他人の感情が入ってくる/共感しすぎてしまう人:情緒的巻き込まれ

・「感情なんていらない」なんて言う人もいるくらいで、感情は元から人を振り回す。あまつさえ他人の感情で自分が振り回されるんだったら、まぁイヤだろう。

・共感力が高すぎる人。例えば他人の感情を「浴びる」、みたいな表現が、わかる人とわからない人がいる。
自分が汚染されるような、侵食されるような感覚を、他人の感情表現に対して感じる人。

大抵は「悪い意味で感情が豊かな人間」を苦手とする。まぁ好きな奴はいないだろうが。

・要点だけ言えば、

  • 共感のネガティブ面として一般成人でもこういうことがある
  • 自他の心理的な境界/区別が弱いと頻繁にそうなる
  • じゃけん自分への理解度を深めて自分をしっかり持ちましょうね

感情の伝染

・まず、一般成人においてもこのようなことはあると説明しておく。

例えば、イライラしているやつが近くにいるとこっちまでイライラしてくるなどがある。これは「感情の伝染」と呼ばれ、日常的に起こりうる。

・感情の伝染は原初的な形態の「共感」であるとされる。本能的なもの。

本能的なものなので、瞬時に、無自覚に、時と場所を選ばずに起こる。

共感の属性が強いため、特に親しい間柄においては発生しやすい。

(なお、今回の共感は情動的共感に該当する。他人を見て、自分に「発生する」共感。考えてわかるのとは別)

・これが一般的に人間に存在するモジュールである限り、誰でも「他人の感情がうざい」と感じる余地はあるだろう。感情を「垂れ流す」のなら、まぁそりゃ公害もあり得るわけで。

・共感としてはこのように同じ感情になるのだが、「その感情へのリアクション」として別の感情を沸き立たせることもある。泣いてる人を見るとイライラする、みたいなパターン。
あるいはイライラしている奴自身に対してイライラするとか。

この時にも、わざわざリアクションをするくらいには他人の感情は「大きな出来事」と脳は捉えている。

セカンドハンド・ストレス

・他者から伝染したこのようなストレスは、セカンドハンドストレスと呼ばれることもある。セカンドハンドスモークで受動喫煙のことなので、それのストレス版。

セカンドハンドストレスはビジネスでも教育でも影響を与える。細胞レベルで影響を与え、寿命を縮めると出た研究もある。

・セカンドハンドストレスの有害性を認めた企業では、「ぶちまけ禁止ゾーン」を設けたそうな。これは客からの目を気にしてのこと。

客がストレスを醸している従業員を見ると、それが店の評価に響くからだそうな。

・総じて共感能力は、人間の精神衛生上で言えば、このように脆弱性に近い、厄介なものであることも多い。交流の上ではほぼ必須なんだが。

・面白いことに、共感と思いやりは脳的に別物らしい。脳の活性部位が違う。

共感は他人の苦しみを同じように感じるため、当人にもダメージが行く。燃え尽き症候群やアパシー(無気力状態)の原因ともなる。

思いやりの場合は、苦痛を感じるとは限らず、相手を気遣うことができると。

情緒的共感と認知的共感の話と似ている。というか同じな気がするが。

共感は心理学では2種類ある
・心理学上は、共感には大別して2つある。共感は研究者に依って定義が様々だが、情動を強調するもの、認知的理解を強調するものに分けることができる。情動的共感は感情的な共感が強調される。こちらが一般で言われる「共感」の大半だろう...

