性格が変化することについて

なんか性格分析の結果が変わってた

先日ビッグファイブやってみたら、誠実性(勤勉性とも)がなんか上がってた。88%とかに。

「私のwwww誠実性がwwww高いわけねぇだろwwww」と爆笑しながら(無表情)何度かやってみても結果が変わらない。100問以上あってめんどくさいのに。

ちょっとしたきっかけを得て16診断の方もやってみたら、こちらも昔やったのと変わっていて今はINTJ(建築家)となっていた。以前はINTPだかINJPだか。内向-直感という点に変化はないようだ。

今回は私の誠実性が高くないことを証明するために、各用語の説明とかしない。

思い当たる要素

誠実性はドブに捨てといて、性格が変化する、というのは別におかしな話でもない。
特に特定の性格論は元から「外的な観察に依って評価できる」という主張がある。言い方を変えれば、「性格とは、その者の言動に依って言い表される」ということ。

なので同じ性格でも原因は違ったり、内面が違う余地も有る。


さっきは「今回は私の誠実性が高くないことを証明するために、各用語の説明とかしない」って書いたが、多分だが誠実性は他者に対してじゃなくて、タスクや仕事に対してって意味のほうが強い。他者に対しては「協調性」の領域だろう。

この上で、誠実性がGRIT、つまり「やり遂げる力」と関連があるどころか「同じなんじゃないのこれ」という意見が出ているそうな。

ビッグファイブや16診断をやっている時に、計画性に関する質問に関してはちょっとスタンス変わったかな、という実感はあった。要するになんぞ真面目臭いことやったせいで変わっちゃった可能性。


ここしばらくで今までと違うことやってたか、それっぽいことやってたかと言えば、心当たりは

  1. 最近努力やら行動力やらの記事ばっか書いてた気がする
  2. 出来心で週6記事上げ続けるようになって2週間位?

このあたりか。1で影響受けたか、2で変質したか。

要はアインシュテルング効果が怪しいという話。

アインシュテルング効果について
・多くの認知バイアスの根源にあるものとされる。 ・処理流暢性にかなり近い。 アインシュテルング効果/構え効果とは ・簡単に言ってしまえば、「成功体験に固執する心理的メカニズム」。 ...

 

で、2の方でパターン組んで、それ守ってるので、誠実性上がるとしたらそれかね。2週間ってのも可塑性から考えてそろそろ、って期間だし。3週間説もあるけど。

これは私にとっては今まで(コンフォートゾーン)よりも少し頑張る必要がある(ストレッチゾーン)ため、限界的練習として、変なところに経験値が入ったかもしれない。

望ましい困難とコンフォートゾーンから見る練習が身につく前に慣れることについて
コンフォートゾーンから見てみる。主にパフォーマンスを発揮することと難易度との関係についての概念。コンフォートゾーン:快適でいられる領域:やり慣れた、特に気負わずにできる行動。ストレッチゾーン:ラーニングゾーンとも:真剣にや...

 

性格の外的な影響

私は元から、性格が内面から発生したという説には否定的な立場では有る。だからこそ性格=持って生まれたものという扱いや、運命論的な解釈は否定するのだが。心の中の発言である内言も、外言が先で内言が後から発達するって説があったな。

生物は元から適応力発揮してなんぼというか、できなかったら死ぬ世界だったわけで。生き残った生物である我々は、適応「してしまう」こと、つまりは影響の受けやすさの問題があっても不思議はない。


例えば自己啓発の類の本を読んで、なんかやる気が出てきたとかそういう話は多い。あれがすぐに萎えるのは、恐らく本を読み終わったからであり、つまりは一時的な影響が考えられる。

研究で類似した話はあり、例えばローカスオブコントロール(結果に対して原因が自分にあると思うか、外部に有ると思うか)は、人が努力している系のビデオ見せてから測るとインターナル(自分が動けば結果が出せる的な)な属性に偏ったそうだ。

逆は半分くらいしか影響を受けなかったそうで、影響を受けやすい属性、受けにくい属性は有ると思うが。

多分これも自己啓発本みたいな「一時的な影響」だろう。もしもその火を消さなければ、性質・性格となったかもしれない。

やり遂げる力と自信にまつわる心理:ローカスオブコントロール
 これは、一種の「信念」とされ、「物事の見え方」に影響を与える。・ローカスオブコントロール(Locus of Control: LOC) 、あるいは統制の所在。学習理論、或いは教育心理学の用語とされる。内的統制と外的統制が...

これらは当人が萎えるとか諦めるとか飽きるとかもあるが、それ以上に「日常に上書きされる」「日常の中にそれを置く余地がない」というのも大きいのではないか。

逆を言えば、日常はその者の性格を維持している面はある。

例えばアダルトチルドレン。家庭内で見出した、あるいは背負わされてきた「役割」が、成人後も抜けきれずに性格・人格として生きづらさに繋がるような話など。

アダルトチルドレンの6つのタイプ
→完璧主義関連のメインページへ・アダルトチルドレンは現在は「機能不全家族で育った子供」というような意味で使われている。この6つはタイプ、役割、性格などと言われるが、細分化すればもっとあるだろうし、一つに留まらないとも言われている。ま...

これに連なり他者がそうであることを求める、あるいは決めつける「ステレオタイプ」もまた、当人の性格に影響を与える。従順にそのとおりになるか、あるいは反発して正反対になるかは分かれるが、無関係でいるのは難しい。

私は血液型の性格分析は根拠が弱いと判断しているが、「生まれた順番」例えば長男は、長女は、二番目の子は、末っ子はなんてステレオタイプはだいたい当たっている気がしている。
一人っ子はともかくそれ以外は本人が自覚し得るステレオタイプであり(兄だからこうでなくてはならない、など)、これは同じ家庭でも立場が違い、すなわち「環境」が違う。傾向程度はあるのでは、と。

性格の復元性というか恒常性は、日常により演出されているものではないか、実質的には常日頃から「行動」と「日常」両者の性格の上書き合戦が行われているのではないか、と思わなくもない。

日常そのものというよりも対応するスタンス、日常に対しての定型化した適応の仕方に依ってか。日常変えるよか態度変えたほうがコスパ良い。変えたければの話だが。


あとは、性格とは所詮「成れの果て」だという認識も強くなるな。結局は能動的にどう動いたかの集積というか。

これ関しては大抵は、先に性格があり、次に行動があるというのが常だという認識が持たれているか。特に人間は他者に対してはそう思いやすいバイアスがある。性格にやたらと帰属するような。

「自動運転」ではたしかにその通りといっても差し支えないと考える。ただし意識的に割り込み能動的に動くことはできるので、やっぱり決めつけになりやすい。日頃の行い的にそう思われるだろそりゃってのもあるけどね。

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