・まぁなるけどね。もったいぶる余地がないくらい「そりゃなるだろ」って思うよね。ちゃんと休めば大丈夫だろうけどね。休まないからね。
・燃え尽き症候群。バーンアウトとも呼ばれ、今まで元気だったのが死んだ目で仕事するようになること。
ただし、「燃え尽き症候群」と呼ばれるものの他にも「燃え尽き」はいくらか示唆されている。症状……というか成れの果ては同じだが(うつ状態)、経緯は職場とは関係ないものもいくつか。
バーンアウト
・概要としては「仕事のし過ぎでうつになった」ことを指す。多くに共通する自覚症状は「燃え尽きた感覚」がすること。
一般では「頑張りすぎて今はだるい」みたいな状態を指する言葉でもある。深刻度は違うが、流れは同じ。
・心理学的にはうつ状態。そこに至る経緯として職務上のストレスがある。
ただ、言葉としての「仕事」は、義務や責任を持って行う作業全般を指すことが多い。
すなわち給料も出ない自発的な活動だとしても無縁ではない。
実際に「子育てバーンアウト」なる現象も研究されている。
・精神状態としてはうつ。対人面では思いやりのないロボットのような対応に言動が傾く(脱人格化)。
達成感や充実感が感じられなくなるため、なおさら義務感が増す。悪いスパイラルに陥りやすい。
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子育てバーンアウト
・子育てにまつわる悩みやストレスからのバーンアウト。
・「母親」という役割は、感情労働に当てはめられることがある。
感情労働とは、感情の抑制、鈍麻、緊張、忍耐などが「絶対的に必要」である労働を意味する。
「愛想」が必要とされるものと思えばいいだろう。怒りを抑えたり笑顔を作ることが仕事の内に入っているもの。福祉やサービス業が代表例だが、対人関係によってもこの緊張はもたらされる。
この点に於いては育児は感情労働とは言える。育児の大変さと言えば作業量に目が行きがちだが、子の精神衛生のために感情の次元での気遣いはかなり多い。そして感情労働は燃え尽きやすい。
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ポモドーロ・テクニックのバーンアウト
・25分集中して、5分休憩するポモドーロ・テクニック。原則がいくつかあり、その内の一つは「バーンアウトを避けよ」である。
ここでのバーンアウトは、働きすぎた時に感じる「煙を出しながら走っている感覚」を指している。平たく言えば無理をして頑張っている状態。
・ポモドーロテクニックは休憩がうざいと言われることが多い。まだ行ける、せっかく集中してきたのにもったいない、と。だが燃え尽きはこのせいで起きる。
ポモは疲れてからではなく定期的強制的に休憩を取ることによって、後のバーンアウトを予防している。
・類似した作業ペースの配分であるユージンシュワルツの33分33秒の法則や48-12や52-17の法則から見ても、休憩は義務に近い扱いをされている。
共通する考えは疲れてからではなく、疲れる前に休むこと。いずれも勉強、執筆、仕事など長丁場を前提としているため、やる気を出して頑張るのではなく安定して走れる長距離走的な考えに近い。
この考えは、一般的な(つまり自主的な張り切り過ぎによる)燃え尽きの予防にも使えるだろう。
ワーカホリック
・「仕事中毒」を指す。holic =中毒。
仕事依存と訳されることもある。
仕事へのモチベーションが「働きたい」ではなくて「働かなければならない」なので、「仕事好き」とは別物とされる。
・フロイデンバーガーが燃え尽き症候群を見出すに至った「同僚たち」は、みな初めは精力的だった。
・一般には仕事大好き人間もワーカホリックと呼ばれることは珍しくない。
正確にはワーカホリックは「不快感を持っているが仕事に対しての活動水準は高い」状態を指す。
この不快感は「嫌悪感」とは限らない。プレッシャーや責任感などの必要ではあるが多すぎれば精神衛生上よろしくない属性を含める(真面目さはこれに入る)。
仕事への認識は「私は働かなければならない」となるのはこのプレッシャーや責任感からだろう。
・仕事のために自身の健康や家庭を時に犠牲にする。このため過労死や熟年離婚を招くともされる。
出社拒否症とワーカホリック
・出社拒否症。そのまま会社に行こうと思うと呼吸が荒くなったり体が動かなくなったり失踪したりする症状がある。
診断名としてはこれは適応障害とされ、こちらもうつの一種。
やはりそうなる前では仕事人間だったことが多い。ただし主観的には「必死だった」というものがこちらは多い。
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仕事への認識とワーカホリック
・国や文化で仕事の重み付けが違うため、仕事依存になる経緯も異なるとされる。
日本の場合、滅私奉公だの骨を埋める覚悟だのがよろしいとされてきた経緯もあり、特に事情がなくてもやりすぎる傾向はある。
これは有給休暇を取るのが心苦しいとかに現れている(権利の行使、主張すらできない空気、実際にそれをさせない構造)。
総じて日本人の場合、己の美学に酔うナルシシズム、個を主張するのを良しとしない同調圧力などから「私は働かなければならない」とは思いやすいだろう(昔と比べればいくらかまともになってきてはいる)。
競争を煽る成果主義
・個人の仕事への認知と同じかそれ以上に、労働環境が当人に求める/強制するものは影響が大きい。
最近聞いた話では、大手二社が安直な成果主義/能力主義を打ち出した所、「成果」の奪い合いが発生し、地味な裏方作業は誰もやらなくなり、後継者育成は直接成果に繋がらないため低評価され教育係はクビとなり、完全に裏目に出たとのこと。
どう見てもバカだが、プレイヤーに取っては「一生懸命生存競争してます」ってだけだからな。止まらない。このような環境はテイカー(利己的な持ち去る者)発生の原因の一つとされることもある。
