マインドフルネスとは
・「いまここ」に注意を向けること。意味合いを細かく言えば、自分の心の中で起きた出来事(思考や感情)に気づくことができるマインドフルネス(気づき)と、それらに囚われず振り回されずにいることができるデタッチメント(分離)の要素がある。
一般的には「禅や瞑想から宗教的要素を取り払ったもの」という意味で使われている。
・技法についてはジョン・カバット・ジン(禅やヨガも実践していた)が「マインドフルネスストレス低減法」として体系化した。彼はマインドフルネス関係の論文を書いている。
・カバット・ジンは、「判断することなく、今、この瞬間に注意を払うことを意味する」と説明している。
・熊野宏昭は以下のように説明している。
普段私達は未来や過去を気にして(反復思考)、現実を見ておらず、夢を見ている状態に近い(マインドレスな状態)。
この上で、それに気づいてもいない。これに対してマインドフルネスは「今、ここ」に対して充分に心が働いている状態を指す。
現実に対して注意や気付きと言った認知機能を充分に働かせながら、反復試行が抑えられている状態だ、と。
裏を返せば人は普段大体頭の中で何かしら考えており、目の前のことに注意を払っていない。
時にそれは重症であり、重要な物事に取り込んでいる最中に、無関係な考えに没頭する。
・まず反復思考などで、それに没頭してしまうことが問題としてある。これは脈絡なく発生し(侵入思考)、かつそれに没頭する時、人はそれを「再体験」している状態に近い(メンタルタイムトラベル)。
これは基本的に「脳が暇な時」に発生する。DMN(デフォルト・モード・ネットワーク)と呼ばれる、何もしていない時に活発になる脳の現象がある。アイデアなどもここから湧くため、これ自体は善でも悪でもない。
ともかく脳が暇じゃなければいい。そもそも何かやってる時に脳が暇だと判断したということは、それほどその作業に対して認知機能を使っていなかったということでもあるだろう。「楽な作業は退屈だ」というのはまさにそれだ。そして油断を誘う。
マインドフルネスはこれの改善の効果がある。すなわち選択的注意力を目的のものに向けて維持する=集中力の口上、病むような思考や感情に発生することや没頭することを防ぐ=精神環境の改善などは期待できる。
カバットジンによるマインドフルネスの定義
・精神状態としては、
「刻々と展開する体験に対し,意図して判断をせず,いまこの瞬間において注意を向けることで現れる気づき」
・心がけとしては、
「今ここでの経験に、評価や判断を加えることなく能動的な注意を向けること」
・即時的なリラクゼーションを目指すものではないとしている。
(即時的な気分の改善は強化子(要するにモチベとか)となりうると肯定的に見ている所もある。しかし気分の改善効果はないともあるともされ、研究によって一致していない。)
マインドフルネスの効果
・https://www.lifehacker.jp/2018/04/what-is-mindfulness-and-why-is-everyone-talking-about-it.htmlから。
- 記憶力と学業成績を向上させる
- 減量や健康的な食生活に役立つ
- 意思決定能力を高める
- ストレスを減らし、慢性的な健康問題の改善を助ける
- 免疫力を高め、脳に好ましい変化をもたらす
- 集中力や創造性の向上、不安やうつ病の軽減、人を思いやる心の向上
等が挙げられている。精神状態の改善や、脳の性能のアップ。
・減量は浮いているように見えるが、別方面で「テレビやスマホを見ながら食事してるだけで太りやすくなる」という話がある。
これはテレビやスマホを見ながら食事をすると(=他に注意が行っていると)「もう十分だ」と気づくのが遅れるため食べ過ぎる、という話。
また現代人に於いては、食事は娯楽の属性を持つ。食えりゃなんでも良いって人もいるが、できれば美味しいものを食べたいわけだ。
つまり「味わう」という体験の欲求であり、ながら作業じゃ当然それは満たされづらい。
マインドフルネスは「上の空」でいる時間を減らすため、この意味では効果はあるだろう。
このように日常的なこと一つとっても、気が散っている/複数のことを掛け持ちして何かに専念することが少ないことが普段は多い。
・Googleが社員にマインドフルネスをやらせた後の、社員の体感した効果としては以下。
自分の仕事に新しい意味や充足感を見つけた
自分のやっていることが、ずっとうまくできるようになった
自分のために質の高い時間を持つ重要性に気づき出勤日数を減らした結果、昇進した
相手の話を聴くのがずっとうまくなって、すぐにカッとしなくなった
あらゆる状況を前よりもうまく理解できるようになった