この2つの共感の大きな違いは、他者との一体化をするか、しないか。

認知的共感、ここでいう「思いやり」に近い場合は、一体化をしない。このために思いやれる。情緒的共感は一緒に泣くとかそっち方向。


参照:https://www.lifehacker.jp/article/151120compassion_emotion/

情緒的巻き込まれ/感情的巻き込まれ

・共感のネガティブな側面として、特性不安(特定の出来事に対しての一時的な不安反応)が高い。
要するに共感力が高いと、些細なことで強く不安を感じる傾向がある。
この時には、集中力の低下、自信喪失、焦燥感、他者の反応に過敏などの状態になる。

このような共感のネガティブな側面は、他者の感情に巻き込まれている(情緒的巻き込まれ)から起こるのではないかと考えられている。

・情緒的巻き込まれは、「心理的に自他の境界が曖昧な状態と関連した、不安定な心配し過ぎの関わり」と定義される。

他人の感情が流れ込んでくることと、それ以上にそれを軸とした其の者の行動が問題とされる。
今回の話も、多くは他人の感情が流れ込んでくる、汲み取りすぎてしまうこと以上に、そのせいで自分が気を使いすぎる、焦ってしまうなどリアクション面の悩みの方が多いと思われる。

・横田(1991)によれば、他者が不安や緊張を感じている時、自他の区別が曖昧であると自分も不安になる。
この不安感は自分の問題としての解消が困難であるため(他人の感情だからね)、相手を変化させることで自分が感じた不安を解消しようとする。

これを動機として、他者への自己犠牲的行動、献身的行動を取ることがあるが、他者の問題がそれで解決するとは限らない(=自分がそれで不安から開放されるとは限らない)。それが余計なお世話だったりしつこかったりすることもある。

このあたりはアダルトチルドレンの、特にクラウンケアテイカー系が近い。


自分の不安の解消のために他人を変化させようとする、という点では割りとエゴイスティックであり、要するに行動も目的も独りよがりとなりやすい。馬鹿の一つ覚えみたいに喧嘩両成敗と言う奴らや、千羽鶴送りたがるのも同類だと思う。
「自分の気持ちしか考えてないから平和を訴える」ことはあり得るという話。

自他境界線

・「自分」の輪郭や自分と他者との境界線のことを、自他境界と呼ぶ。

心の距離感がおかしい人/間違えてる人:心のパーソナルスペース
・人との距離感を間違えると、人格とは無関係に嫌いになったりする。むしろ「好ましい人」の条件には、距離感がまともであることは含まれるだろう。それ以上に、精神的な他者との距離感、特に自他の境界線に問題があると、相手の巻き込まれ...

これが間違ってたり、区別が曖昧だったり、歪んだりすることがある。
身近な例で言えば、身内贔屓がある。母親が子供に対しての態度などはあまり公正ではないだろう。

・一般成人においても、非常に親しい間柄の場合は一時的に境界が取り払われ、相手の感情が自分に受動的に流れてくる(これが感情の伝染)。

・発達段階で見ると生後二ヶ月ほどの頃は、まず母親と自分が同一の存在だと認識する。だから母親から離れると不安になる。成長するに連れ、自分と母親が別々の個体であると悟り、段々と離れられるようになってくる。

このため、自他境界線は割りと後天的に獲得するものだと言える。

・自他境界があいまいなのは、発達障害に多いとされる。ただし、日本は同情や共感などの「察する美学」に価値を見出すため、元からあいまいになりやすいとの説もある。このためか、海外から見るとやっぱり回りくどい言い回しが多いようだ。

脳の発達は一応関係があるが、「どこまでが自分か」は個々人の価値観や文化的背景にも依存する。

例えば友人の持ち物を勝手に使うのがアリかナシかは人によって分かれる。こういうのも「友人関係のイメージ」が異なるため。

ただこの場合、自他の区別がついているなら「相手は自分とは違う考えかもしれない」と思い至り、一度聞くくらいはするだろう。思いもしないなら、後述するが侵入的な性格してるかもな。まぁこのページ読む人はそれと反対側だろうけど。

境界線の硬さ

・自他境界線は時には動いたり取り払われたりする。この「硬さ」も色々ある。ニーナ・ブラウンによれば、

  • 柔らかい:自他の境界線が重なっている。他人に操作されやすい。
  • スポンジ状:時には柔らかく、時には硬い。ただ、何を受け入れて何を受け入れないかがはっきりしていない。
  • 硬い:閉鎖、あるいは壁で囲われている。心身ともに誰も近づけない。また、状況次第で変化する「選択的な硬い境界線」もある。大抵は過去の悪い経験と似た状況に遭遇した時。
  • フレキシブル:選択的な硬い共感線と似ている。それよりもよくコントロールされたもの。何を受け入れ、何を受け入れないかを決めており、感情的伝染や心理的操作に抵抗できる

