嫌な考えが頭から離れない 侵入思考について

例えば、刃物を持った時に怪我をする、あるいは誰かを刺す。
車の運転中に人の群れに突っ込む。
今外出中だが、実は火を消し忘れていて、今現在家は燃えている。
あるいは鍵をかけ忘れていて、空き巣に入られている。

などのイメージ。

他には人前で下品なこと、卑猥なことなどを口にするなどのイメージもある。

総じて「やってはいけないこと」「起きてはいけないこと」が発作的に思い浮かぶ。

「侵入」思考と呼ばれる通り、自由意志での想像ではなく、無意識的に起こる。

侵入思考とは

・簡単に言えば不快な雑念。考えようとしてないのに、勝手に思い浮かんだり考えてしまうもの。これが認知行動療法の基礎理論では「侵入思考」と呼ばれる。大抵は不適切・攻撃的な内容となる。

イギリスの心理学者デイビッド・ミラー・クラークによれば、侵入思考には以下の特徴がある。

  • それは、意思とは無関係に「侵入」してくると認識される。
  • それは、思考 イメージ 衝動などである。
  • それは、繰り返し生じる。
  • それは、制御困難(消えにくい 止めにくい)である。
  • それは、注意資源を奪い、進行中の認知活動、行動を妨げる(今やってることの邪魔になる)。
  • それは、否定的な感情(不安 不快 罪悪感など)を伴う。
  • これらにより行為、感情に副次的な影響を生じさせる。

PTSDとの違いは、あちらは「記憶」で、こちらは「想像」であることとされる。ただしPTSDが原因での侵入思考はあるとされる。

うつ、強迫性障害、強迫性人格障害、不安感なども発生の原因となることがある。

誰にでもある

・最も重要なことだが、「誰にでもある」。ただしそれは通常、一瞬の煩さ程度であり、その考えを取り下げることができる。

例えば産後うつでの侵入思考に於いては、「乳児を害そう」という侵入思考が「一般的」だとされている。65人の産後うつの女性の最も頻発する攻撃的思考がこれだったそうだ。

・スタンリー・ラックマンが「健康な大学生」を対象に行ったアンケートでは、全員が侵入思考を経験していた。内容は、

  • 性的暴力
  • 性的処罰
  • 不健全な性行動
  • 痛みを伴う性行為
  • 不愉快な想像
  • 老人や近接者への加害
  • 動物や子供に対しての暴力
  • 衝動的・虐待的な衝動または暴発
  • 他者への暴力的な処罰
  • 失礼、不適切、厄介、暴力的な言動への衝動

などを「年中」想像していたということになっている。性的なのが多いのはお年頃のせいかも知れんが。

・繰り返すが、「健康な大学生」を対象に行なったアンケートで「全員が」これである。これより若くても年をとっていても、これよしマシな保証はない。

例えば85人の子を持つ親の内、89%が侵入思考を経験、内容は乳児の窒息、事故、誘拐、攻撃されるなどであったという。

学生たちが全員侵入思考を経験していたことに対して、こちらはそれを下回る。この違いは捉え方の違いではないだろうか。

・いつぞや展望記憶のときにも書いたが、「思いついた」ことと「意図した」こととの区別が脳はあまり上手じゃない。

これ、単純に「気をつけよう」と思い浮かべていることを、「自分はやりたいと思っている」と誤解しているようにも見える。

侵入思考の内容、基本的には「とんでもないこと」ばっかりだろう。見返してみれば相当極端だ。

これに対して通常思うのは、「だからやってみたい/だから自分は望んでいる」じゃなくて「だから気をつけよう」のはずだ。

予期と意図の区別。病んでくると、この区別ができなくなってくるようだ。健康なほど侵入思考の頻度、強度、確信度は低く、そうでなければ高くなっていくと考えられている。

・侵入思考は普遍的であり、「ほぼ確実に人間の状態の一部であった」とされている。基本的にはこれが生活を損なうことはないとされる。

・ただし強迫性障害と関連し、永続的で重度になる場合には要治療とのこと。

また、うつ病に於いて侵入思考は悪化し、自分が無価値、または罪深い存在である証明をしようとするとされる。

「希死念慮/自殺念慮」は危険であるため、侵入思考と区別されるべきとされる。

反芻思考

・しつこく繰り返されるため「反芻思考」とも呼ばれる。

お馴染みの同じこと何度も何度も繰り返す思考。
「未完結な思考内容の完結を目指す問題解決的思考」と説明されることが多い。
が、完結できないから未完結なわけで、延々と繰り返す。