顧客の信用がずっと高まった
心の平穏と幸せがずっと深まった
結婚生活の質が上がった
自分の深い悲しみをポジティブな形で処理できた
前より優しくて理解のある目を通して自分と世界を眺めることができる などなど
仕事や生活のクオリティが上がった、とでも言えばいいか。
幸せとか言うと胡散臭くなるが、「ぼんやりした時間」が多く今日何をやったかよく思い出せないことが多いと充実感や幸福度は低いとする話がある。ある研究では人は、一日の自分の行動の内の47%をよく覚えていないという結果になっている。
マインドフルネスは意識を目の前に向けるため、この「ぼんやりした時間」を減らす。
怒りに対してのマインドフルネスの影響
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpsy/84/2/84_93/_article/-char/ja/ (論文)から。
一言で言えば、怒りっぽさはなくなる。
怒りやすさと反芻思考
・怒りは過剰であれば反社会的ともなり得る。人によっては一切怒ってはならないと自らを戒める。「怒れない人」もいる。他人を怒らせることによって「勝ち」とする者もいる。
研究方面としては、怒りは不要とはされていない。しかし怒りの頻度が多い、持続時間が長いことが、身体に対して有害になるとされる。
・怒りを頻繁に経験する場合、高血圧や心疾患の罹患率は高い。タイプAにも同じ傾向がある。
また、怒りが頻繁なほど認知症になりやすいとの説もある。逆に怒りっぽくなることが認知症の初期症状だともされる。
・怒りの原因としては、外的な刺激の他に、過去に怒りを感じた記憶やそれについての考えなどの内的な要素も多く存在するとされる。
・怒りや攻撃性を高める要素として反芻思考が挙げられている。反芻思考は怒りに限らず、抑うつや不安感の持続や増幅をする主な原因ともされる。
反芻の傾向が高いほど怒りが持続しやすく、怒りが持続しやすいほどに特性怒りが高い(怒りやすい)ことが確認されている。
怒りやすさの対策としてのマインドフルネス
・従来から認知行動療法の技法が怒りの制御として用いられてきたが、その内の一つとしてマインドフルネスが加わった形となる。
この場合のマインドフルネスの定義もカバットジンによる「今ここでの経験に、評価や判断を加えることなく能動的な注意を向けること」とされている。
この定義に従い、ネガティブな認知(今回では怒り)に直接介入するようなことはしない。つまり「怒りの記憶や感情をなんとかしようとはしない」。
ネガティブな認知を抑え込もうとせず、距離を置き、拘らないことを体得する形となる。
逆を言えばネガティブな認知に「飲み込まれる」ことが普段は割とあるということ。
・流れとしては、マインドフルネスやる→反芻思考が減る→怒りやすさが減る、という感じ。
「食べる瞑想」、要はレーズンを食うマインドフルネスをやった所、攻撃特性が高い者の怒りの表出が減少した。
(5分その瞑想をやったと書いてあるが、反復したか一度限りかは不明。後の文面では「ここでは5分だったが本来継続することが推奨されてうんたらかんたら」と続いているので、5分を一度きりやってこの効果だったと考えられる。)
・素の性格でのマインドフルネスっぽさを「マインドフルネス特性」と呼ぶ。これが高いほど怒りの傾向は低い。
・参照先の論文では、マインドフルネスによる反芻思考の減少=怒りの低減効果を調べている。(結局ここでは続けていたほうが効果があった)
これによるとマインドフルネスは、怒りの要素の内の「怒りの捉え直し」と「怒りの記憶」にだけ効果があった。この2つは思い出すことに属し、つまりは反芻思考であり、これらが減った=反芻思考が減ったと解釈される。
・一方で「報復したいという思い」と「怒りの原因理解」ではマインドフルネスの影響は見られなかったという。
この2つは怒りの「鎮静/終結」を目的としており、これ自体は反芻思考そのものではないから効果がなかったのでは、とされている。ただし反芻思考の原因ともなり得る(解決できない場合には反芻が始まる)。
加えて能動的に思い出す、頻繁に思い返す必要はないことからも「無意識的に何度も繰り返し思い出す」という反芻の定義には元から当てはまらないと。
だからまぁ、クレバーに復讐を実行できる心理状態はあり得るということになる。一部は「闘志を失いそうだから」という理由でマインドフルネスを避けるが、杞憂だろう。ティムフェリスがその理由でマインドフルネスを避けていたが、やってみたらそうでもなかったって話もある。
マインドフルネスのやり方
・マインドフルネスは意識を「今」に向けて、頭の中の記憶や予測、感情などには囚われていない状態を目指すことだ。