・「硬い」だが、誰かが虐待を受けているときの反応としてよく起こるとされている。防衛反応のように。
共感しすぎる人は、恐らくこれができないだろう。このため柔らかいかスポンジ状だと思われる。

・フレキシブルの内容を見れば、結局「他人」に抵抗できるのは「自分」という概念だとわかる。何を受け入れ、何を受け入れないかが決まっているから、他者の揺さぶりに動じずに済む。

まぁ別のまともなグループに身を置くって手もあると思うが。

他者の領域を自分にまで広げる

・自他境界の異常は、他人の領域にまで自分の領域を広げるタイプと、自分の領域にまで他人の領域を広げるタイプがある。今回は後者が該当する。

  • 自分と他人の意見の区別がつかないため、他人の考えをそのまま受け入れてしまう
  • 他人の問題や責任と自分のそれとの区別がつかないため、他人の問題や責任を引き受けてしまう
  • 断れない
  • 言いなりになり、傷つけられ、人が怖くなる

とまぁ、生きづらい感じになる。「侵入的な人(他人の領域に自分を広げるタイプ)」の被害者となりやすく、また巻き込まれやすい。


・反対の侵入的なタイプ(他人の領域にまで自分の領域を広げる)が、

  • 自分が考えていることは相手も考えているはずだ
  • 自分が困っているんだから相手にそれは伝わってるはずだ
  • 自分のルールは相手にとっても守らなければならないルールだ

と、権威主義パーソナリティにかなり似た感じになっている。

まぁなんというか、全体主義者+自分が中心みたいなアレだ。

・見りゃ分かる通り、厚かましい上に押し付けがましい。誰もこんなのと関わりたくはないが、中でも「受け取りやすい人」とかなり相性が悪い。

纏綿状態

・自他境界に関する用語で纏綿(てんめん)状態と呼ばれるものがある。例えば家族メンバーが一つの「塊」であるかのように融合しており、個々の境界性が曖昧な状態。
統合失調症患者とその家族の間によく見られるという。家族が纏綿状態の場合、再発率が高い。

この状態はミニューチン(1983)によれば、

  • 個々人の間に高度の共鳴や反応がある
  • 過剰に互いが反応しあう
  • あらゆる問題に容易に巻き込まれてしまう
  • それぞれの自律性が阻害される
    とされている。

一見すると気の合う仲良し家族に見えるかもしれないが、限定された情報と閉鎖的な考え方で問題が処理されるため、事態の一層の悪化を招くことがあると考えられている。
つまり家族がイネイブラーになりやすい理由の一つ。別に家族じゃなくても集団なら起こりえるが。

纏綿状態は、情緒的巻き込まれに類似すると指摘されている。このため自他境界の曖昧さとの関連も考えられている。


参照:https://ci.nii.ac.jp/naid/110000258894


・纏綿状態が統合失調症を再発させるという話だが、他にも感情表出が過剰な家族がいる場合が該当する。これらをひっくるめて高EE(Expressed Emotion:感情表出のこと)と呼ばれ、再発の危険性が高い人間関係とされる。高EE単品では、別に病気ともされていないが。

その理由が、統合失調症患者は他者の接し方に非常に敏感なため、それを汲み取ったりストレスに感じたりしやすいということから。

このため素で敏感なHSPや、今回のように他者の感情に敏感な人も、余り無関係とはいえない。
人格の良し悪し以前の話で「感情表現が豊か」なお方とは、ちょっと距離を取った方が気楽かもね。