・「未完結」と「反芻」の関係は、健康な人間でも存在する。未完了の物事は覚えていやすいという心理現象である「ツァイガルニク効果」もこの系統だと考えられている。

また、理解した瞬間、解決法が思いついた瞬間のあの「開放感」もその証拠となるだろう。それまでは「圧迫」されていたということだから。

・思考は元から目標志向型(ゴールを目指す)であるため、未完結の場合はより注意が払われるとされる。

また、未完結なためその対象には「抑制」や「回避」が働くことが多いとされる。つまりわからなかったり理不尽な目にあったりした対象に対して用心深くなったり避けるような心理。

この抑制や回避は、対象への思考が増幅するという結果が出ている。前述の通り、より注意が払われるためだろう。結果として、反芻思考による抑制で反芻思考がさらに強化される。

・この目標志向型のシステムとそれが叶わないことによる逆効果は、マインドフルネスで語られる「doing mode することモード」とかなりかぶる。

  • 自動的に反応する
  • 理想と現実を埋めようとする
  • 考え続ける傾向がある
  • 思い浮かんだことを現実と捉える可能性がある

ボイドの呼び声

・直感や思い浮かんだことに対しての、これ以上ないくらいの「間違い」としては、『ボイドの呼び声』と呼ばれる現象がある。

なんてことはない、侵入思考と同じものだ。車の運転中に「対向車線に突っ込んだらどうなるだろう」、高い所にいる時に「飛び降りたらどうなるだろう」という考えだ。まぁだいたい死ぬね。

・これがやたらと経験者がいるもんで調査された所、2人に1人は経験しているとわかった。

原因の方は、まだ仮定の段階だが以下のものがある。

  • 危険を感知、または予測したため脳が「注意しろ」というシグナルを出す
  • 頭がそのシグナルを「やれ」と誤解する

例えば高所にいる時は「危ないから離れろ」というシグナル(この段階ではまだイメージでも言葉でもない)が発せられ、頭はそれをイメージや言語に翻訳するが、その意味を「やれ」と解釈したことになる。

そうだとするなら生存本能を自殺願望と間違えたようなもんで、間違いにもほどがあるだろう。

・ビジネス都市伝説や胡散臭い自己啓発によく出てくる話だが「脳は否定形を理解できない」というのがある。
「理解できない」って程では無いだろうが、ここまで述べた通り否定を肯定に「間違える」くらいは日常的に有り得そうな気はしてくる。

感情や認知が間違っている余地について
少しは自分を疑えよという。ヒューリスティクス・まぁ、割と間違えます。脳は元から精度よりも早さという価値観な所がある。ヒューリスティクス(発見的)とも呼ばれる。結構な知名度となったが「バイアス」または「認知バ...

先延ばしと反芻

・反芻思考そのものへ対しての回避的行動もある。思考自体を意図的に回避しようとする。

Cooke,Mayvis,& Schwartz(2001)の研究では、予期が困難な時、選択によって生じるマイナスの感情を避けるため、選択を回避したという研究もある。

Anderson(2003)によれば、「不利益が生じるとわかっていても」行動に移らず先延ばしにする傾向について、同じく予期が困難であることと、「悪感情を予期している」ことを挙げている。

つまり「どうなるかが(ハッキリとは)わからない」か「嫌な気持ちになりそうだから」という理由での回避。これらが反芻思考に対してもあると考えられている。

・一見するとヘタレだが、これは想像以上に大きいと考えられる。数学嫌いは「これから数学をやる」と考えると、脳が実際に「痛み」のシグナルを発しているとする研究もある。

