人間関係 社会 視点

悪人か無能か

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・人物AとBがCについて話していた。Cは言動に問題があり、というか最悪であり、AとBは辟易している。

AはCを「悪人」であると言った。
BはCを「無能」であると言った。

ちなみにどちらもCとは付き合いがそこそこ長く、比較的よく知っているとする。

悪人

・A曰く、「悪意がなければあのようなことはできない」。
悪い行いとは、悪意がなければできないものであり、悪い行いをするからには、その者は悪意を持っていると。

・AはCを「人に嫌がらせをするのが趣味のサイコパス」だと評する。


無能

・B曰く、「考えや判断材料に抜けがあるならああいうことをやらかす」。悪い行いとは、悪意がなくてもできるものであり、悪い行いをしたとしても、その者に悪意があるとは限らないと。


・BはCを「視野狭窄で衝動的な、自制心に於いての無能」だと評する。どのみちボロクソである。


性善説というか、意志決定主義というか

・実際の性善説はもうちょっと奥が深いが、Aの人間観はそれでも「」と言えるだろう。「悪気がなければ悪いことはできない」というのは、人は自然体では問題を起こさないことになる。

一方でAはCを許すのではなく悪人であるとしている。その根拠は「悪いことをするから」だ。額面通りに捉えれば、これは人の言動は全て意思によって行なわれているという前提での見方となる。
だが「無意識」というのはあるし、数々の研究で脳に自由意志があるのかどうかからしてだんだん怪しくなってきているのが現実だ。筋肉や脂肪が脳に指示をだしていたりね。

・この価値観は「無責任」や「衝動性」に非常に弱い。馬鹿が行う馬鹿なことに、その馬鹿は責任を持たなくて良くなる。

「悪いことを考えなければ悪いことはしない」+「悪いことをやったからには悪いことを考えたはずだ」というのは、たとえミスに対しても「」を見出していることになる。

「運/確率」に対しても非常に弱い。人の言動を全て、意思決定による必然としているなら。単純に「間が悪かった」程度の話を悪意を持った計画として見なしかねない。

つまり「この性善説」は、被害妄想とそこから派生する他者への攻撃性(当人からしてみれば正当防衛)の温床になる。これはこれで危険人物ではなかろうか。


・この性善説の最大の弱点は、
「悪意がなければ許さなければならない」+「相手が自分に被害を出した(あるいは巻き込んだ)」=「悪意がなかったと認めたくない」となりやすいことだ。

言い方を変えれば、「相手を批難する資格は悪人の被害者だけ」という価値観。で、批難したい動機を持つ場合には悪人認定したくなる。

「悪意がなければ悪いことはできない」という前提のせいでここまで来る。自分の「被害を受けたから文句を言う資格」を保証するために。


・ちなみに本来の性善説は、人の本性は善だから頑張ればいい人になれるよ、という意味。
一方性悪説は、人の本性は悪であり、人の為す善は偽(ここではニセモノではなくて「人為的/意識的」という意味)であり、頑張らないといい人になれないよという意味。
実はどっちも似たようなことを言っている。どちらも「努力しなくても人は善人である」とは言ってない。

一方Aの性善説は「悪いことは悪いこと考えなきゃできないはずだ」であり、全くこれらとは違う。この上で許せないなら、「お前は悪意を持って悪行を実行した」、と帰属し攻撃的になる。

別に許すべきだとも言っていない。ただ、そのための口実としての悪人認定もまたいらないだろう。

ハンロンの剃刀

“Never attribute to malice that which is adequately explained by stupidity.”(愚かさによって十分説明されることに、悪意を見出してはいけない)

https://dic.nicovideo.jp/a/ハンロンの剃刀


・BがCを無能と評しているのは、これと同じ考えだからだ。Cを直感と衝動だけで動いていると見ており、それは自制心に対しての無能さで行動の説明が十分につつ。それ以上の「想像による付け足し」をしないため。

Bとしては、人の犯す悪行は悪意よりも怠慢、油断、軽率さなどによる「人為的ミス」の方が多い。B的にはだから許すという話でもなく、罪は罪である。あくまでも事実として悪意を持っていないと考えているから、悪人とは言えないというそれだけの話。

面白いことにAもBも「悪意があるなら悪人だ」、という点では一致している。ただA的には悪意がないなら許さなければならないし、B的には悪意に関係なく「行動は悪い」となる辺りは別れている。どっちが甘いのかよくわからん話だ。

・ハンロンの剃刀はこう続くパターンもある。「ただし、悪意の存在を除外してはならない」。
確かにBの考えそれだけでは、平和ボケしていると言える。悪意を明確に持つ者=悪人に対して致命的な脆弱性を持つことにもなる。特に無能を演じる者に。

やったことが悪ければ悪い、とはするがこれは事後処理の話だ。計画的な悪意への用心としては弱いだろう。一転して前述の偽性善説の方が防御システムとしてはマシなほどにだ。度が過ぎれば、物事を「失敗/偶然」として片付けすぎることにもなりかねない。

・一方で、馬鹿だと思われたくないばかりに、ミスなのに「わかっててわざとやった」と主張する輩も少なからずいる。流石に子供に多いが。
確かに馬鹿であることにはならないが、その分問題児であることになるのでまぁミスしないのが一番だな。


反対に、わざとやっておいて「悪気はなかった」というのも普通にいる。こちらは大人でも多い。まぁその行動が本当に悪いかどうかからして怪しいケースも多いが。つまり評価者の不正も疑えるということ。


・AがCを嫌いなのは「自分に悪意を向けているから」。
BがCを嫌いなのは「またやるから」。
Bの方が客観性はあるだろう。

ちなみにCがAとBに嫌われている本当の理由は、素行以上に言い訳や逆ギレが原因である。







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