いている不安感である可能性も上がってくる。

でも完璧にしようとするのは対面している問題なわけで、擬似的な解消として一時的に気分がマシにはなるかもしれないが、根本的な不安感の消化には届かないだろう。

 

これは愛着の問題に限らず言えるのではないか。つまり不安感と目の前の問題との混同。というか、投影。

 

・そもそもおかしいのが、どれだけ警戒心を抱くか、どれだけ用心するかは大体の人はタスクの重要度や難易度に依るだろう。つまり自分の能力を基準として考える。一方で不安が原動力な場合はこの「どれだけか」を一切考えてないで全力投資しているように見える。

「何でも完璧に」となるのは、「完璧な自分」という一つの理想を叶える手段として目前のタスクを見ているからではないか。
その一つの根源の理想が負の動機で成り立っているから、連鎖的に全てのタスクが強迫性を持つのではないか。

そうだとすると、このタイプの完璧主義の原因は「自分は根本的に常に完璧じゃないけど表面的には常に完璧じゃないといけない」というアイデンティティを持っていることだ。

 

アドリブをしない 保険を打たない

・完璧主義の完璧が、綿密に計画を立て空白を塗りつぶすことでの「不完全」への対抗。そういった方略を取っているとすると、まぁ別にコレ自体は悪くないんじゃなかろうか。

問題の一つは、「計画通りじゃないと破綻する」という脆弱性だろう。つまり立て直しができないと思っている。というかその辺りを考えてないように見える。アドリブで乗り切ろうとも思わないし、ダメだったときの保険も打たない。

 

・アドリブをしない、保険を打たないのはそれをやること自体が「完璧ではないと認める」ことになるからだろう。こう言った不完全への恐怖感は、実際に恐れているのは恐らく不完全であることで周囲に失望されること/見放されることであり、「他人の目」を意識している。これだとプランBを用意していると知られた時点である意味終わる。

だが俯瞰的に見ればこれはトラブルが起きてもなんとかする気がない、用心深くもないということになる。

 

・陳腐すぎて言うの嫌なんだが、「転んだら死ぬ」と思ってる奴と、「転んだら起きればいい」と思ってるまたは「転んでも起きれる」と知っている奴とでは歩く速さも、歩幅も、心持ちも、全て変わってくる。

この上で「転んだことを考えていると知られたらお終い」なんて条件積んだらまぁそりゃきついわ。

言い方を変えれば柔軟性の無さ。というか「変更してはならない」というお役所仕事みたいな考え。

 

・アドリブ力を鍛えるとして、計画に執着することはむしろ邪魔になる。アドリブってそもそもが物事の流れを意識してそれに合わせるという要素が濃い。

物事に取り組んでいるときの頭の中を想像してみよう。計画を実行しようとプランを脳内で反芻している状態と、流れを読み取り合わせるつもりで外を観察している状態と。どちらが現実に「対応」できるのか。

 

・別に不確定要素を計画で打ち消すという方略は悪くはない。ただ、不安が強い完璧主義はそれしかやってはならないと自覚しているから、「できなかったらおしまい」になる。

アドリブって言葉が気に食わないなら「代替案を用意するつもりがない」と言っても良い。一部の人はこれに対して馬鹿げた信仰がある。信仰といっても当人の世界観だが。

即ち「代替案を用意するということは本来の計画に対して本気じゃない/油断してやり遂げられなくなる」というものだ。リソースが分散するという考えだ。実際仕事でプランBも用意していると言ったら「やる気がない」って言われた、なんて話もあるからな。

 

もう1つあって、失敗を意識するとそれを「呼び込む」という認知。それは魔術的であり、オカルトだ。酷いと保険に入ると事故に合う、防災グッズを買えば地震が来るとかまで行く。迷信深い者がよく言う「縁起が悪い」ってやつだ。

「備えること」が恐れているものを「呼び込む」っていう信仰は、今回の場合は「代替案を用意するとメインは失敗する」という迷信になる。

 

これらは割とポピュラーなクソ迷信であり、それは実際に計画の不備に備えることを邪魔する/批判する馬鹿がいるということでもある。割とこう、完璧主義を始めとした強迫観念は馬鹿のせいでできたトラウマのことも多いような気がする。

 

理由はわからんが自分のせい

・もっと根源的に、出来事と自分を安直に結びつける認知パターンを人は持っている。認知の歪みの「」。

パーソナライゼーション(personalization)。自分がコントロールできないような結果が起こった時、それを自分の個人的責任として帰属させることである[14]。これは称賛的なものもあれば、非難的なものも含む[14]。

「今日雨が降ったのは、私の責任だ」

https://ja.wikipedia.org/wiki/認知の歪み

この場合、なんでこうなったのかがわかってないのにとりあえず自分のせいにしていることになる。なんでこうなったかわからない(どこから注意したら良いかわからない)から常に自分を緊張状態にするためにエス(無意識)は漠然とした不安感をひねり出すだろう。

ただでさえグレーゾーン大嫌いで白黒ハッキリつけたがる傾向が強いわけで、何が原因かわからないというのを自分のせいだと決めつける傾向もまた強いだろう。







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