失敗が怖くて動けない、自分にできるわけがないと思う:メンタルブロック


・挑戦しようと思った時に怖気づく。責任がありそうなことは回避する。失敗が怖いから、自分にできるわけがないから。

そのような思い込みはメンタルブロックとも呼ばれる。

メンタルブロックとは

・心のブレーキ、心の壁。

・主にビジネス本なんかで使われる言葉で、心理学などの専門用語ではない。俗称に近い。

このため、意味としては広い。構図としては、
 1:何かやらなければならないこと、またはやりたいことがある
 2:それに対して「やめておこう」または「無理だ」とするイメージが湧く
 3:このせいで動けない、逃げる、回避する。
といった形。

・当人がメンタルブロックを認識する時、その者には「やりたい気持ち」もいくらかあると断言できる。気持ちは前に向いているが、「何か」が後ろから引っ張っている状態。

・他方、マーケティングなどで顧客の財布の紐が硬いことをメンタルブロックとか言ってる所があるが、そのような「他称メンタルブロック」は今回扱わない。これは相手を思い通りにしようとしなければ出てこない発想だ。あまり向社会的ではない。

メンタルブロックの例:エレファントシンドローム

・メンタルブロックの例でよく取り上げられるのがエレファントシンドローム、または「サーカスの象」と言われる逸話だ。

・子供の頃から足を鎖で繋がれていた象は、大人になり鎖を余裕で引き抜ける力を得ても、自分にそれができるとは思わない、という話。

・類似した話にノミが飛ばなくなる「ノミのサーカス」がある。

・何度も水槽の中にある間仕切りのガラスに頭をぶつけた結果、ガラスを取り払っても見えない壁を意識して向こう側に行こうとしない「カマス理論」もこれと同系統といえる。

学習性無力感の伝染と5匹のサルの実験
学習性無力感は、「伝染/感染する」とも言われている。 ■学習性無力感の伝染 学習性無力感は個人の内部で完結するとは限らず、社会的な「伝染」をする場合がある。 ※引用 ある人が、他の第三者がコントロール不可能な状況に陥って...

・総じて、自分の現実の限界より手前に、「思い込みで作られた限界」があることを指す。壁や限界を「想定」している。確認はしていない。

・ちなみに生物学的には根拠がない話で、「たとえ話」と心得たほうが良いだろう。ビジネス都市伝説ってやつ。ただ、人間には該当するとも思っている。

というか、ビジネス都市伝説自体が人間心理を表現するための寓話だ。少なくとも、「そのように見える現象」そのものはあるだろう。

メンタルブロックの原因

・大別して自己評価が低いのと、トラウマのような「学習」との2つが考えられる。

自分の過小評価と問題の過大評価

・「自分の低評価」という形の固定観念。ある意味アイデンティティ。
自分には何も変えられないみたいな。ただ、実際には「変えたくない、変わりたくない」という本心に対してのラケット感情(偽物の感情)にも見える。

「普通の人間」が十分変態的にひねくれてるもんで、今がどれだけ碌でもなくても、そう思うことは割とある。後述。

・心理学では軽視したり侮辱することをディスカウント(値引き)と呼ぶことがある。俗に言う「ディスる」言動も対象をディスカウントしている。無関係のはずなんだけど。

他者をディスるのはわかりやすいんだが、自分をディスカウントする(自分を無力として見積もる)、状況をディスカウントする(楽観視して脅威を甘く見るなど)もある。

対象の特定の部分を、値引きじゃなくて「カウントしない」という扱い。

・ディスカウントの対象は4つに分けられることがある。
 問題そのもの:問題をなかったことに、あるいは気づかないふりをする。
 問題の意味:問題の存在は認めるが、過小評価する。
 問題への解決の可能性:解決の可能性の無視または軽視。これはつまり、「自分にはどうしようもない」ということだ。
 問題解決能力:これは問題解決の可能性は認めるが、それが自分は持っていない、上手くできはしない、という状態。

メンタルブロックは不当に、「無理だ」「できない」と思うことだから、解決の可能性か解決能力をディスカウントしていると言える。

反対に、問題ややろうと思ったことに対しては、その難易度やリスクを過大評価しているようにも見える。だからこそ「無理だ」となっていないか。この場合は完璧主義にかなり近いと言える。理想が高すぎる状態。

