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人の気持ちがわからないと言われる人

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この記事は【2018年10月15日】が最後の更新のため、記事の内容が古い可能性があります。

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人の気持ちがわからないと言われる人

・先に言っとくが、必ずしも察してやる筋合いもないぞ。

・自分の物差しで人の気持ちを測る

相手の立場になって考えてもうまくいかない場合。

ドイツのことわざに「人は皆、自分の靴のサイズで物事を測る」というのがある。人の気持ちを自分の物差しで測った場合、それは「自分から見た評価・分析」であり、まぁ相手の気持ちはわかっていない。

気持ちがわかるわからないって言葉も結構ガバだからケースバイケースだが、一つの「人の気持ちのわかり方」には「共感」がある。自分だったらこうすると考えるとか、あるいは相手の状況の分析ってのは論理的思考に近く、面白いことに論理的思考と共感能力は同時に働かせることはできないという研究発表がある。

参照:https://embryo-nemo.com/57/#i-9

簡単に言えば、分析と共感の2つの神経回路が脳にはある。片方が活発になるともう片方は抑制される。

相手の気持ちは「見えてはいる」のだが、それに対して共感ではなく分析をしている可能性。

これの辻褄合わせとして「自分がなぜそれを考えたか・連想したか」を説明する、なんてのを紹介しているところもあるが、それやると「何でも自分の話につなげる奴」という評価になりそうで、どうもな。

・話を「自分だったら」につなげる

女から見た男がこの傾向が高いらしいね。確かに自己中のようにも見える。

ただ、問題解決のアイデアやサンプル、ケーススタディとしてはそれほど的外れでもない。

これがなぜ「気持ちを分かってくれない」になるのかと言えば、大抵の場合「悩んでいる→解決を手助けしよう」としているからだろう。相手が求めているのが言葉通り「分かって」だけだった場合、それ以上のことやると全部スベる。

・頭で考え過ぎ

自分だったらこうするとか、これはこうするべきだとか言った男が女に「気持ちをわかってくれない」と言われる理由がこれが多い。

人間の言動は、あんまり論理的じゃない。言葉や行動「だけ」見ると矛盾していることが多い。特に当人が言った、やったと思っている以上に喋ってたり、動いてたりするわけで、その辺りも気づいて観察してどういうことなのかつじつまを合わせようと考えると、まず全員言動は矛盾している。

そもそも悩みごとがあったとして、問題解決したいんじゃなくて「気持ちをわかってほしい」なんて気持ちを抱える時点で、人間は100%の論理的思考じゃないことはわかるだろう。

元から論理的じゃない、それどころか具体的な目的も特に無い衝動的・感情的なこともあるため、「分析・思考」ではわからないこともある。この意味では気持ちをわかろうとするよりも相手の「してほしいことを察する」程度にしたほうがいいだろう。

この場合、共感能力の方を使うことになるので、ベースのスタイルが分析・思考の人間は不完全燃焼のような気分を味わうだろう。で、相手にとってはそれでありがたかったりするので、まぁリアクションの「答えの幅」を広げると良い。そういう正解もあるのだ、と。

これは一種の感情労働だし、心理的負担も大きい。見方を変えればわかってほしいという側の「甘え」でもある。やたらとそっち方面で理解を求めるクセがついてる人間の相手は、やっぱり疲れるだろう。これで自殺にまで他人を追い込んだ者を知っている。まぁそこまで行かなくても「重い」って理由でフラれた、って話は珍しくないね。

・またこれは、誠実かつ真剣に相手の話を理解しようとすればするほど裏目に出る可能性を示す。そちらに専念しすぎると裏の意味が読めなくなる。ダブルテイクと言って、言葉にはいくつもの解釈が可能であることは多い。

・共感性が高い、俗に言う「女性脳」の人間は婉曲的な表現を多用する、とされる。女とも限らないが。要するに「気持ちをわかってもらいたい」って人ほど回りくどい言い方をする傾向がある。時間泥棒だから話しかけられた時点でげんなりする人も多いわけだが、まぁ相手するつもりなら話は最後まで聞こう。

・衝動性が高い

思ったことが気づいたら口から流れ出てるタイプ。深く考えて喋らない、というよりは何も考えずに喋る。これらの場合当人にも自覚があることが多い。

・自分のせいだと考えすぎ

事例、というか、自分で自分のことを人の気持ちがわからない人間だと思っている人のことを読んでみたが、どう考えても相手が悪いだろそれ、ってのも結構ある。

散々「お前は相手の気持がわからない奴だな」とか言われてたら、コミュニケーションに齟齬があった場合にまず自分を疑うようになっても不思議じゃないだろう。

後出しや言い訳としてそんなつもりじゃなかった、それはそちらの勘違いだ、とされてもなるほど自分が間違えたのか、となってはいないか。

・総じてハッタリが常となってる奴やブレーマー(全部相手のせいにする奴)とかなり相性は悪い。というか、ブレーマーからしてみれば、勝手に自分のせいだと思ってくれるからかなり都合がいい存在になっている。これらは人間関係の問題であり、人間関係の問題は個人だけでは発生しない。

「人の気持ちがわからない」と「人の気持ちをわかるつもりがない」

・まぁ、分かってやる・考えてやる筋合いがあるのかどうかは各々考えてもらうとしてだね。

・気持ちをわかるつもりがないというのは、気を使うつもりがないとも相手には取れるだろう。そしてそれは、「雑な扱いをされた」と感じるには十分な理由だ。

・逆に、相手がいろいろな意味でまともであった場合には、気を使っている気配さえあればリアクションが多少ズレてても許容しようとはする。流石にいつまでも成長が見られない場合には期待もされなくなるだろうが。