つまり人間は天然でバイオフィードバックのようなことをやっており、あらゆる人は、いくらか脳に「そうしつけられている」可能性。

参照:精神と痛みについて

・これらの先延ばし行動が反芻思考に対しての一時的な脱却、まぁ要するに現実逃避として挙げられている。

自分ですら不思議に思う「先延ばし」は、自覚がない目的(回避)を叶えるためには「成功」している。短期的には。

長期的には状況を悪化させ、関連する思考を長引かせるリスクがあるとされる。「反芻」される原因は、未完了の事案だから。

・これも結構気になる点だ。ヨナ・コンプレックスセルフ・ハンディキャッピングと言った「やらなきゃ後でどうなるかわかっているし、やるべきことと自覚しているのにやらない」心理。
これもまた、隠れた別の「目的」、つまり成功への恐怖や、実力が自覚通りじゃないかもしれない不安の回避などと言える。

あまりこの臆病なライオンに付き合ってもいられないのだが。山月記に因めば尊大な羞恥心とも臆病な自尊心とも言えるか。

ただ、他にも「気晴らし」が反芻思考に対しての一時的な脱却として挙げられている。単純に一つのことについていつまでも考え続けるのがよろしくないのかもしれない。要は「気にしすぎ」が。

侵入思考は治らないのか 制御できないのか

・侵入思考それ自体は、人間の「仕様」だと思って問題ないと思われる。問題となるのは侵入思考の、

  • 頻度
  • 強度
  • 確信度

が挙げられる。すなわち頻繁に発生する、リアリティが有る、それは現実に起こり得ると感じる、など。

健常な状態ではこれらは低いとされる。「変なことが思い浮かんだ」程度で済む。

・性格との相性の問題は有る。「このようなことが思い浮かんだ自分は罪深い」などは、自らを抉ることになる。なので「誰にでもあること」だと知ることは重要になる。

思考抑制の逆説的効果

・侵入思考に価値があろうがなかろうが不快なのは確かなので、多くの人がこれをなんとかしようと色々と頑張る。

じゃあ考えなきゃいいじゃん(思考抑制)、ってところだが、これが高い確率で失敗する。

・まず、意図的な思考・感情の抑制は心身への悪影響やバイアスなどの弊害がある。

侵入思考に限らずとも、感情労働の深層演技(心からそう思おうとする)バーンアウト(燃え尽き症候群)によるうつ状態と関連が示唆されている。

同じく「心からそう思う」ことを自らに課すアファメーションなどは、内容にもよるのだろうが、しばらくして自律神経がおかしくなったという話を時々見かける。これは几帳面で真面目なパーソナリティに多い気がする。

最も身近なのは「やる気を出そう」「頑張ろう」と続けてそのうち燃え尽きることか。

・また、侵入、自動、反芻思考を抑制しようとすると逆効果になることが非常に多いとされる。

この「逆効果」がピンポイントで「気をつけたい部分」に対して作用するようだ。
ステレオタイプな判断を抑制した者が、後にステレオタイプに頼った行動や判断を生じさせる、特定のムードを抑制した後はそのムードが激化して感じられるなどが報告されている。

この2つは未完了の反芻/侵入思考の話ではないが、このように「抑制しようとした思考が増幅する」らしい。見た限りだとタイミングは、「抑制した後で」のようだが。

それだけにとどまらず、感情の激化、認知の歪みを発生させる。
結果的に社会的な問題行動や心の病と関連するという。

抑制への「努力」そのものが逆効果になるリスクがあり、悪循環となるとされている。

・まぁ軽く言えば、「気にしないようにと心がけたら余計気になってきた」なんてことは珍しくないだろう。

ただし、人はこれをなかなか認められない。自分の心が対象で、しかも目指した方向と逆となるだなんて。
結果、気合だ努力だ根性だとゴリ押しで思い通りにしようとして、酷いことになったりもする。短期的にはなんとかなるからたちが悪い。

この「逆説」の構図はインナーゲームと同様だし、トップドッグとアンダードッグの話のように、長期的には「意図した側が負ける」結果になる。

未完了思考の抑制実験

・「未完了の思考」の抑制を行うことにより侵入思考の数が増え、それは持続するだろうという仮説を確かめるために実験が行われた。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjep1953/52/1/52_44/_article/-char/ja/

抑制の有無、完結感の有無での4グループ。
都内の大学生計58名。
未完了のストーリーを読ませる実験。

簡単に言えば話の「オチ」を削除し、代わりになんぞモヤっとするラストに変更したストーリーを完結感のないグループには読ませている。まぁそういうのも好きな人は好きだけど。

