スモールステップは難しいかもしれない

本来はカリキュラム的なものだが、今回のスモールステップは要は「タスクの細分化」を指す。

スモールステップ。小さな一歩。物事を段階的に、1つずつ認識し、消化していくこと。1ステップを「フレーム」と呼ぶ。

スモールステップの価値

モノの見方。効果としては「成功/達成」を積み重ねる形になるのでモチベーションの向上と維持、成功体験の積み重ねによる自己評価の向上など。バラス・スキナーの理論が元になっている。

バラス・スキナーはオペラント条件づけ(スキナー型条件付)でも知られる。条件付は条件反射みたいなものだが、物事の認知の学習にも作用する。人間で言えば学習性無力感(自分は何をやってもうまくいかないと『学習』し無気力になること)などに。スモールステップはこれを避ける効果がある。「なるべく失敗しない」ために小さく1つずつ取り組み、クリアしていくからだ。

また、後日まとめるが(多分ね)、集中する時間効率が15分って説がある。これとは別にポモドーロテクニック(25分集中、5分休憩)や48:12法(48分集中、12分休憩)など、休憩の重要性と共に集中力が一般に思われているよりも長続きしないことを見越したペース配分は提唱されている。「疲れる前に休め」って考えもある。

これらの場合休憩は「必須」になり、作業は中断を余儀なくされる。これだけ小刻みだと、大体の場合は休憩をするほうが心理的に難しいだろう。長時間物事に取り組む「真面目な態度」は「良いこと」だと仕込まれているだろうし、そのせいで何か生産的活動をしてないと罪悪感すら感じる人もいる。

また人間は、自分が取り組んでることを邪魔されるのは不快に感じる。不真面目な人間でも仕事の邪魔されたら怒る。それが自分が決めたルールでもだ。総じて「休憩したくない気持ち」は発生し得る。まぁ確かに勢いが重要ってこともあるけどね。

それでも中断しようとした場合、「区切りの良いところまで」なんてやったりして、人によっては休憩すること忘れるわけだが、じゃあ予め最小単位でタスクを認識するスモールステップは都合がいいだろう。

後は限界的練習もやりやすくなる。躓いたらそこを重点的にやればいい。

まぁ説明はこれくらいにしておいて、意識しないとスモールステップは難しいだろうなという話。

ゴールが目的


私達は、「終わらせること」を目的として物事に取り掛かる。なんというか私達が取り掛かることは、基本やらなきゃいけないことか、やらせられることみたいな属性が含まれる。「やりたいこと」もそうだ。用があるのは「結果」の場合は。

仕事や雑用などは「終わらせること」が目的だろう。
趣味や私事にしたって達成が目的の場合はこれに入る。スポーツなどで行為そのものが目的ならその限りではないが、勝敗がある物事で勝利にこだわるならば、やはり「結果」を目的としていると言える。

趣味が苦痛になってきた、というのも「結果」が目的であり、それが達成しづらいのが理由の場合があるだろう。例えばイラストを描くのが楽しくてやっているのなら、それは結果を目的とはしていない。上達を目的として描くのなら、それは結果を目的としている。どっちが上達するかって言ったらまぁ多分後者な気はするが。目指しているわけだし。

では見方を変えて、「長続きしやすいのはどっちだ」としたら、多分前者だろう。前者は行為そのものが目的であり、描くことに拠って満たされる。「苦痛」となる要素がない。後者は上達が目的であり、描くことに拠っては満たされない。上達(だけ)を目的としたほうが「挫折」の可能性がある。

こうなると逆転して、「好きこそものの上手なれ」みたいに前者のほうが経験を積み、結果上達することになる。これは続けている人間と諦めた人間の比較であり、努力や技術というよりは情熱やモチベーションと言った「それに対しての意欲の寿命」の話だ。

だがこれは単純に時間軸が違うから両立が可能だ。長期目標と短期目標。最終目標と小目標。楽しむことと、何かを達成することは反発はしない。苦しくなきゃ努力じゃないって言う人もいるけど、まぁ楽しむ努力をしてないんじゃないかと疑うことはできるな。その必要があるかどうかは知らんが。