・幼少期に過保護だった場合、つまり「気を使われる側」であり続けた場合にはこの傾向は強い。まぁ単純にやったことがないというのと、相手が気を使っていることすら分かっていない場合。

人の気持ちがわからないと言われる症状・病気

こういう時にまず疑われるのが発達障害や精神病。確かにそういったような症状になることはある。

・アスペルガー症候群

言動が一方通行だとされる。空気が読めない、人の話を聞かないともされる。

また、相手の気持がわかりはするが表現方法が相手に伝わる形ではない、あるいはそれでも自分の言いたいことを優先するとも。

発達心理学者のサイモン・バロン=コーエンによればアスペルガー症候群は「究極の男性脳」。これは論理・思考であり、こちらが活発になると前述の通り、共感能力は抑制される。
と言ってもアスペルガー症候群にも尊大型とか受動型とか色々あるらしい。

・サイコパスは共感能力が基本オフになっていて、やろうと思えばオンにはできる、と言われている。

サイコパスの研究者が資本主義社会そのものがサイコパス的である、と語ったとか。要するに共感能力が「社会的な成功」においては不要または邪魔であることはある。実際経営者、政治家、弁護士などはサイコパスが多いとされているし。例えば「ナイラ証言」なんてまともな人間はやらせはしないだろう。

・また、別のサイコパス研究者は、脳の一部を一時的にオフにしてサイコパス気分を味わう装置を自らに使い、「素晴らしい体験だった」と語ったそうだ。相対的にサイコパスから見たらそれ以外の人間の精神状態は「ろくでもない」ものだと考えられる。

・要するに共感能力オフがデフォルトの視点から見ると、共感オンにする価値はなく、自分から嫌な気分になんてなろうとはしないだろうということ。

・また、彼らはドーパミンを過大評価すると言われている。快不快の感覚は常人より大きい。

・自己愛の病理には大別して誇大型、過敏型がある。「相手の気持を知ろうとしない」場合は自己中心性が高いと考えられ、これは誇大型の自己愛に当てはまる。誇大型は無自覚型、無関心型とも呼ばれる。

また、誇大型は注目を浴びたい欲求があるため、「自分の話をしたい欲求」も高い。アスペルガー症候群同様言動が一方通行だとされる。曰く「送話器はあるが受話器はない」。

・過敏型の場合は低い自己評価とそれによる対人的な恐れがあり、一見して「人の気持ちがわからない」と言われるような言動は取らない。ただ、やりすぎてしまうことは考えられる。

・過敏型については気持ちがわかってないと「言う側」の話しともなる。相対的にだけ見れば「相手が自分に合わせない」と言って怒っているのだから。

過敏型の要素には「潜在的特権意識とそれによる傷つき」があり、要は過大に不当に「自分は尊重されるべきだ」という意識を抱えているとされる。そしてそれが叶えられない場合極度に「傷つく」。というか、過敏型自己愛の尺度、まぁ心理テストみたいなものの項目に思いっきり「周りの人に対してもっと自分の気持を考えてほしいと思う時がある」ってのがあるからな。ちなみに「相手が自分に対して丁寧な態度ではないので腹が立つことがある」って項目もある。

こうしてみると誇大型自己愛VS過敏型自己愛に見えなくもない。もちろん片方が極度に誇大型自己愛であり人の気持ちがわからないこともあるが、反対に片方が極度の過敏型自己愛であり勝手に傷ついて「人の気持ちがわからない」と騒いでいる可能性は十分にある。

これらはネット上では「繊細チンピラ」とか呼ばれている。例えばタレントがツイッターやらブログやらで食事の写真でもアップしたとしよう。「貧困国に配慮が足りてない!」とか騒ぐ奴らがそれ。

メモ

まぁ、少なくとも相性悪いのは確かなのだろう。相手に多くを求め無いほうがいいのでは。棲み分けするのが理想だが、社会ってのは全員同じ水槽にブチ込んでフタした挙げ句に「みんな仲良くしましょう^^」ってやる頭悪い所ある。衝突もあろうさ。ちなみに他所の水槽に乗り込んで「自分にとって快適じゃない!」って騒ぐキチガイもいる。

ぶっちゃけ、誰も相手の気持なんか分かってないぞ。むしろ「わかる」って言ってる奴のほうが分かってないとか、そいつ馴れ馴れしすぎて嫌われてるとか、チャラいと思われてるとかもあるぞ。図星だった所で顔真っ赤になることもあるし、「お前に何がわかるんだ!」って発狂するやつもいるし、わかった所でその表現の仕方には工夫が必要だったりする。なんかもう、分かってもらいたいのか分かられたくないのかどっちなんだよみたいな所が人間にはあるね。動機からして矛盾している状態が。

「気持ち」なんて言ってはいるが、その気持は大抵の場合は「もっと自分に配慮してもらいたい」ということが多い。度が過ぎればそれは我儘、甘え、依存、自己中心的となるだろう。ちなみに「甘え」の概念は学術論文がでるくらいには問題に見られている。

人は自分を甘やかしてくれる人間が好きで、そんな気配が微塵もない人間は非難する、というスレた見方もできるっちゃできるが。しかし例えばこれが生活や仕事と言った共同作業に於いて支障が出るレベルなら、まぁ改善の必要はあるだろう。人間関係の問題の場合には、なんとも。結構書いてきたが、同調圧力とか、被害者ぶって相手をコントロールしようとするだとかも相当数いるから。







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