逆説
・さて、書こうとすると頭の中から消える。書く気がない時はやたらと色々思い浮かぶ。
そういえば、幼少の頃からこのような逆説的な現象にガチ目の殺意を抱いていた。やりすぎて失敗するとか、気をつけすぎて裏目に出るとか、良かれと思ってやったことで怒られるとか、サボテンに水を毎日やって枯らすとか。
今にして思えば無知ゆえの誤った結果予測と、思い通りにならなかったことに対しての幼児特有のヒステリーだったのだろう。世の中が理不尽なのか自分のオツムが理不尽なのかは当人には中々わかるまい。
今の私は間違った思い込みへの信仰とそれを加速させる努力信仰とを大分嫌っているが、影の投影かもな。
逆効果になる心がけ
・逆説は多くの人に起こる。特に「心がけ」が完全に裏目に出るケースが目立つ。書痙は字をうまく書こうとして書けなくなる。寝ようと思うと眠れなくなり、寝ないように心がけると眠れるという研究結果もある。まぁ一見すると大分理不尽だ。自律神経や無意識が悪意を持って意志とは逆の結果を演じているのかと疑えても来る。
だが理屈に見当がつけば、逆説と呼ぶのが間違いにも思えてくる。これらは本来リラックスが必要だ。必要以上の力みは字を書くには邪魔になる。寝る際なんて言うまでもないだろう。この上で「意識的な努力」はほぼ必ず緊張を要する。そうやって自身を制御しようというのが人間がやっていることだ。
この時点で逆方向に突っ走ってることになる。やってることが的はずれだから、結果も的外れになる。「やったこと(緊張)」と「結果」だけ見ればこれまで逆説と呼んでいたものは道理だったと言う他ない。
逆効果になってまだ続ける
・大きな疑問が残る。何故、裏目に出て、裏目に出続けているのに、そのやり方をまだ続けるのか。
いくらか考えられる。
・1つは他の方法を知らないこと。ハンマー釘病。それしか知らないから、それでなんとかしようとする。
・2つ目は努力信仰。根拠もなく「続ければいつかは叶う」とするのが代表的だ。それは置いといて、実際の「正しい努力」にしても、すぐには芽は出ない。結果が出るまで信じることは必要になる。では、努力が間違っていた場合、それをどのように悟れば良いのか。間違っていれば結果は当然出ない。正しくてもしばらくは結果は出ない。淡い期待を抱きながら、ズルズルと続けやすい。この問題については、結果が出る以外で努力の是非を知る方法が必要になる。
この話は非常にめんどくさく、「成長」という観点から見れば、確かにある時急にできるようになるという現象は身近にある。このような時期なのだと認識するのなら、まだひたすらに続けるだろう。実際そうかもしれん。区別がつかない。
疑わしくあるのなら、ペースを落として維持する、あるいはログを取って観察をするのが落としどころだろうか。
これは視点を変えれば、成長への「希望」が努力のモチベーションとなっているということでもある。そして希望は、物を知らないことでも持つことができる。「どう考えても無理。ありえない」とわからないのなら、「もしかしたらもうちょっとかもしれない」希望は持てる。挙句の果てに希望を維持するために知ることを拒絶するとかね。まぁそういったよろしくないパターンには警戒したほうがいいだろう。
・3つ目は「自分」という概念に対しての信仰。これまた根拠もなく「自分のことは自分がよくわかっている」と考える輩は偶にいる。同じように「自分の心身のことなのだから自分の意志でコントロールできるはずだ」と考える者もいる。こちらの方が恐らく多い。大抵はそうだろう。
それほど間違いとも思わない。ただ、やり方はここまで述べてきたように致命的に的外れだったり、ただの思いこみだったりで明確に間違っている事がある。
結局の所行動としては「書けないから書こうとして書けない」「眠れないから寝ようとして眠れない」とひたすら壁に頭を打ち続けるようなハンマー釘病だ。こちらの方が信仰がある分方法にこだわる。ただのハンマー釘病なら、別の方法を知れば乗り換えることができるだろう。
・つまりは問題そのものは、妥当な知識や成長に依って解決できる。それを邪魔するのは何らかの信仰/思い込みであることが多い。それが「方法」に執着させる。だから方法が間違っていた場合詰む。
あと多分だが、意志で自分のすべてをコントロールできると思いこんでそれ続けてると病気になる。まだまとめてないけど。メランコリー親和型の性格(雑に言うと生真面目)や完璧主義とか多分危ないだろう。
・まぁなんというか、人は「報われたい」という欲求があるね。我慢や苦労、そして努力に対しては特に。今までのそれらに対しての「正当な取り分」として。だからこそ、そこが間違ってたら取り分なんて元からねーよって話なんだが。
特に「理不尽な目にあった」なんてことは、どこかの馬鹿が馬鹿なことやらかして巻き込まれれば往々にしてそうなるわけで、丸っきり損にしかならない。この「苦労と報酬」という世界観にこだわる限り、そして「すでに苦労したのだからこの後には報酬が待っている」とそれを待ち続ける限り、引き上げ時を見逃すかもしれない。コンコルド効果に近いな。