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自分より下を見て安心する人

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・主に自分より下を「探す」ようなことをする人について。

あるいは自分より下の人を見てちょっと安心している自分に罪悪感やら嫌悪感を感じている人。

・コンプレックスについてよく聞くアドバイスが「人と自分を比べるな」ってのだが、それをやめるのは人間には無理だろう。人間は自分の社会的価値を気にする傾向があり、そのためには露骨に「自分が周囲のどの辺りの位置か」を気にする必要がある。

・社会的比較理論という心理学の理論では、、下方比較というものがある。そのままの意味で、上方比較は上と、下方比較は下を「選択して」比較する。無意識レベルに近い。上と比べれば自尊心は低くなり、下と比べれば自尊心を高めることになるとされている。

「自分より下を見て安心する」というのは、下方比較となる。「安心」するのは自尊心が回復したからだろう。

例えば、乳がん患者達は、彼ら自身よりも、より不幸な多数派の比較集団を作り出す、という現象が見出されている[12]

https://ja.wikipedia.org/wiki/社会的比較理論#上方比較・下方比較

ここで「作り出す」と書かれているのはポイント高いね。総じて現状がストレスであり、それを慰めるために下と比べると見ることができる。

許容/安心するため

・頭の中でなら好きにすりゃ良いんじゃないかと思う。認知的処理として見ればこれは「痛み止め」であり、時には有効だろう。

たまにいるのが自分が、自分の思っているよりもキレイな心をしてないことに罪悪感やら戸惑いやらを感じる人だが、まぁ夢から覚めてよかったんじゃないか。その夢を見続けている人間は他罰的かつデリカシーに欠ける潔癖症のような傾向があるからな。おはよう。

・今のも下方比較っぽいだろう。「未だに夢見てる奴らよりマシだろ」って。下方比較をすることを極度に気にする必要はない。割とありふれている。社会的比較理論の初期の仮説では、人は比較することの衝動を根本的に持っているとされているのだし。

自分より下を探す人は嫌われる

・まぁそりゃそうだが。やられる側からしてみれば侮辱なりマウンティングだろうし、第三者から見ても「そういうことに必死な奴」には近づきたくはない。

また下方比較であるのなら、その動機は現状への不満、問題意識、ストレスなどであり、「関わったらめんどくさそう」だと思うには十分でもある。まぁ、避けられるだろう。

・仮に自分より恵まれていない人間を見つけたとして、とても嬉しそうに「かわいそうに……」とか言ったらまぁ、ぶん殴っても良い人類だと判断されても不思議はない。

冗談抜きで、「同情なのだから悪いことではない」と言いながら嬉しそうに「かわいそうかわいそう」と連発する妖怪のような人間は実在する。なんで刺されないのか不思議だが。

探せば見つかる

・「自分より下」は探せば間違いなく見つけられるだろう。ただそれは、その時に上だ下だと「設定」しているのに近い。もとから無関係な上に殆どの場合は競技をしているわけでもなく、上も下もない。「敵」とか有害なのとかはいるが。

老子あたりはいちいち分別しようとすることから善悪が生まれるから碌でもないとかなんとか言ってたな。

「上か下か」として見るからこそ上か下かが定義されるのであり、時に自分が上だという勝利宣言は「自分は必死で自分より下の人間を探していました」「現状を不幸だと思っています」「不安でしょうがありません」という情けない自己紹介でしかないこともある。少なくとも他人は聞きたくない。

・そもそも、「お前が上/下と呼んでいるのは本当に上/下なのか?」ということも考えてもいないわけで。結果当たっていようが妥当性があろうが、考えもせず証明もせずにそう扱うのなら、どの道完全に主観で、完全に決めつけなわけだ。

・比較対象がどれだけ無様だろうが、自分の価値は上がらないことには変わりない。ただ目的が「自分の社会的な『価値』に対して感じた不安の解消」の場合、それで安心できてしまう。マウンティングとかの話。

ポリアンナ症候群

・「自分より下の他人」ではなく、「今よりも自分が不幸な可能性」と比べて安心するという現象もある。ポリアンナ症候群と呼ばれ、ダメなポジティブシンキングの代名詞のような扱いをされている。

今よりも不幸な可能性を思い浮かべ、「それよりはマシ」として現状を肯定する。現実逃避の一つの形とされる。

これの問題点は、

  • 現実と向き合わない
  • だから何の対策もしない
  • 危機を「ないもの」として扱う

などとされる。ビジネス都市伝説で言うところの「茹でガエル」に自ら甘んじる。カエルが入った鍋を水から茹でると逃げないでそのまま死ぬという話。ちなみに実際にやった奴がいたらしいが、カエルは普通に逃げたそうだ。

・問題として捉えないということは、消去法として「適応する」ことを選んだことになる。時には共犯者になり得るし、許してはいけないものを許していることになるかもしれない。

まぁ問題の中身次第だが。適応が正解だと思える場面もそりゃあるだろう。どうにもならないことなら諦めるというのは手段であるのだし、逃げていい場面もあるだろう。そもそも相手にする価値がなく、何かするまでもないかもしれない。事実として「問題として捉えすぎる」というコレとは正反対の問題を抱える者のほうが多い。

だが何れにせよ、「万事」がポリアンナ症候群では異常だろう。考えもしないで「問題なし」としてしまうのは危険過ぎる。

「だから自分は大丈夫」

・結局の所、下を見て安心する心理も、ポリアンナ症候群も、「自分は大丈夫」と思おうとする意図がある。

いちいちそう思おうとしている時点で大体それ大丈夫な状況じゃねーよなってのはあるな。何かしら不安に思ったり、自信をなくしたりな状態であることが多いだろう。

一部の研究によれば、日本人は特に求道者気質が多いという。上を目指すとか、自分のやり方にこだわるとか。これはつまり、下方比較よりも上方比較の方を行っているとも考えられる。上方比較は成長欲求のようなもので、課題の発見や上を目指すことに繋がるからだ。

反対に下にあんまり用がないので、下方比較する人間は結構目立つ印象があるね。同時にそれを恥だと思う心理もまた強いかもしれない。情けなく、みっともない「嫌な奴」みたいなイメージの。まぁ個人的には内面で終わらせときゃ何でも良いと思うが。顔に出るようだとアレだが。

・閑話休題、日本人は上と比べることの方が多いと仮定すると、上方比較のデメリットである「自信を失いやすい」という面が問題になってくる。自分より上と比べるんだから不思議じゃないだろう。

さて自信を失うとどうなるんだっけか。下方比較の出番になるね。上を見て落ち込んで、下を見て自信を持つ、というのを延々と繰り返すことになる。同時に何故下を探していたのか、その理由は上を目指そうとしたから、という可能性もありえる。

じゃあその回復した自信で何をやる?

それが再び上を目指すことならば、別に下方比較じゃなくても方法はあるのかもしれない。

クリーンな下方比較

・現状で思いつく一番クリーンな下方比較を記しておく。

過去の自分と比べることだ。求道者らしくて良いと思うね。

詳しくなってるかもしれないし、早くなってるかもしれないし、うまくなってるかもしれないし、センスが良くなってるかもしれない。何よりこの世で無条件にドヤ顔で勝ち誇って後腐れないただ一人の相手だ。

それを見て「だから自分は大丈夫」と思って全く問題ない相手な上に、そう思った根拠は本質的には「自分が成長したことを自覚した」ことによるから現状に甘んじる心配もない。パーフェクトじゃねこれ。知らんけど。







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