やる気

最後までその方法でやり遂げるべきか否か

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あっちのほうが良いかもとか、こっちのやり方のほうが効率が良さそうだとか。
そうやって浮気して、いつまでも終わらないとか、何も形にならないとかあるわけで。
これに対して終わらせることが肝要だ、という話もある。実際の所どうなんだろうか。

やらない理由について

目的自体は破棄されていない

・無駄/効率が悪いと感じていることが大きいだろう。裏を返せば、目標への動機自体はまだ破棄されていない。

「もっと速く目標達成できるかも知れない」という別のモチベーションが生まれている。従来のルートと違う道を進もうとする動機が。

設問がまだ甘かった。今回は「目的自体を諦めたい/止めたい」というのは除外しよう。「このやり方で最後までやり遂げるべきか否か」、とする。

・諦めない限りは、目的そのものがブレまくる人間はそうはいない。優柔不断の代名詞である付和雷同な者でも、「周りに取り残されないようにする」というゴールに対しては一貫している。意見はブレまくるが、それを「手段」として見れば何もおかしくなくなる。


・この浮気心は手段についての迷いや、やっていることへの価値に対しての疑念ということになる。
ゴールに対して、もっと速くできるかもしれない、もっと良いものにできるかもしれない、という時間や質に対しての欲。

これは一種の贅沢病に近い気もする。目的を「もう叶えたつもりでいる」。だからもっと速く、もっとクオリティを高くとオプションへの欲が出てきているような。終わってないのにこんなつもりになるというのは、普通にありえる。

・人間がやる気を出すのは報酬ではなく、「報酬を得られるという予測」だとする説がある。
報酬予期、、報酬期待などと呼ばれるこの予測は、実際に脳の報酬系を刺激し、やる気を出す。

(なお、予測と現実にプラス方向に誤差がある場合、脳は喜び、それを学習し、次の報酬予測はこれを加味したものとなる。反対に差がない場合には反応が鈍くなる。これが「飽き」という奴だろう。)

ともかく、現実の進捗ではなく「予測」で脳が動いているということ。つまりは「達成可能」だと判断した時点で達成したつもりになっていても別に不思議ではない。別の話だと、「もうすぐゴールだ」と思った瞬間にスペックがガタ落ちするという話がある。これも「終わったつもりになって脳が頑張るのを止めた」と考えられている。

他にも、自分を追い込むために目標を周りに宣言しろ、というライフハックがある。これは一定の効果はあるのだが、一部の人間は宣言して回った時点でなんかもう達成した気分になっちゃって勉強量が減った、という調査結果もある。

ゴールにたどり着けるかどうかの不安

・反対に、「このままこれを続けていて大丈夫なのか」という不安の場合ももちろんあるだろう。方法への不安/不信。違う方法へ飛びつきたい欲求の発生源としては妥当である。

即時フィードバック(すぐに手応え/反応があること)があるとやる気は出やすい。反対に、手応えがないのに結果が出るまでそれをやり続けろ、というのはしんどいものがある。自分は全く無駄な、間違ったことに時間や労力を注いでいるのではないかと不安になっても不思議はない。この時に「もっといい方法」っぽいものが目に入ったら、飛びつきたくもなるだろう。

やるべき理由について

今までがもったいないから

サンクコストじゃねーかな。

一度やると決めたから

・一見ご立派だが、度が過ぎると病気臭い。

いつまでも成果を得られないから

・はいすいません。ここだな。

・行動や過程自体が目的であることは、良いことだとされることはあまりない。行動は結果を目的としてのものであり、そこに至らないのなら基本的にやる意味がない。遊びに属するものなら別だけど。

・また、結果に至らないということは、その作業の「仕上げ」の経験値を得る機会を失うということだ。やり遂げる数自体が少ないということは、「仕上げ」の経験を積む機会が圧倒的に減ることになる。

絵で例えるなら、下書き描くのは超早くてうまいが、仕上げは経験値不足のせいでクソ遅いそしてヘボいとかそんな感じだろうか。これでは「下書きだけが上手い人」になる。まぁ多分よろしくないだろう。

ゴールをどこにするか

・浮気心の原因が終わったつもりになっているからか、不安だからかで対処の方針は分かれるだろう。

・終わったつもりである場合、まぁ、「現実の進捗度」でも見て正気を取り戻したほうが良いと思われる。

少なくとも能力的にも自信的にも「終わらせることができる」はずなので、そのまま最後まで走ったほうが恐らく良い。大体途中までもうやってんだから、今更効率のいい方法に乗り換えたところで恩恵少ないだろう。

・原因が「不安」である場合は難しい。その不安が妥当であるならば、今の道はよろしくないということになる。しかし正しい努力をしていても手応えがない場合には、同じく不安を感じ、道を変えたくなるだろう。

「石橋を叩いて壊す」ということをやりかねないのが最大の懸念点だ。何れにせよ、その不安が本当に正しいものなのかどうかは一考の余地があると思われる。正しいのなら従えばいいし、気の所為ならば、その考察は今の道への自信に繋がるかも知れない。







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