必ずしも座って目を閉じている必要もなく、歩きながら、話しながらなどでもできる。
何だったら「レーズンを食べる」という行為でもできる。
というかレーズンを食べることに対してのマインドフルネスは実在する。
食べることに行うマインドフルネス
・マインドフルネスストレス低減法(MBSR)で最初に行われるプログラム。
MBSRの最初に行われるプログラムである。
まず,一粒のレーズンを手のひらの上に置き,まるではじめてレーズンを見るかのような心持ちで,じっくりと意識を集中しながら眺める。
その後に,手にとって触れた感じを,とにかく,ただ,観察する。
さらに,においに注意を払う。
次に,口の中にレーズンを入れ,舌の上において,転がしながら舌触りを確かめる。
意識してゆっくりと噛み,味わい,少しずつ飲み込み,のどを通って,胃に落ちるまでの感覚にも意識を集中させる。
https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/16187/047003010005.pdf
座って行うマインドフルネス
・座って行う方法としてはこの当たりがベター。
1. 背筋を伸ばして座り、足を組んで、視線を下に向けます。
2. 自然に浮かんでくる思いと、人為的な考えとを区別します。
3. 繰り返し過去を思い出したり、未来への不安で気が散るようなら、それを最小限に抑えるために、こう考え直してみます。
「過去も未来も、現在の私の心の中の想像にすぎない」。
4. 瞑想中は、ちょうど船の「錨」のように、呼吸が集中をつなぎ止めてくれます。
5. 息を吐くたびにひとつ数を数え、21まで数えたらまた1に戻ります。
6. 思いが浮かんでくるのを無理に抑えようとせず、心を自然に任せます。
https://www.lifehacker.jp/2018/04/what-is-mindfulness-and-why-is-everyone-talking-about-it.html
・呼吸についてだが、「呼吸を数える」であって、意識的に呼吸するわけじゃない。あくまでも自然に呼吸している状態で、観察者として数えること。
「呼吸法」と称されるものも探せば出てくるが、論文に書かれているようなマインドフルネスでは呼吸の「観察」ばかりであり、呼吸をコントロールする記述は今の所見ていない。
21まで数えると書かれているが、10でリセットとしている所もある。7や8の所も。つまりこだわらなくていい部分だが、気分で変えるのはよろしくないだろう。
・3はどうしても気になるならであり、感知したら即座にこのように振る舞えという話ではない。
どうもこう、脳内ハックというか、「この時はこうする」という方向に偏りがちになりやすい。ラベリングとか特にそうだが。
・簡単に言えば「反応したら負け」。ちなみに負けたことに反応しても負け。反応してしまったら、それに気づいて「元の観察者の態度に戻る」ことが勝ち。
マインドフルネスの自動思考に対してのスタンスは、無視というか、スルーに近い(これも拒絶や否定とは違う)。
何か余計なことが心に湧いても「感知するが気にならない」というのが理想であることは忘れないほうがいい。気にする=囚われの状態。
「雑念の相手をしない訓練」と思っておいたほうがいいだろう。3は緊急用だ。
ラベリング
座って行うマインドフルネスは、大抵自分が呼吸する様を観察することになる。力まず、自然に呼吸し、空気が鼻を通って出入りする様や、腹が呼吸に合わせて膨らんだり凹んだりすることを観察する。
このような時に雑念が湧いたりして、気づいたら何か考え事に没頭していた、なんてことにもなる。このような時の対策として、ラベリングが在る。
単純に、雑念に「雑念」とラベルを貼る。それでおしまい、本来の観察に戻る。このような雑念の対象法として伝えられる場合と、息を吸うたびに「吸う」、吐くたびに「吐く」と、数息観に近い立ち位置として伝えられる事がある。後者は歩きながら足の運びと同時に右足、左足、と行うパターンもある。サティ瞑想法と同じ。
電車とか工場とかそうなんだが、指差し+声出し確認すると事故率が減るという話はある。ラベリングは声には出さないが、一つ一つ十分に認識するというのは悪くない。初めは意識を向けるために、ラベリングもいいだろう。
いくらかの注意点としては、
- 雑念(イメージ)を単語に置き換えて終わらせる。あまり細かい描写などはいらないし、そこにこだわらないこと。
- 先走らない。例えば息を吸う前に「吸う」とラベリングするなら、それはもう「意図」であり、マインドフルネス=「気づき」とは全く変わってしまう。必ず「現象の後追いでラベリング」の状態を維持すること。遅いくらいで良い。