また、感情面での印象を事前に調べた所、この2つのストーリーに差異はなかった。違いは完結感だけ。

・思考を抑制させるグループには、ストーリーを読ませたあとに「静かに座りながら、6分間、一切ストーリーについて考えないように最大限努力する」ように指示をした。
「この実験でこれは重要なことだ」とプレッシャーを掛けて。それ以外には何を考えても良いとしている。

抑制しないグループは同じく6分間、静かに座るようにだけ指示している。
こちらには「ストーリーについて何か思い浮かんでもこの実験には重要ではない」と気楽にさせるようなことも言っている。

この時点では抑制を試みさせたグループは確かにストーリーについての思考が抑制されていたことが確認されている。

・これらの後、さらに6分間、今度はどちらも好きなことを考えていいとして時間が与えられた。ただしストーリーに関連する思考が浮かんだら記録するようにとの指示も出されている。

結果、初めに抑制をしたグループは侵入思考を多く報告した。また、未完結のストーリーのグループも侵入思考を多く報告している。まぁ後者はツァイガルニク効果そのままだろう。

また、未完結+抑制のグループは、思考制御に高い困難を感じたという。

・主観的思考頻度、要するに考えようとして考えた頻度も抑制群のほうが高い。
ただ気になるのが、侵入思考と主観思考の区別が正確につけられるものか?

この実験では自己申告だが、日常において、
考えようとして考え始めたのか、
思いついたことを「拾って」続きを考えていたのか、
区別をつけているだろうか。

そもそも考えようという「発想」は侵入思考ではないのか。
メタ認知能力が高ければ侵入思考を主観思考と捉える率は上がるのではないか。
このあたり考えるとめんどくさい。

・実験者たちの中で、この時点で特に不快感や問題を報告するものは出ていない。

・さて、お楽しみの一週間後。未完結+抑制で侵入思考は多いという結果になった。

未完結に対しての侵入思考頻度の上昇は抑制と組み合わせたときのみだったらしい。完結ストーリー+抑制のグループは抑制の逆説はなかった。

これは、抑制により余計に意識し、その対象として「未完結」に注目が集まり、逆説を発生させたと解釈されている。
なお、近年ではツァイガルニク効果は主観的な注目があって始めて機能するとされる。

ただ、生活上の割り切れないこと、理不尽なことなどは、今回の「未完結のストーリー」に該当すると考えることができる。
今回の結果から見ると未完結+抑制だけが侵入思考が長引いているため、「未完結」に注目した時に「何か」が自動で始まるという人間の「仕様」には注意が必要だろう。

また、「我慢しなければならない」場合、これは思考の抑制を試みる動機になりえる。意識せずにやり過ごそうと思っても不思議はないだろう。そのために。
結果、理不尽に対してなおさら注目が集まり、逆説が発生し……ということはあり得る。

・「抑制を試みる」ことが、抑制をやめた直後から一週間後に至るまで侵入思考の頻度を上げていたというろくでもないことになっている。

人間が直感的に正しいと思っている、または人間が思いつく「精神のコントロール方法」は、何かこう、根本的に間違っているのかもしれない。
逆にバイオフィードバック装置使うと割とあっさり自分で脳波コントロールできたって話もあるので、方法が問題なのかもしれない。何よりも手応えがわからないのが大きいか。

・なお、この実験に於いては、一週間後の再チェックに至るまで不快感や問題を報告するものはいなかったとされている。侵入思考が一週間続いても、だ。

裏を返せば、人が侵入思考に対して不快感を感じたり問題視するのは、思考の反芻、あるいは思考が侵入することではなく、「内容が不快」だという点が大きいのではないか。

いつぞや書いたが、不快な侵入思考以外にも反芻、侵入はありえる。ただそれらは「気にしていない」から問題にならない。
「侵入思考」とされている内容がほぼ反社会的すぎるろくでもない内容ばかりなのは、「そういった内容の侵入思考」のみが当人に印象的であり、問題視されているだけなのかもしれない。

