カウンセリングが効果ある人と効果ない人の違い フェルトセンス

カウンセリングが効果ある人と効果ない人の違い

・カウンセリングを受けて意味がない、効果が感じられない、という人はいる。数年通って金と時間の無駄だった、なんて話も。

・いくつか言われている理由としては、

  • 問題意識がない。自分を変えようと思っていない(例:自分の意志でカウンセリングを受けているわけではない)
  • 依頼心が強い(自分でよくなるつもりがなく、他人にやってもらうつもりでいる)
  • 自我が弱い(自分を出せず、他者の言いなりになってしまう)

等がある。クライアント(カウンセリング受ける側)が受け身で、動機や自発性がない感じ。

例外として、即時効果を求めており、そうじゃないから「効果がない」と言っていることもある。

また、

  • カウンセラーとの信頼関係(ラポール)ができていない
  • カウンセラーがクライアントの愚痴を聞くだけ
  • カウンセラーが悪い意味でやる気満々で、クライアントに対して指示や命令の匂いがする態度

などもある。

自分の感情や経験について思考を巡らす能力がない場合、カウンセリングによる解決は困難になるとされている。1今回の話はここに特に該当する。


言いよどむような独特の話し方

・1960年代にユージン・ジェンドリンという哲学者兼心理療法家が、「カウンセリングを受けて効果がある人と、あまりない人の違いは何か?」という疑問を抱いた。

数百回分のカウンセリングの録音を分析したところ、大きな違いが発見された。相談者が「言いよどむような独特の話し方をしているかどうか」。

言いよどむような話し方をしていた方がカウンセリングで良くなり、スラスラと喋っていた方は良くならなかった。

面白いことに、カウンセラーの熟練度や方法による結果の違いはなかったらしい。この当時はね。

フェルトセンス

・良くなったクライアントたちは、一体なぜ言いよどむ様な口ぶりだったのか。元から性格的にそんな話し方ってわけでもなく、彼らがやろうとしていたことに理由がある。

彼らは、問題に対して自分の感じている漠然とした感覚を、なんとか言葉にしようとしていた。それに注意を向け、適切な言葉を探している最中のため、言いよどむ様な言い方となった。

これが自己理解自己受容となり、結果良くなったと言う話。この「漠然とした感覚」は後にフェルトセンスと名付けられた

・フェルトセンスは当人が「気がかりなこと」を考えつつ、体の中心に注意を向けた時、そこに有る感覚だと説明される。

まだはっきりしない、何か意味を含んだ、身体の感覚。

・ジェンドリンはフェルトセンスを「パーソナリティの中心」としている。「意識の辺縁(the edge of awareness)」と呼ぶとも。

「本当に自分だ」と感じられるもの。なじみの感情よりも「私」であるものとして感じられるとも。

フェルトセンスを感じる「体の中心」とは

・体の中心ってどこだよと。適当にそこら辺の人に「どこだと思う?」と聞いてみたら「みぞおち」とか「ヘソ」とかバラバラだった。困るね。

ジェンドリンの論文の和訳されたものでは『フェルトセンスは身体の真ん中――のど、胸、お腹(stomach or abdomen)――にやってくる。』とある。

また『状況の全体を感じた時にお腹のあたりに出てくることがある。』ともある。これがフェルトセンスのことなので、大体はお腹。

「お腹」を中心とした「エリア」としての認識のほうがいいだろう。「部位」だと思ってると見落としが出そうだ。

・フェルトセンスが有るのは「患部」ではない。例えば肩に力が入りすぎている時、肩にフェルトセンスはないとされている。

この時にも身体の真ん中が、「フェルトセンスがやってくる場所」とある。
そして患部に痛みがあるような時でも、人は注意を身体の真ん中に向けることはできるとも。

・恐らく身近な例としては、「息が詰まる」「胸が苦しい」と表されるあの感覚が該当する。これらは自分がその時に意識している事柄と関連がある身体の反応だろう。「頭の中じゃなくて身体の方」ってのが、これで伝わるだろうか。

簡単なフェルトセンスの感じ方

・手早くフェルトセンスを感じる方法は、大丈夫じゃないことを意識しながら「大丈夫」と言ってみることだ

「大丈夫、全部うまく言ってる。私はこのことについて全く心配なく、今とても居心地がいい」
とか内側で言ってみる。まぁ、嘘をついてみるわけだ。
そして身体の真ん中に注意を置く。

・そうするとジェンドリン曰く「たいてい、突然ヴィヴィッド(ありありと)に、身体が口答えをする」。
この口答えは、その問題に対してよりはっきりした身体感覚をもたらす

これがフェルトセンスを迎える一つの特殊なやり方とされている。

(これを是とするなら、無理やりに前向きなアファメーション(自己暗示)がしばらくすると悪影響をもたらすことも納得できる。)

・これをする時は、身体が中程度のリラックス状態であることが必要とされる。
緊張が過ぎればフェルトセンスは感じられない。過度なリラックスでは身体が口答えしないから。

フェルトセンス日記

・フェルトセンスはカウンセリングの理論のため、何ぞ難しそうに思える。だが、フェルトセンスを理解しようとする試み(フォーカシング)自体は、ライフワークでやってる人がいるくらいには日常にすることが可能なものだ(専門的な話となるとやはり簡単ではないが)。

・例えば日記。ある実験では、日記に出来事だけを書くよりも感情も書く方がカウンセリング的な効果が高い。それに加えてフェルトセンスも書いた場合が一番効果が高い、と仮説が立てられた。

まぁその実験では、被験者が勝手に感情まで書いたりフェルトセンスまで書いたりしたのでそこら辺グダったんだが。逆を言えばつい書いちゃうくらいにはフェルトセンスは認知できる。

その時指示されたフェルトセンスの書き方は、

  • その出来事全体を今、どのように感じるか
  • 身体の真ん中をなんとなく感じながら、その「感じ」を短く書く
    • 表現しにくいので「もやもやする」「ザラザラしている」とか、「深いブルーな感じ」など色で表現しても良い。

と言った感じ。

・本来は出来事のみ、感情まで、フェルトセンスまで書くと3グループに分かれて比較をしたかったが、前述の通り被験者が張り切りすぎた結果、数が偏りすぎたため統一されて効果が観測された。

効果としては、ストレス、対人、社会不安において良くなり、なおかつ自分らしさも感じられるようになった。

この効果は一ヶ月後の追跡調査でも持続している
一ヶ月後の方が良くなっている要素もあった。自発的に続けたいと答えた被験者が多かったからか、とも考察されている。

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メモ

・フェルトセンスを感知し言語化する手法をフォーカシングと呼ぶ。

フェルトセンスとフォーカシング
・フェルトセンス、フォーカシング、これらは何か。フェルトセンス・「気がかりなこと」を考えつつ、体の中心に注意を向けた時、そこに有る感覚だと説明される。まだはっきりしない、何か意味を含んだ、身体の感覚。胸がも...

・アメリカの方にある言い回しらしいが、「頭と身体は別人」なんて言葉があるそうな。

たまたま見かけた誰かの発言に「身体にも心がある」とあったのも覚えている。

フェルトセンスはその様な、「頭ではない所の自分の意見」だと言えるだろう。

  1.  Sifneos (1981) Mann (1984) 
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