- これは杖のようなもので、なくて済むならその方が良いともされる。ただ数息観(呼吸を数える)などずっと使い続けるタイプのものも在る。別に卒業を意識しなくても良いかもしれない。
マインドフルネスはドロップアウトが多い
・マインドフルネスは実は脱落者が多いと言われている。
例えば、この論文(https://mindfulness.jp.net/Journal/wp-content/uploads/2018/04/jjm22yanagisawa180403.pdf)では、マインドフルネスプログラム参加者の19%がドロップアウトした。彼/彼女たちは不安な気分の改善など、本人なりの「やる理由」はあったのにだ。
理由は生活と合わない、自分に向いていないなどが目立つが、「辞める理由」を正直に話す人間のほうが珍しいからな。本人が明確に本音を理解できるとも限らないし。
人間元からそんなもんで、ダイエットや禁酒禁煙の成功率も結構低い。自主的に習慣をつける、というのは外部からの強制力がない分自発的なモチベーション管理が求められるため、投げ出しやすい所はある。
何かを「やってる」気がしない
・まぁじっとしてるからね。呼吸とかも見てるだけだからね。そういうとこだぞ。
冗談抜きで、マインドフルネスのプログラムの内「座禅や瞑想を含むもの」のドロップアウト率が高いと報告している論文もある(http://pscenter.doshisha.ac.jp/journal/PDF/Vol3/p41-.pdf)。
・根本的に人は退屈を嫌う。とある研究で、何もない部屋で15分ほど過ごすという実験が行われた。この時、「使いたきゃ使っていい」として自分に電気ショックが流れる仕掛けも用意された。
被験者たちは事前にその電気ショックの威力を体験している。当人たちが「これを避けるためなら5ドル払うか?」との質問に「YES」と答えるほどの威力だった。
実験の結果、男性被験者18名中12人が自分に電気を流した。190回電気を流した奴がいたらしいが、除外されて数には入っていない。
この行動の理由として、「自発性を発揮できない、自分がコントロールしている感覚を持てない環境が苦痛だったから」という可能性が考えられている。
座るタイプのマインドフルネスもまた、じっとしていて、何もしないわけで。
マインドフルネスと称して頭の中で余計な努力をしまくるのがいるのも、このためだろう。
・幸いにも座らないマインドフルネスはある。食べながら、歩きながらなど。そちらのほうが向いているのかもしれない。
同様に、マインドフルネスをしていると寝てしまうとか、よだれがすごい出るとか、そういう話もあるんだが、そういう人も「行為に注意を向け続ける」タイプのマインドフルネスがいいかもな。
あるいは勉強をすることで「効果はある」と確信を持てたら、つまりマインドフルネスを「何もしていない」と思わなくなったら、続けられるかもしれないが。
コツがわからない
・「手応え」のようなものがわかりにくい所はあるかもしれない。
呼吸やレーズンなどの些細なこと=低刺激なものに意識して注意を向け続ける必要があるが、うまくできているのか分かりづらいという難点もある。
刺激が些細なものであるため,「意図的に注意を向ける」といった手掛かりを上手く見つける,掴むことができない人もいると考えられる
https://www.ted.com/talks/dan_ariely_how_to_change_your_behavior_for_the_better?language=ja#t-150713
上記論文では対策として、身体の状態に注意を向けてみることが述べられている。
ヨガなどの特定の無理のある姿勢なども、こういった注意を向ける対象として助けになっているとされている。
また、人間が習慣にしたいことを継続することには、フィードバックがあるかないかがかなり大きく影響する。なんの「手応え」もない状態で、それをひたすら続けろ、というのは辛いものがあるのだろう。
ただ、前述の通り選択的注意能力を鍛えるつもりでいれば、これはそれほど問題もないのではないのかと思う。決めた物事に注意を向け続けることができていること自体がある意味「成果」であるし。
マインドフルネスの種類
デタッチドマインドフルネス
自分の感情や思考に振り回されず、距離をおいて観察するマインドフルネス。Detachedは距離を置くとか分離とかの意味。
デタッチドマインドフルネスは自分の内的出来事に対して、客観的な観察に徹するようなイメージ。
具体的な内容はこちらが詳しい。
デタッチドマインドフルネスは、内的出来事(思ったこと、感じたこと)に対して以下のことを「しない」ことで成り立つ。
- 評価をしながら反応する
- 制御あるいは抑制を試みる
