ダン・アリエリー 仕事のやりがいとは何か?
・カネだけがモチベーションを左右するのではない、という意見は結構あるが、それに強く反発する者たちも居る。まぁ、「やりがい搾取」なんて言われるようなサイコパスなことやってる連中も居るので、警戒されても仕方ない所あるが。
ただ、ここで紹介されている実験では「体感」は思いの外モチベーションに左右するのは事実であると捉えられる。やはり直感的な視野は相当狭く、後で手に入る報酬よりも直後に訪れるであろう快/不快の影響力が大きいのだろう。頭ではやるべきだとわかっていても嫌なものは嫌とか言うあれ。
「人が幸せになる事だけを考えるなら」
これは確かにそうだ。「快」だけを求めるなら、安楽に耽り、自分から苦労するようなことなんてするわけがない。だが現実にはそうでもない。自分からめんどくさいことやらしんどいことやら初めたりする。それを結構楽しめる。
例に上がった登山は道中のあらゆることは物理的に全部辛いこととしたら、最後のゴールの瞬間だけが「快」を齎すだろう。これだけで考えれば、ゴールの達成感は「不快な状況からの開放感」とも取れるが。
では途中には価値がないのか。どうやらそうでもないようだ。では最後の瞬間を彩るスパイスとして機能するのか。割りに合ってるとは思えない。
どうも人間は、「目的のために歩を進める」事自体に充実感でも感じているようだ。苦労自体を過程として楽しんでいるかのような。「成果」ではなく「自分にとって意義ある行動」に感じる充実感。
なんというか、幸福よりも「生きがい」の方が、人は欲しいのかもしれない。
レゴ
・レゴってこんなRPGに出てくる敵みたいな見た目だっけ? まぁ踏んだら痛いのがレゴだからな。条件は満たしてるな。
・レゴを作る2つの状況、作ったものをその場で解体しない/解体するにおいて、どちらも被験者は後で作ったものは解体されること自体は知っていた。この2つが違ったのは「目の前でやられたか否か」だけだとも言える。
被験者が受けた刺激の内、違うのがこれだけだとすれば、つまりは苦労を無碍にされること自体がモチベーションを下げる。
・実験の3つ目のケース、実験内容の説明をしてどちらがどのくらいやる気が出るか予測を立ててもらうことに於いては、モチベーションの変化の過小評価が見られている。目の前で解体されたらやる気が無くなるだろうけど、1つくらいしか差はないだろう、と。実際には11:7と結構大きい。
つまり人間は予測される精神的ダメージを軽く見積もる傾向がある可能性。まぁ過大に見積もるケースもあるのだけれど。軽く見積もってたほうが行動には移せるから良いのかもしれないな。
・最も重く受け止めるべきは、やる気を無くすことに於いては「好き嫌いとは関係なかった」という点だろう。一般のイメージとしては「好きなら続けられるはずだ」と自他に対して思いそうなものだが、好き嫌いは数字には出なかった。これは「台無しにする奴」がいた場合、好きなものでもやる気なくすということでもある。
逆にマイナスの刺激がない、トーク中で「意義がある」とされた実験に於いては、レゴ好きはやる気を出していた。意義があると言っても目の前で解体されないってだけである。総じて好きならやる気は出るが、そのやる気はデリケートで壊れやすいと言う他ないだろう。
転職理由には職場の人間が理由になることが多いらしいが、まぁ妥当な結果かもしれない。またこれらを「我慢しろ」の一言で片付けるのも無理があるかもな。
・繰り返しになるが、被験者は「どちらのケースでも最終的に作ったものは解体される事は知っていた」。違いは「目の前でやられたかどうか」だけであること。知っていることとそれを見ることではショックが違ったということ。それがそのまま作成数に出ている。
自分にとっての悪いニュースをいちいち確認するのも、程々にしたほうが良いのだろう。「思ったとおりだった」ことを確認しただけでダメージ食らってるということになるし。
・この後に語られているシアトルの大企業の話でも、「やったことが無駄になった」ことが従業員の勤務態度に露骨に影響している。
シジフォス
・私も何度か例に出したことがある。シジフォス、賽の河原、囚人に穴掘らせてそれ埋めさせること。意味のない徒労を繰り返すことは苦行であること。