予測と計算

以上のように、何かしら行う場合には結果を予測/期待はするものだ。楽しんでやるにしたって、楽しめるという確信はあるだろう。

人は知識を蓄え、未知を既知に置き換える。ぶっちゃけて言えば、ヒューマンはスモールステップに向いてないお脳をしていらっしゃる。理屈通りに細分化し、取り組んだところで「過程」にしか見えないだろう。

実際過程ではある。10km走るのを細分化し、100mを100回やることにしたところで、100回全力疾走する奴は多分いない。

理想的なスモールステップの認識は、AIに於ける水平線効果のように一定より先が「一切見えない/考慮しない」状態にして全力で取り組むことだろうが、そんなおっかないことやりたかないわけだ。時間配分だとか、進捗状況だとかのリソース管理から、あるいは他になにか忘れてないか、見落としはないかだとか、そういったことを気にしている方がまだ安心できる、というのはあるだろう。

言うなれば、私達は物事に対して「完走する」つもりで取り組む。見えてるところだけ意識して燃え尽きる程に全力疾走するつもりは最初からない。先程の例で言えば「後99回これをやらなきゃいけない」なんて嫌でもわかっているからだ。

これ故に、タスクに対してのスモールステップを設定したとしても、それは所詮一里塚やマイルストーンとしてしか機能しない。

ステップは「過程」であり、「次」がある。「次」に気を取られて、「今」が「こなす作業」になる。ただ、普段がこれで、これ故に充実感がないとしたら、スモールステップを試みることで改善や気付きのきっかけ程度にはなるかもしれない。少なくとも進捗くらいはわかりやすくなる。

リソースについて

そしてまた、完走を意識するあまりに労力や時間、カネなどの各種リソースに対して結構ケチでもある。その結果として効率大好き人間が出来上がる。効率、コスパ、それをやる意味、それをやる価値、etc。何らかの形で(有形無形を問わず)「報酬」として機能する何かが期待できない限りはそれをやらない。効率を度外視できるのは、自分が好きなことか、リソースが潤沢にあるときだけだろう。

ケチなんだけど自分が何をどれだけ持ってるのかわかってないようにも見えるが。わからないからケチなのか。「足りなくなるかもしれない」って。

報酬について

この「報酬」も結構重要だろう。望んだ結果そのものが報酬である。拠って私達は結果を目指す。目指しているのは報酬だ、と言い換えることもできる。

こうなれば「一歩」を軽視することも説明がつく。報酬がないからだ。だって途中だし。そして終わったら次が待ってることを嫌でも知っている。細分化したの自分だからだ。

ここはひと工夫必要になるかもしれない。「報酬」になるようなものが。目標に進んでいる実感が持てれば、それに越したことはないのだけれど。

そう言えば、人間は数字を増やすことに快感を覚えるとかなんとか。進捗率の可視化は有効だろうか。どのみち減点式の目、この場合終わって当然→まだ終わってない/まだこんなにタスクがある、と思っていれば台無しになりそうだが。

時間的視点と認知について

おかしいのは、完走は「全体」の時間での問題であり、目の前のタスクは「いまここ」の時間の問題である点。先程の10km走る例とは違い、「区切り」を意識する点に於いては全体を意識することは不要だろう。

この場合のスモールステップは、どちらかと言えば脳をそれに専念させて処理するのが目的であり、一箇所に注目するべきだ。

ここに矛盾がある。リソースに対してケチなくせに、そのリソースを有効に使うつもりがない。これではただの「焦燥」だ。

また、「完走」は大体において結果ではあるが、そこに至るまでの過程の「副産物」である点。つまり結果重視だろうがなんだろうが、そこに至る過程=「一歩一歩」の方が「本体」ではないかという疑問。

私達がタスクを見る「目」は、修正の余地があるように思える。バイアス、というよりも認識するためのテンプレートが不適切なような。

まぁ細かいこと考えないでも順風満帆な限りは、一切気にする必要はなかろうが。

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