「自分の客観的な評価」ができていない。自惚れた人間のちょうど正反対の状態。

「怖くて意見が言えない」という人もいる。このように、不安や恐怖による萎縮が大きな問題となっている。

過去の失敗

学習性無力感のように、自分には手に負えないものだという「学習」をした場合もある。

特に学習性無力感における犬を使った実験は、エレファントシンドロームの話とかなり似ている。「逃げられない」という経験を事前に与えると、その場から逃げ出そうとしなくなった話。

また、トラウマのように「避けるべきもの」としての学習もありえる。

インパスと禁止令


インパスは意識と無意識の闘争により行き詰まっている状態。メンタルブロックは「やる」と「やらない」の2つによってのインパスだと言える。交流分析やゲシュタルト療法の言葉。

・インパスの場合は、幼少期の親からの刷り込みのような「禁止令」と、現在やろうとしていることが相性が悪くて発生することが多い。

禁止令は中身が酷く、例えば「成功するな」「誰かと親しくなるな」「成長するな」などがある。もっと露骨に「何もするな」「存在するな」ってのもある。

メンタルブロックの存在が当人に知覚されるタイミングと、これら禁止令に「逆らう」タイミングとが、一致することがかなり多い。殆どは自分になにか肯定的な変化をもたらす挑戦を前にした時だ。

成功や変化への恐れ

・人は環境変化そのものをかなり嫌う。わかりやすい例だと、交流分析で「模範囚」と呼ばれる行動パターンがある。

早く出所したいと模範的な振る舞いをする囚人が、いざその時になると破壊的な行動に走り、台無しにする。

理由は社会復帰を恐れているから。同じく退院を恐れる患者が似たような行動を取ることがある。

馴染みのある刑務所の中や退屈な入院生活の方が、馴染みのない場所よりも良いとしている状態。

・メンタルブロックは、「このままでずっといたい」とする願いを叶える「ゆりかご」として機能している。

ヨナコンプレックス

・心理学者のマズローはこのような「成功への恐れ」と、そこから来る「逃げグセ」をヨナコンプレックスと呼んだ。

これを人間が大成できない大きな理由の一つであり、自己実現を妨げるとしている。

メンタルブロックが感知されるタイミングがまさに自己実現を意識したタイミングと一致するだろう。

メンタルブロックは解決するか

カマス理論の続き

・先程エレファントシンドロームとそれに類似する物を話したが、カマス理論にだけ、面白いオチがあることを紹介しておこう。これだけ解決法が含まれている。

ガラスに頭ぶつけ続けて「学習した」カマスは、ガラスを水槽から取り除いても向こう側にはいかない。メンタルブロックがある状態。

ただ、「新しいカマス」を入れると、そいつらが悠々と向こう側へ行く様を見て、向こう側に「今は行ける」と再学習する。これで治るという話。

まぁビジネス都市伝説だというのは前述のとおりだが。

ティムフェリスの問い

・同じく「他者」の存在による打破では、実業家のティムフェリスがもっと面白い事を言っていたな。

心に留めておくべき問として、「自分より知性ややる気で劣る人間で、これをやってのけた人間は過去に居るだろうか?」と。その答えはおそらく「はい」であるだろうと。

メンタルブロックは、その対象 対 自分というわかりやすい構図だ。一対一だ。だからこそ自分が「敵」を過大評価している場合、気づくのが遅れる事がある。

他人(それも自分より劣る者)がそれをぶん殴ってる様を想像したら、萎縮する余地は減るだろう。

プラス面を認める

・メンタルブロックとそれにより得ている物を認める必要がある。これは殆ど自分と向き合うことに等しい。

・メンタルブロックは自動的な安全装置として機能しており、当人を環境変化やリスクから遠ざけている。

問題となるのは自ら環境を変化させようとリスクを踏むことを選んだ時だ。この時に安全装置は邪魔になる。わかっていて進もうとしているのだから。

・はっきり言ってしまえば、成功も、成長も、あるいは何者かになることも、別に義務ではない。この上でそれをやるべきだと思っているのが内から湧いた本心であるのなら、メンタルブロックは今回は不要となる。

・押し付けられたものに対しての「そうはなりたくない」という気持ちがあるのなら、メンタルブロックの方こそ本心となる。

アンダードッグやインパスの話を考えるとその可能性はある。

・まぁ、大抵はメンタルブロックは不要だ。というか、挑戦には恐怖心が湧くのが普通。この上で感情は、目先のことしか考えず、「嫌だからやりたくない」というストレートな動機で死ぬほど暴れる。それでも挑戦して失敗すると、死ぬほどドヤる。後も先もスルーするのが大体正解だったりする。

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