パワポ作ってた生徒は、資料が無価値になったから落ち込んだわけで、それまでは充実しているとすら感じていた。やっていることが無価値になる、或いは「やっても意味がない」と思うことは、やりがいを相当減らすことになるようだ。
トーク内の実験では色々と「わかりやすく」モチベーションを減衰させたが、個人が勝手に「これには意味がない」と思ってしまえば、細工の必要もなく一人だけ勝手にパフォーマンスは落ちるだろう。逆を言えば意味やら価値やらにこだわりすぎる性格の場合、モチベの上下が激しいかもしれない。
2つ目の実験
ランダムな文字が印刷されたプリントから連続した文字を探すタスク。終わるたびに、次はもっと安い金額でやるよう持ちかける。3パターン。
1:被験者はプリントに自分の名前を書き、実験者はそのタスクに目を通し、「はいどうも」と言い、次を依頼する。
2:被験者は名前を書かず、実験者は紙を受け取っても見もせず、確認をせず、ただ紙束の上に乗せ、次を依頼する。
3:実験者は紙を受け取ってすぐさまシュレッダーにかけ、次を依頼する。
・1はささやかながらリアクションがあり、プリントに名前を書くことは自身の仕事である証明であり、結構ポイントを抑えているようにも見える。1のパターンがいちばん多く仕事を続けられた。続けるたびに報酬は下がるルールのため、一番最低で15セント。
交流分析で言う「ストローク」、まぁ交流とかリアクションとか、相手の存在/行為を認めるものが実験者の態度にあった、とも言える。
・2は1と比べて非常にドライであり、確認を一切していない。頑張っていようが手を抜いていようが認知されない。「無視の状況下」。3のシュレッダーとほぼ同程度にやる気は削がれている。
・3はもう、なんだ、サイコパスかサディストか。これやって次を依頼するって実験者も鉄面皮じゃなきゃできんな。一番続いた者でも30セントでギブアップ。
・面白いのが、ダン・アリエリーの言う通り、3は証拠が残らないため一番「楽して稼げる」とも取れる点。2もまた名前を書かないし確認もされないため、手を抜いてもばれないだろう。
この見方で行けば「1が最もリスクが有る」。責任と言ってもいい。ズルしたらバレるし、ミスがあったらそれも自分だと発覚する。でも一番「やりがい」を被験者は感じ、続けた。
責任を果たす(取るのではなく)ことに意義を感じているのかもしれない。社会的な欲求が満たされるのか。社会的な欲求の上下が理由だとするなら、この場合の社会=実験者の反応が薄い/否定的な態度であることが継続か否かに直結していることの理由になるかもしれない。
・2と3が同程度にやる気を削いだ。サイコパスやサディストしかやらないような所業を受けた時と同じくらいのモチベの低下を「無視」が齎した。
引退すると発表した各分野のアーティストに対しての、応援していたのにとか、ファンだったとか、残念だとか言ったのの返しとして「もっと早く言ってほしかった」ってのがあるわけだが、当人にとっては「無視」に近い、ここで言う「無視の状況下」に近い心理的状況だったのかもしれないな。まぁ気持ちは形にしないと伝わらないからね。
・「はいどうも」程度で相手のやる気を高めることができる点。それすらないこともまぁ、多いだろう。逆に相手のやる気を高めようとしてやりすぎてしまう人には、加減するべきだという示唆にもなるだろう。自然でささやかな肯定くらいがいいのかもしれない。
メモ
・ただやっぱり、「無視」が大ダメージというのは厄介だな。このトーク内だけならまだ綺麗にまとまるんだが、例えば過敏型の自己愛みたいに自分に「もっと評価されるべき」タグつけてるようなタイプとかだと。或いは悲観的な自意識過剰と言うか、自分は注目されている(見張られている)と思い込んでいるタイプ。総じて「ノーリアクションであることに過剰反応する」可能性を持つ者たちは、無視と感じる機会が多いだろう。
・また、よく考えてみれば最初の例で出ていた登山家は自己完結しているとも言える。いや、本出したりできるんだからそうでもないのか? インタビューとかも受けるかもしれないし、どこかに名前が残るかもしれない。そう考えると外部評価はゼロとは言えないか。
では評価の自己完結は無理なのだろうか。自分でこれは意義あることだと思い、自分でそれを達成し、自分でそれに満足し、自分で自分を報いることは。できそうなような、難しいような。