サイコパスは相手を持ち上げてから「ハシゴを外す」という手を普通の人間より抵抗なくできる。それができる自覚がある場合、心の底から共感し、相手の感情を汲み取って操作し、その後で自分の都合だけで利用するということが可能になる。つまり嘘が上手い。まぁ素質的にはね。実際にやるかどうかは個人の人間性の話。
サイコパスと言っても一般的なイメージの犯罪者予備軍ではなく、その大半は非犯罪的なサイコパス。30人に1人とか100人に1人とか言われてるんだから、当たり前といえば当たり前だ。
というかダークトライアドとかダークテトラッドの方がやばいし。
ミラーニューロン
共感能力はミラーニューロンによるものと考えられている。この存在は猿では確認されたが、ヒトでの確認はまだのようだ。同様の脳の働き自体は確認されている。
以上の理由からだろうか、「ミラーニューロン仮説」と慎重な呼び方をされることも在る。ただ、脳に電極を刺す以外の方法による行動実験によって「実際の行動と観察の両方に反応するシステム」があることは強く支持されているとのこと。
生後12ヶ月までに発達し、新生児が他者の行動に対する理解力となる。これが可能になるのは学習に拠る説と、「模倣」をしようとしている説がある。
サイコパスの表面的な魅力について
サイコパスに限らないが、一部の特徴的なヒトには何らかの「表面的な魅力」がある、とされる。
小耳に挟んで面白かったのは、共感能力がバグって魅力に見える説がある点。
要は共感能力ない人間の振る舞いというのは、行動決定の判断要素が普通の人間より「欠けている」ため、それを理解しようとするがうまくいかない。この際に「同化」と呼ぼうか、そういった信仰、同調、共感が起きることがあるという話。
似たような話だとDVと共依存、自己愛と共犯者の関係とかもそうか。何れにせよ、理解できず縁も切れない場合には恭順か信仰かになりやすい、と。
「騙される」ということについて
これは別にサイコパスに限らない。
詐欺や嘘について多くの人間が勘違いしているのが、「頭が良いから騙せる」+「頭が悪いから騙される」=「頭が良ければ騙されない」というこの構図。
サイコパスは平均より知能指数が低いという研究もある:http://karapaia.com/archives/52233012.html
まぁ知能の測り方も色々だけどね。ともかく、騙す騙されるに頭の良し悪しはあんまり関係ない。大人が子供に騙されることもある。
どちらかと言えば「いかに分析的な思考をさせず感情を揺さぶり、動揺/共感をさせるか」が騙せるか騙せないかになる。要は感情的反応を引き出す方が騙す上では効率的で、感受性/共感能力が高いと騙されやすい。
まぁ怒りの感情を引き出し攻撃される可能性もあるわけだが、ずる賢い連中はそれをダシに被害者ぶったりまでやる。なんというか、「プロ」はいるよ。
これは一部がよくやってるし、未だにそれを続けてるしで。気づいている人も多いようだが、それ以上に騙されてる人も多いのだろう。
まぁともかく、優しすぎる、いい人過ぎる、親切過ぎるなど周りから言われ、そして自分でもなんか損な役回りを自分からやってないか、みたいな気がしてるのなら、共感能力高すぎなのかもしれない。
サイコパスの共感能力オンオフについて
一般には共感能力は持たないとされているが、そうでもないらしい。
http://karapaia.com/archives/52180533.html
サイコパスには共感能力のスイッチがあり、普段はオフ。やろうと思えばオンにできるとのこと。このことを活かした魅力的なふるまいが可能だとも考えられている。
共感能力のオンオフについて
共感能力は正直、必ずしもいいものとは限らない。前述の通り「騙される理由」そのものでもある。
共感のオンオフという概念は、アダルトチルドレンなどの共感性を鍛えざるを得なかった、つまりヒトの顔色をうかがいすぎてしまう様になってしまった場合には、今よりも良くなるための方法のヒントにすらなり得る。
また、「恥」の概念、あるいは過敏型の自己愛のような、これまた他人が気になりすぎるというのも共感能力が過剰であるとも取れる。
これらは総じて「他人を意識しすぎて自分が無い」という自他の評価に繋がっている。
加えて周りの人間次第では「悪影響を受けるためのアンテナ」となり得る。
では自己中な振る舞いはどうか。これは「自分しか見えてない」みたいな感じなわけで。
中庸を意識するべきでは在るが、そのバランスのとり方としては大抵共感過剰側に位置するであろう私達は考えてみる価値はある。意識的にオンオフができるという点は、正直羨ましい。
先程のサイコパスの魅力については正直な所はアレだけじゃなく、毒電波は受け付けない一見した強さのようなものに対しての「憧れ」に近い感情も在るのだと思うね。
オンオフでは極端だとも思う。どちらかと言えば倫理学のメソテース、つまり「中庸」を意識してのバランスを取るための過剰な側の抑制。
・本題。サイコパスと同じではなくとも、擬似的にはこのような意図的なオンオフが可能ではないかとも思う。というか人には元から在るんじゃないか。
http://karapaia.com/archives/52108365.html
神経回路網の内、共感・感情的な部分と分析・論理的な部分は共存できないという研究結果。片方が使用されるようなテストをやらせると、もう片方が抑圧される。オンオフとまではいかないが、むしろこれで十分ではないだろうか。
一応マインドフルネスで理性的な部分を活発にできるともされている。前頭前野が活発になるわけだが、この部分がサイコパスが活発じゃない部分と思い切り被るな。サイコパスがマインドフルネスやったらどうなるのか見たい。
メモ
以上のことから、落ち着くために素数を数えたプッチ神父は正しいと言える。
真面目に、感情の(特に不安の)沈静化として論理的な行為が候補として上がることになる。まぁ論理パズルとか。
……単純に、分析してから共感するべきかどうか決めりゃいいんじゃないか?
だとすると問題はやはり共感「してしまう」ことにある。分析する前に。
実際こう、強迫観念とかでコミュニケーション上「役割」を見出し、演じなければならないと思っている人は、妙なアクティブさというか必死さがあるわけで。
スイッチが入ったらそうなるというのなら、むやみにスイッチを入れない=まず分析思考優勢で物事を見ることができれば解決かもね。まぁ「共感が誰に対しても働く」みたいなことも多いから、簡単にはいかないか。
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