努力

努力の二種類

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・達成型。ゴールしたら終わり。できたら終わり。ループしない。

・わかりやすい「報酬」が設定されている場合が多い。目標そのものだったり、ご褒美だったり。

・悪い言い方をすればその場しのぎが可能でもある。ゴールすればいいんだから、手はいくらでもあるとも言える。いっそ努力じゃなくても良かったりする。裏口入学とかわかりやすいね。

・良い面に目を向ければ、出し惜しみなく全力を出しやすい。ゴールすることだけ考え、それに専念できる。人によってはその時間こそが充実感を感じる時でもある。「狩り」のような属性。

人がやる気を出せるのはこちら側だ。長期計画をこのような、努力で切り崩していける形にするように考えるのも、努力に於ける技術だろう。


・できても終わりじゃない。あるいはそれを何度も繰り返す。自然にできるようになるのがゴール。反対に悪癖に対して自然とやらなくなるようなのがゴール。

後者は禁煙している人が「一生禁煙」っていうのがわかりやすいか。今でも努力してるってことだね。負担は減っていくだろうけど。

一方で『トム・ソーヤーの冒険』の著者であるマーク・トウェインは「禁煙なんて簡単だ。私は百回は禁煙している」なんて言ったとか。要は百回は失敗しているということである。

・「我慢」の要素が色濃い。加えてその我慢している状態が自然体となるのが目標であり、解放されることはない。この構造の努力はトップドッグとアンダードッグの話に繋がりやすい。即ち「最終的にはアンダードッグ(怠惰/消極的な自分)が勝つ」という形に。

・つまり習慣化のための努力。一念発起した所でダメだったりするのは、それが続かなくてはならないからだ。ダメだったと言うよりは力尽きたという形が多い。元から無理がある可能性は高い。

意思や根性でしかそれは成し得ないのかと言えば、それも怪しい。達成のための要素は別に工夫の余地はあるし、研究もされているしで。むしろ意思や根性で成し遂げた奴がイキリチンパン化して他の者のモチベを下げることも多いし。

・老子曰く、跂つ者は立たず、跨ぐ者は行かず。つま先立ちでいつまでもいられないし、大股でどこまでも歩けるものでもない。こちら側の努力は「継続させる努力」であり、自制心や計画性の属性がある。元々続くわけのないような「頑張り」は裏目に出ることになる。がまぁ、そのような無理がある習慣を毎日やれば達成できるじゃんなんて計画を人は立てがちかもしれない。

「農耕」のような属性である。苗に一ヶ月分水をやれば一ヶ月ほっといていいというわけには行かない。

分けた意味あったのか

・今更何言ってんだ私は。

今回出てこなかった長期的な努力などが該当するが、達成型の努力の繰り返しという形の身に付ける/継続させる努力はある。

例えば受験勉強や資格勉強などは合格するのがゴールであるが、そのためには知識や技術を1つずつ習得する必要がある。そのためには1回1回練習したり、1ページずつテキストを消化したりなどするだろう。大体今日1日はこれだけやる、など短期的な形に区切る。

このように考えると、達成=短期目標を繰り返し、その蓄積として長期目標に到達する構造に大抵の「努力」はなっているように思う。

・では反対にどちらかに偏ることはあるのか。例えば当人が「乗り越えるべき試練」だと思うなら、達成型の努力として行動するだろう。「実力を身に着けよう」とかコツコツやっていこうとするなら、習慣的な努力として行動する。

やることは同じでも、当人がどう捉えるかで態度は違うかもしれない。当然、結果も。
努力は狙い通りの結果を手に入れるためのものだから、最後に勝つのは長期的な視野を持つ方だろうね。報われたらだけど。

・悪い例としてはノルマのデメリットが挙げられる。本来個人に設定されるノルマは大規模な目標の一部分だ。しかし振り分けられたノルマをこなすこと自体が目標となり、ごまかしたり数だけを合わせることがソビエト社会主義政権下では横行した(トゥフター)。これは全体を見失い、目先の達成に気を取られた最悪のケースだろう。ソ連崩壊の一因とされている。

・目的のためにはタスクA,B,Cをこなさないといけないというような場合。タスクAに着手する段階でまだ全体を意識しているようなら集中できていない。この時にBやCを気にしているのは論外だ。

進捗への意識がゼロの場合は「この方が良さそうだから」でどうでもいいタスクDに手を付けるかもしれないし、タスクAが完成度300%くらいになってもまだ続けてるみたいなことにもなりかねない。両者とも意外といる。

国取り物のSLGが内政フェイズと軍略フェイズに分かれているように、進捗管理と実行とを区別し、サイクルを意識したほうが良いのだろう。

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