- 行動的に反応する
これらをせずに、ただ気づいている状態と定義される。
気づきをマインドフルネス、反応しない思考スタイルをデタッチメントと呼ぶ(Wells, 2009)。なので人によっては気づきではなく、「反応しないこと」を重視したほうが良いだろう。「わかっていたのにやってしまった」とか「自分を止められなかった」などは、気づいてはいた、とも言えるのだし。
MCT(メタ認知療法)では精神疾患を持続させる要因として、認知注意症候群(CAS)という思考スタイルを定義している。構成は、驚異モニタリング、反復的思考、役に立たない対処行動。
この内反復的思考(反芻思考)は、マインドフルネスでもdoing mode することモードという人間の普段の意識状態と内容がかぶる。
- 自動的に反応する
- 理想と現実を埋めようとする
- 考え続ける傾向がある
- 思い浮かんだことを現実と捉える可能性がある
「理想と現実を埋めようとする」というのは一見すれば宜しいが、これは「気に入らないものは排除する」「自分の思い通りにならないものは滅ぼそうとする」というのを含める。この上で思考を現実と捉え、自動的に反応し、それを考え続けるとしたら、人がやらかすキチガイ行動の「動機」となっている。
デタッチドマインドフルネスはこれらの対照概念とされている。これにより、よろしくない思考スタイルを変容させることができる。
デタッチドマインドフルネスに於いて目指すべきは以下の6つとされる。
- メタ的気付き:自らの思考に気づいている
- 認知的脱中心化:思考と事実とを区別できている
- 距離を置く注意の向け方と注意制御:一つの内的出来事に固着しない
- 弱い概念的処理:内的出来事に対して分析や評価といった言語的な処理を行わない
- 弱い目標志向的対処:脅威を取り除くための処理を行わない
- 変化した自己意識:思考から独立した自己意識を経験している
4は内省的な人間は特に気をつけたほうが良いだろう。
参照:『ディタッチト・マインドフルネスの心理的要素を測定する尺度の作成および信頼性・妥当性の検討』
第三世代の認知療法としてのマインドフルネス
[blogcard url=”https://embryo-nemo.com/479″]
・マインドフルネス認知療法(MBCT):うつ病再発防止プログラムとして開発された。
それ以外の効果も実証されたため、使用される範囲は広がっている。
・弁証法的行動療法(DBT):特に境界性パーソナリティ障害(ボーダーとも呼ばれる。自傷行動、自殺、薬物乱用リスクの高い)に特化したもの。
ここでのマインドフルネスは把握スキルと対処スキルに分かれる。
把握スキルは自分が特定の考えや認知に「囚われている」ことを把握し、そこから距離を取ること。
対処スキルは物事の断定をしないこと、集中することなどを学ぶ。
[blogcard url=”https://embryo-nemo.com/498/”]
・アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT):内面のコントロールをせず、「気づき」に専念させることにより、精神的柔軟性を向上させる。
マインドフルネスの要素
認知フュージョン
・マインドフルネスやるなら、「認知」を理解する必要はある。
人間が普段どれだけ認知に頼って現実を把握しているか知る必要があるしね。
そして認知が「現実とは違う現実」を人に見せることを知る必要があるしね。
今わざとらしい言い方したわけだが、こういった「~~しね」という文章が「死ね」に見えてしんどい、という人がそこそこいたりする。だもんで普段は私も避けてるのだが。
頭ではそのような意図ではないと理解はできる。だが気になってしょうがない。
これが、認知が解釈違いを起こし、そして「認知が見せた現実」に捕われている状態。
・マインドフルネスに於いて「反応しない」こと(受容)が求められるのはこのためだ。
認知自体は経験則や「構え(何かをするつもりの時の心理状態)」などに影響された予測・推測などのシステムで、直感的に頭に思い浮かぶ。それこそ見た瞬間に。こちらは割とどうしようもない。
ただ、その認知に執着しているのが「気になってしょうがない」という状態だ。
「認知と言う名の雲」の中に頭を突っ込んでる状態とする例えを見たことがあるが、それが一番伝わるだろう。そこから出ない限りは、見渡す限り「それ」しか見えない。
この状態を認知フュージョンと呼ぶ。定義としては、
思考内容が行動を制御するための他の有用な資源を抑えて支配的になる傾向として定義されている(Hayes et al., 2013)。