例えば職場にて仕事について考えている時に、帰りにスーパーに寄ってちょっとした物を買うことを思いついたとしたら、「侵入思考」ではあると言えるだろう。
仕事について考えていたのだから買い物は関係なく、この時点で「侵入」されてはいるわけだ。でも別に気にしないだろう。流すか、メモでも取って、おしまいだ。

無関係なものが思い浮かんだとして、特に害がなければ普通にスルーなり対処なりはできる。
だからこそ侵入思考として列挙されている内容は、
「目に余る」ような、
「見逃すことはできない」ような、
「思いつくなんてありえない」ような、
そう思うに十分な「酷いこと」ばかりに濾過されるのではないか。

なぜ抑制の逆説が起こるのか

・自身の精神のコントロールに於いて「逆説」というキーワードはよく見かける。意図したこととは逆の結果になること。

今回は特に気にしているのは、「侵入思考自体が『注意しようとして機能した逆説的な現象』なのではないか」という個人的な考えにある。

つまり、侵入思考それ自体がしっかりやろう、気をつけようとした「逆説的な結果」なのではないかと。

例えば先に挙げた母親達の例。乳児が誘拐されるなどの思考は、「ありえるから気をつけよう」という機能かもしれない。
その他侵入思考では、高所にて自分が飛び降りる、あるいは自分が他人を突き落とすという思考がよぎるともされるが、「やってはいけないこと」として想起していることを、捉え方を間違えているのかもしれない。そういえば一部の精神障害で、駅にて飛び降りる、突き落とすという妄想の例はよく聞くな。

・SNSでブラックリストってあるだろう。ブロック機能でもいい。大体は「こいつには表示されない」「こいつは表示しない」って機能ね。まぁ普通えんがちょな相手に使う。

当然ながら、「対象者」は「リスト」として「データに残る」。

フィルタリング機能は、特定のキーワードを見たくないからそれを含むメッセージを除外する機能だ。

この場合「見たくない言葉」は「リスト」として「データに残る」。

そして当たり前だがどちらも、「リスト」のデータを「参照する」ことによって、非表示にする。

では、「思い浮かべたくない」という除外したい思考内容は?

脳にブラックリストとしてデータが存在するのではないのか。じゃなければ対象の特定ができない。

思い浮かべたくないのなら、そのデータにアクセスしなければならない。アクセスした時点で、思い浮かんでも不思議はないのではないか。
当人が一生懸命になればなるほど頻繁にアクセスするのではないだろうか。

と、ここまで考えて、後でダニエル・ウェグナーがとっくに似たようなことを言ってたことを知った。

思考抑制の害と皮肉過程理論

・思考抑制(こんな事考えないようにしよう、と努力する試み)の害は以下が挙げられている。

  • 短期的な免疫機能を低下させる
  • 長期的な健康を脅かす
  • 表面的な認知処理を促す(早とちりなど)
  • 選択的な注意や記憶のバイアスを生じさせる
  • 抑制した思考が後に増幅される(リバウンド)
  • 抑制自体が心身に負担となり、抑制後には不快感や疲労の報告が多い

リバウンド現象は抑制する対象がネガティブな思考・記憶はもちろんのこと、緑のウサギ、シロクマなどのニュートラルなテーマが対象でも確認されている。

(ビジネス都市伝説的な「ピンク(だか青だか)のゾウについて考えないでください」ってのは「言われた直後に思い浮かべてしまう」って話だから別件としたほうが良いだろう。あれは『脳は否定形を理解できない』という説明のために使われる)

・思考抑制自体は短期的には成功することが確認されている。その「後で」侵入思考、つまり勝手に思い浮かぶ率が上がる。

ちなみにこの逆説的効果=リバウンドは、1987年にダニエル・ウェグナーが「皮肉過程理論」と名付けている。

彼は3グループに同じシロクマの映像を見せた上で、

A:シロクマのことを覚えておくように

B:シロクマのことを考えても考えなくても良い

C:シロクマのことだけは絶対に考えないように

と、指示した。一定時間の後、最も映像について詳しく覚えていたグループは、Cだった。

・皮肉過程理論はリバウンドの理由を説明している。
抑制するためには「何を抑制するか」を心に留めておかねばならない。

つまり「何を抑制するか(=思い浮かべたくないイメージ)」は「常に気をつけるため」に活性化するしかない。

また、リバウンドに対して更に「抑制」をしようとし、それがまたリバウンドとなるという悪循環を呼ぶリスクもあるとされる。

・このことから、考えないようにすることをやめたほうがマシだ、となる。

マインドフルネスにおける「心理現象に対しての受容的態度(思い浮かぶまま、ありのままに受け入れる)」などが例に挙げられてはいるが、難易度は高い。理屈的な難しさと言うよりは、体得するものだからだが。

