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時間の中に入る

投稿日:2018年9月21日 更新日:

この記事は【2018年9月22日】が最後の更新のため、記事の内容が古い可能性があります。

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」という概念について。

一般的な視点に立てば、別に言われるまでもなく自分は今、ここにいると思うものだろう。では意識は。大抵の場合、未来か過去に飛んでいる。

それは禅、瞑想、ゲシュタルト療法やアドラー心理学などで言われているような「」とは違い、意識が今ここではない「それ以外」に日常的に捕らわれていることを示す。

即ち脳が認知したものに対して、過去や知識から「これからどうなるか」つまり未来を予測するというこのモジュール自体が人を「」から拐かす。

あるいは人が「今ここ」を意識しようとしたとしよう。「なぜ」今ここにいるのか、今ここから「どうなるのか」、自然と、頭の中だけで時間が(現実の時間よりも早く)流れ、そして流れ去っていく。

恐らくこれは悪いことではないだろう。経験を活かさず、予測も推測もせずの状態とは、方針が何も定まらず、それ故に何もしないのと同義だ。

あるいは注意のひったくり。セーブというかブックマークと言うか、なんかもう「お決まりの悩み事」みたいなのがあって、いつもそこに意識が飛ぶだとか。

不安を感じること、その材料を探すことは脳にとって「暇ならとりあえずやっておこう」というくらいには優先順位は恐らく高く、精神衛生上非常に迷惑だったりする。

私達は計画を立て、推測し、予測し、不安を感じ、常に未来を意識している。そのための判断材料として、事あるごとに過去を思い出し、これはどういうものだったか、これをやった時にはどうなったか、この状況と似た時にはどうだったか、「知ってるフリ」を、あるいは「知っているはずだ」として、考え/想起し対処する。

知っていることとして情報を処理し、よく見ていない。ここに問題がある。これは無意識に行われる。

本を一冊、時間を測って読んでみたとしよう。4時間かかったとする。同じ本を二度目に読むときは、恐らく半分程度の時間で読み終わるはずだ。「同じ様に読んだつもりでも」。

あるいは同じだけの時間を掛けて読むとしたら、頭の中が非常に退屈することだろう。「知っていること」だから。

この脳の態度は作業の効率的な短縮ではあるが、見様に拠っては、そして時と場合によっては「雑な手抜き」になり得る。

どうも脳というやつは、情報収集と分析はしたがるくせに、再調査は一切する気がないように見える。知識を継ぎ足すことはできるが、修正は簡単ではない。脳の習性なのか、効率大好きな現代の人間の習性なのかはわからないが。

現代人の習性である可能性も、十分にあると思うが。中世ヨーロッパの田舎暮らしの人間の一生分の情報が、私達現代人の一日の情報量だとかなんとか。誇張もあるのだろうが、情報洪水という言葉はあながち大げさではないとは思っている。

ともかく、我々の頭の中は過去か未来に大体飛んでおり、時間の中に入っていない。今何をやっているのか、実際の行為よりも「その次」を意識している。見様に拠っては、この剥離こそが原動力だとも思うが。そしてその知識形態は雑であり、見直しが必要なことが多々あるくせに、それを受け付けることに前向きではない。

川の流れを眺めているようなものか。どこから来て、どこへ行くのか。そこに飛び込んで泳ぐわけでも、魚をとるわけでもなく、ただ眺めているだけの。

あるいは、流されながらそれをやっているとしたら、ずいぶんと間抜けな構図となる。まず泳げよとかそういう話になるだろう。うつ伏せに窒息しているのかもしれない。だったらまず息継ぎしろよと。

今ここ、と言っても、「今」は常に流れているわけで。そういった意味ではやはり「流されながら考えている」ことにはなるのだろう。そうだとすると、想起も予測も終わった頃には役立たず、ということはある。

そうであるならば、「まず、今ここ」をなんとかしてからの方が、まぁ、いいかもね。







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