まぁ困ったことに、「そんな自分が活き活きしててダイスキ!」みたいなのもおるしな。空気読めない言い訳にもならんが。

感情の巻き込まれを抑えるには

・自分がない分、その真空に他人が流れ込んでくる。

自他境界線がフレキシブルである場合は、他者の操作や侵入を受け付けない。
これは、「自分が何を受け入れ、何を受け入れないかを決めている」からだろう。自分の指針とか信念とか方針とか。

信念って言葉も今更イメージ悪いんだが。歪んでれば当然、問題行動の動機ともなる。

・こういった物をまともに定義、あるいは作成するためにも、自分のことを知る必要がある。

便宜上自分が「ない」なんて言ったが、厳密に言えばそんなもん勝手にできあがる。判断材料として「ない」のであって、存在としては「ある」。

でも自覚がないから判断材料として使えない。騒がしい「他人」しか見えていないから、それが判断材料になってしまう。

・陳腐なオチだが、日記でも書いてみたらどうか。他人を意識せずに行う、自分の発掘、あるいは表現。

他人の、存在と、目と、耳と、意見がない時間と空間で、自分が何を気にして、何を期待して、何を憂いているのか。
あの時あの場所を振り返り、本当はどうしたかったのか、自分はどう思っていたのか。
形(文字)にすると、それを客観視できるようになる。だからまずは思うがままに書いてもいいし。

・一応、「感情筆記の練習をする」というトレーニングは存在する。今この瞬間に感じ、思い、考えたことを文字にしていく作業とされる。

まぁ1日10ページとか見るだけでめんどくさい量を推奨されたりもしているが。気楽に「ゼロよりマシ」くらいのつもりで、継続してみたらどうか。始めに張り切りすぎる人は大体投げるからな。

・「頭の中にあることを全部書く」のはストレスコーピング(ストレスの処理)の一つにも挙げられている。人は自身の内面を表現すること自体に、一種のカタルシスを感じる。ネガかポジかは気にしなくて良い。似たようなことを朝やる『モーニングページ』は脳の排水なんて呼ばれたりもする。


共感能力
相手の気持ちを想像している相手の気持ちと同じものを感じている(つもり)相手の気持ちに巻き込まれている共感の意味他人の意見や感情に「そのとおりだ」と感じること。簡単に言えば「あなたと同じ気持ちだ」「あなたの気持ちがわかる」と...

メモ

・他人の感情の巻き込まれにより、他人を主体とした行動を取ってしまう。この時動機は不安感であり、なおかつ自己都合で他人を変えようとする行動であるため、うまく行くことは少ない。

仮にそれでいつもうまく行くのなら、相手が元から自分の世話をしてもらおうと感情を撒き散らす寄生的な人間である可能性も出てくる。まぁ赤ん坊が泣くのがこれなので、精神的に赤ん坊なのだろう。赤の他人であることを忘れないよう。

ともかく、勝手に汲み取られるのは、主体性を持った人間としてはあんまりありがたくなかったりする。気を利かせ過ぎればウザがられるものだ。程度の問題。で、不安感が動機だと加減が難しくなる。緊急性が高くなりすぎる。そういうスイッチ入っちゃう(闘争・逃走反応)。やっぱ予防の方が大事だろう。

感情の巻き込まれとメサイア・コンプレックス

・外見上は「親切」だが、自分が感謝されることが目当てとか、他人の役に立つことで自己無力感を慰めようとしている人間を、メサイア・コンプレックスと呼ぶ。

メサイア=救世主。その通り他者を助けるありがたい自分を演出しようとするが、中身があんまりないので迷惑だったり、しつこかったりする。

動機としてみるとほぼ劣等感であるため、感情の巻き込まれによるおせっかいとは違う。メサコンは自己愛や承認欲求に近いが、感情の巻き込まれによるおせっかいはもっと反射的な感じが多い。

ただ、やってることは似たような感じになる。そのしつこさも。

メサイア・コンプレックスについて
メサイア・コンプレックスとは・略してメサコン。メサイア症候群、キリストコンプレックス、救世主妄想とも呼ばれる。狭義のメサイア・コンプレックス・メサイア/メシアは救世主を意味する。メサイア・コンプレックスは本...
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