「考えない」が手軽な手段ではないとして、もう一つの人がよくやる手段として「他のことを考える」がある。

思考コントロール方略

不快な思考なのだから、人は自然とそれを避けるために思考に対して方略を持つ。何らかの対策、手立て。これは思考コントロール方略と呼ばれる。

中には不適切な方略があり、「リバウンド」、つまり後になってもっとひどくなる物がある。

https://researchmap.jp/gidatoshiyuki/published_papers/7980114/attachment_file.pdf によれば、

侵入思考に対する思考コントロール方略は、

  • 再評価(その思考の意味を見直す)
  • 罰(自分を責めることで侵入思考を止めようとする)
  • 社会的コントロール(他者を巻き込んで対処する)
  • 心配(別のネガティブな思考を意図的に行い侵入思考を消す)
  • 気晴らし(侵入思考とは無関係な思考/活動により消そうとする)

の5通りが考えられている。

これらは反射的に各々が行っている。意識して行うことは可能だが、普段は無意識的な対応をしている。

・全般性不安障害と健常者のスコアを比べると、心配/罰が高く、社会的コントロール/再評価/気晴らしが低かった。
よく言われる「生真面目な性格はうつ病になりやすい」などと一致する形となる。

やはりうつ病でもこの傾向はあり、うつ病が治る(寛解)に連れ、この傾向はなくなってくる。

・思考コントロール方略自体が、侵入思考に影響を与える可能性が考えられている。なおさら罰/心配は悪手となるかもしれない。

関連:
_侵入/反芻思考への対策

参考文献:

https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/20076/p051.pdf

https://ja.wikipedia.org/wiki/侵入思考

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjep1953/52/1/52_44/_article/-char/ja/

メモ

汚言症と反芻思考

・チック症の症状の一つで汚言症というものがある。卑猥な言葉や罵倒語などを突発的に言ってしまうという症状。
チック症の症状の中でもかなり悪目立ちするため、結構問題になりやすい。

これも突発的であり、しかも社会的にも当人的にもよろしくない内容という意味では、反芻思考と共通する。

・チック症は側坐核を興奮状態にすることで、人工的に再現することができる。研究のために「チック症の猿」を作ったりもする。
この時、発声に関わる部分(前部帯状皮質)が過剰に働いている。

しかし「内容が不適切」なことの説明にはならない。本来のチック症は意味のない発声や、繰り返し、他人の真似などとしてでる。

・やはり反芻思考と同様に「不適切な内容」は、人の脳内で「反社会的」というカテゴリでアーカイブされているのではないか。
「何が不適切なのか」は頭の中にあり、それにアクセスしているのではないだろうか。

例えば、怒りに我を忘れて支離滅裂な事を言う者がいたとしても、その内容は「攻撃」に傾いている。
結果としてボロが出ることはあるが、まさかこのタイミングで「今日はいい天気ですね」なんて言葉はそれこそ「間違っても出ない」だろう。

・ここから考えられることは、先ず脳の状態としてなんらかの「興奮」があり、次にそれに「関連」した記憶が引っ張り出される可能性。

また「場所」としてその様なえんがちょゾーンがあるのが正しいとしたら、デフォルト・モード・ネットワーク=脳のアイドリングで唐突に思い出す=「侵入」されることは普通にあるということになる。

・これらの場合、思い出したこと、頭に思い浮かんだ考えなどはやはり「意味がない」。
警告として捉えることは出来るが、「元から気をつけている=(やばいことリストに入っている)」からこそ思い浮かぶとも言える。

さらに言えば、やはり大体が思っている「思い浮かんだこと=やりたいこと」という認識自体が間違っていることになる。

タイトルとURLをコピーしました