・第三者から見た勤務態度は「活動的」となるため、後述のワークエンゲージメントと見分けることは一般的には容易ではないだろう。
人格適応論:責任感のある仕事中毒者
・性格分類の一つである人格適応論の中に、そのまま「責任感のある仕事中毒者」という性格がある。
特徴としては、
- 完璧主義、抑圧的、真面目
- すべてのものに責任を持とうとする
- 相手に認められるために完璧にやろうとする
- 良心的ではあるが、時に言い訳がましく、他者批判的になることもある
・このタイプは成果を強調した褒め方(親の養育スタイル)をされると6歳くらいまでに発達するとされている。
似たような話で、条件付き愛情(言うことを聞くならいい子、みたいなの)が完璧主義になる原因になることもある。
・別名思考型、あるいは強迫観念型。実際「1人でできなきゃ自分に価値はない」という強迫観念を持っていることはある。
改めて言うが、これは性格の話で、障害とは違う。性格自体に良し悪しはなく、正常にも異常にもなり得るとされる。
強迫観念という呼び方は、元々人格適応論がパーソナリティ障害の分類名から取られた経緯があるため。別の者がもうちょっとマイルドな名前を付けた。
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ワークエンゲージメント
・仕事にやりがいを感じている仕事大好き人間のこと。仕事へ熱意、没頭、活力がある状態。生産性も高いとされる。
ワーカホリックと混同されている。ブランドやショップ名で「ワーカホリック」とかあるくらいだし。もちろんなんかこうポジティブな意味の扱いで。ビジネス本でもワーカホリックになろうみたいないうアレなタイトルがあったりもした。多分エンゲージメントの方を指してるんだろう。多分。
・いわゆる「働き方改革」の成功例は、残業時間が減り、それでも業績が落ちないか伸びる(生産性の向上)。
会社が何をやったかと言えば、大抵が従業員から見た仕事のしやすさや居心地の良さの向上が多い(仕事への不快感の排除あるいは減少)。
ついでに言えば、生産性を評価する制度にしたら生産性が上がったという安直な例もある。先程の成果主義の失敗例と似たように見えるが、評価基準の中身で結果も分かれた。
(似たような例として、テストの点を褒めるか、本を読んだら褒めるかで、後者のみ成績が伸びたという話がある。成果を褒めるか、成果につながる行動を褒めるかの違い)
逆を言えばそれまで「残業したほうが儲かる」「人のために頑張っても損をする」と思わせる企業制度/体質だったということ。
・ワークエンゲージメントの仕事への認識は「私は働きたい」であり、ここがワーカホリックと違う。大体よろしいこととしてべた褒めされてる。
好きで仕事しててぶっ倒れる
・ただこれ、燃え尽きる人の3タイプ目になりかねない。
好きで仕事しててぶっ倒れることは普通にありえる。心労は無いんだろうが、疲労はないのではなく感じないだけだ。
脳内ホルモンの中にはモルヒネより強い麻酔効果を持つものもあるが、別に疲労回復しているわけでもない。休息が不十分であれば、ガタは来る。この話は、ADHDに見られる過集中に近い。
・燃え尽き症候群となった者たちの体験談は、初めは精力的であり、主観としてもやる気と希望に満ちていたような状態が多く見られる。
ワークエンゲージメントは西洋発症の概念であり、「仕事は生活の糧を得るもの」という前提に基づいている。だからやり過ぎのワーカホリックが悪目立ちする。このため西洋人の価値観では「働きたい」が動機の場合、別にやりすぎずに自分から止まれることは想像に難くない。
日本の場合、勤勉へのナルシストというか真面目へのナルシストというか、まぁそう言うのは実際多い。好きでやってて自分で自分にうっとりできることを、今日はここまでと止まれるかっつったら、まぁ怪しい。
・まぁちゃんと休めばいいだけの話だし、ワークエンゲージメントの状態は充実感があるからね。ぐっすり眠れるならやっぱり幸福な状態だろうけど。
結局のところ、張り切り過ぎによる持続可能性(サステナビリティ)の崩壊は燃え尽き症候群に繋がるのは確かだろう。
メモ
「働かなければならない」
・バーンアウトとワーカホリックは活動水準こそ違うが、仕事への認知や態度が「不快」な点は共通している。たとえ仕事は好きでも上司と同僚は死ね、あとクライアントも死ねってケースもある。
完璧で幸福な職場、ってのはちょっと考えづらい。感受性の問題もあるけどね。人にとって対人は元からストレスだし。電話がかかってくると脈拍上がるとか、メールの返信書いてる時にかなりのストレスが計測できるとか、そう言う話もある。
・多くの働いている人にとって、働かなければならないのは事実ではある。気に食わないことも気に病むこともあるだろう。
それでも平日は毎日出社なわけで、そして「自分がどんな状態でも毎回同じ品質で同じ結果を出さなければならない」という形態自体がストレスになりやすい。
・まぁ何が言いたいかって言うと、仕事とは元から義務感や責任感を感じやすい。実際義務みたいなもんだし責任もあるからそりゃそうなんだが。
これらをゼロにしようと思うのはよろしくない。問題は緊張のし過ぎであり、緊張そのものではない。
感情労働の話をすれば、看護師の新参は深層演技=心からの感情を演出しようとする。こっちは病みやすい。
ベテランは表層演技=表面的な適応で心からの演技ではないため、長続きする。
こういう言い方が適切かどうか自信がないが、まぁ「愛想」において要領がよくなることで、生き残っている。
・精神衛生に限って言えば、「主体性」は一つのポイントになる。で、仕事って他人が居てなんぼなわけだ。雇い主か、客か。この時点でどうしても受動的な要素がある。
受動的な仕事を主体的なものとできるか、といえば、できる。まだ勉強中なのでまた今度。
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