例えば,「自分は周囲の人から嫌われているに違いない」というネガティブな思考内容が現実のものとして混同されることによって,その思考内容を反証するような情報が実際にはあったとしても,不快な気分が生じるようになる。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsad/9/1/9_33/_pdf/-char/ja
「それしか見えない」「そうとしか思えない」という状態。反証情報(それを否定する情報)を認識できないのは重大な問題となる。その「認知」は強化されるからだ。
何ぞ偉そうな「執着を手放せ」みたいなのもこういうことについての話だ。
マインドフルネスにおいての認知についてある程度知らないと、「別に何も執着しとらんが?」で終わる。
実際には、結構な確率で、心はすでに自由ではないかもしれない。
例えばコンプレックスを抱えている人間の、周囲からの「そこまで気にすることなくない?」という声の伝わらなさだとかを思い浮かべてみるといい。
・避けるべきは認知フュージョンの状態であり、認知そのものじゃない。認知が機能しないならそれは認知症とかだ。
あと、「認知」は普通に間違える。これはスピード優先、精度はそこそこ、という脳の仕様だ。
認知自体は日常においては勝手に発生する。問題は、それの相手をしてしまうことだ。
一瞬嫌なことを思い出し、一瞬頭の中に注意が向くだけでも、今まで何やってたのか忘れるかもしれないし、車の運転中だったら普通に危ない。要するに「気を取られる」。
うつ状態だと集中力低下の症状があるし。
ちなみに上記論文には認知フュージョンの状態は、「メタ認知的プロセスに影響を及ぼし,思考内容への反応性を高める」と書かれている。
意識の2つのモード:doing mode(することモード)・being mode(あることモード):マインドフルネス
[blogcard url=”https://embryo-nemo.com/483/”]
・することモード:普段の意識状態だと思っていい。対象を「問題」とみなし、「何をするか」を考え、実行するモード。
素早く対応するために、「問題」を見つけるシステムも素早く機能する。これが勘違いや思い込みの原因にもなる。
これらは半自動的に行われる。解決脳。
・あることモード:「気づき」の状態。つまりマインドフルな状態。自分の行動に意識的に介入できる。自分をモニタリングしている、受容的な状態。
アクセプタンス(受容)とマインドフルネス
[blogcard url=”https://embryo-nemo.com/498/”]
・「受容」という概念について。
そもそものストレスが、不必要な分類や決めつけによるものであることもある。人は自然にこれらを行う。
人間の普段の状態が、
思考と「融合」している、
経験を評価する、
体験を回避する、
行動に理由を与える、
などを行っており、これのせいで時に気が散り、時に自分を見失い、時に自分に嘘を付き、そしてそれに気づかない。
結果として人によっては、世の中が「自分が思ったとおりにロクでもない」とかそんな感じになる。
そういうのをやめるには、という話。
マインドフルネスの効果の一部は、姿勢を正すだけで得られるかもしれない。
[blogcard url=”https://embryo-nemo.com/1295/”]
・脳の性能アップの類の「マインドフルネスの効果」は、姿勢を正すことによるメリットといくらか重複している。
ただ、効果量が同じではなかったり、メカニズムが違ったりする部分もある。
姿勢を正すことが大きく有利なのは即効性。
「いまここ」と「自分の大きさ」:マインドフルネス
[blogcard url=”https://embryo-nemo.com/487/”]
・何処に意識を向けるべきか、何が観察対象なのか。
充実感とマインドフルネス
[blogcard url=”https://embryo-nemo.com/519/”]
・ある実験によれば、人は一日の半分くらいは「自分が何をやったのかを覚えていない」という結果になった。単純に「ぼんやりしてた」から。
逆にこのぼんやりした時間を減らせば生活の質は向上するとされている。
マインドフルネスのデメリット
[blogcard url=”https://embryo-nemo.com/501/”]
・マインドフルネスはデメリット/リスクがあると言えばある。
「瞑想難民」なんて言葉があるくらいには迷子になったりはある。
大抵の場合は「間違ったこと」を「一生懸命やる」ことで発生する。マインドフルネスはむしろドロップアウト率の方が高いので、大抵はそこまでいかないだろうが。また、非暗示性(催眠のかかりやすさ)が上がる点は警戒する必要があるだろう。