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自分にとって重要なことほど辛いことについて 長い目、短い目

・以前やった、主観的視点と俯瞰的視点を使う。

俯瞰的、つまりは物事を遠く高いところから見下ろすような視点で見れば、例えば試験勉強だとか、毎日の運動だとか、或いはダイエットだとか、その他習慣的、長期的な努力というものは、真実自分にとって価値がある。

で、これらが主観的な、感情的、直感的な視点で見ると、嫌だったり、辛かったり、めんどくさかったり、飽きたりする。確かどこぞのアンケートに依る「ダイエットの成功率」がだいぶ酷いことになってたはずだ。半分も行ってない。達成率って言ったほうがいいかね。

つまり成功・達成に必要な要素、GRITと呼ばれる「粘り強さ」は、人間にとって非常に難しい。それがあるなら成功できるが、大抵の場合足りない。無いことはないだろうが、足りない。達成の前にやる気が寿命を迎えるというか、枯れるというか。

・私達は「長い目」でプランを立てるが、実行者としては「短い目」を持っている。

・TEDで発表されてたのが、子どもたちにグロースマインドセット、これからやることがどの様に成功につながるか、みたいなちょっとした教育を施したら、成績が伸びたと。

これがまぁ、そのうちまとめるかも知れないが、「肯定的な主観視点の構築」に近い印象を受ける。要は捉え方だね。裏を返せば「主観を離れて俯瞰的な価値である大義をなせ」という形ではない。ここは結構重要だろうね。主観が納得するなら、デバフがバフになる。

「短い目」の無視ではなく、飼いならすと言うか、味方につけると言うか。

チョコレートとマシュマロ・テスト

・TEDでダン・アリエリーが話してる動画があるが、今チョコレート1つもらうか、後で2つもらうかという実験がある。マシュマロ・テスト(子供の前にマシュマロ置いて、食べずに我慢できたら後で2つあげると約束する実験)のアレンジだろうが、あれが案の定すぐくれってのが多かったと。ただちょっと気になることがあって。

あの実験も、マシュマロ・テストもそうだが、その場でチョコなりマシュマロなり食わせた直後にやったらだいぶ結果は変化するだろうなと思う。

公平世界仮説もそうだ。選択の直前に、理不尽な事故にあった他人の話を聞かされた場合、選択に変化が起きる。

「自分もそうなるかも知れない」とする心理からか、より即物的な選択を行い、長い目=俯瞰視点は持てなくなってくる。

だとしたらそれまでは「自分は大丈夫」と思い込んでいたことに他ならないが。

あの実験結果は身の危険と時間的視野の因果関係を示唆しているとも取れる。驚異を身近に感じるほど、未来のことは非現実的に思えてくる。

今ここ、も大事だが、「【今ここ】の過大評価」もあるのではないか。大抵はマシュマロやチョコレートを前にしたような欲求だが、それだけとも限らない。

衝動性のある突発的な閃き、アイデア。欲や雑念はねじ伏せようとする者も、「良いこと」のように見えることに対しては警戒していない。これは私が薄っぺらいセイギノミカタがクソ嫌いな理由でもあるが。

チョコレートでもナイスアイデアでも、「今それしか頭にない」状態は、まぁ正気とは言えないだろう。そして思った以上に頻繁に、突発的になる状態のようだ。アルキメデスだって全裸で街を走り回ったわけだし。エウレーカ!

完璧主義者だという人

・もう一つ気になっているのが、「自分は完璧主義者だ」として思い悩む人が結構な数居ることだ。完璧主義が必ずしも良いことばかりではない、と広まったのは結構だが、逆の現象が始まっている。

恐らくこれは完璧主義は良くないという話が広まった結果、完璧主義的要素、即ち理想の通りになろうとする思考的・認知的システムに対してかなり敏感になっている結果ではないかと考えられる。まぁ言われたから気になってきたんだろって話。

ADTの話でもあっただろう。ADHDかも知れないって来るADHDじゃない人。アスペルガーでも似たような話がある。特にカサンドラ症候群の関係で夫婦揃って外来に来たが、別のことが原因だった、と。症状というか問題自体は実際に存在していたわけだが。

また、大人のADHDについてwikiには「症状を誇張する傾向がある」とされている。大人が仮病を使いたがっている、のかもしれないが、それよりは「気にしすぎ」の状態の方が多いだろう。

 

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