・遅延評価勉強法は、必要を感じるまではやらないことで効率を高めるものだった。
気をつけたほうが良さそうな点が2つ。
1:基礎が出来ていなくてはならない。あるいは予備知識が必要になる。
「何が必要か」や、「xが足りないから出来ない」という判断のため。自分がこれ以上進めないという時、行き止まりなのか乗り越えるハードルなのか区別できないのはいかんでしょ。
「何がわからないのかがわからない」という状態になると詰む。この状態になったらカリキュラムをやり直したほうが早いだろう。この状態は質問することすら難しい。
2:なんだっけ。ああそうだ、「自分から必要性を見つけに行くこと」。
「必要性」というのも人それぞれで、そろそろ手持ちの知識/技術だけじゃ不安になってきたという段階を指すこともあれば、打つ手が無くなるまでは必要性を感じないかもしれない。
後はぶっちゃけ全部諦めればいつまでも何もやらなくて良くなっちゃうしな。
・遅延評価勉強法は一見すると受動的なのだが、実際には目標に対して前進しようとしている状態が前提としてある。この状態で「全部勉強しよう」という行動は効率悪いという話だ。目標に対して必要なものだけでいいのだから。
この前提を踏まえないと、この話は「困ってからやればいい」という死亡フラグを自ら構築することになる。これはこれで遅延評価だとは思うが。
・実行しながら課題発見、処理してまた実行、というループ。
・プログラムの分野にはヤックシェービングという概念もある。
いざ手を付けてみるとAのためにBが、BのためにCが必要であることがわかり、思った以上に手間がかかることなどを指す。
スケジュール的には「トラブル」に近いが、実際にはこれは何が必要なのかを「発見」したと同義だろう。計画段階では見落としていたものを。
本来それは計画に織り込まれるべきだったと言える。実行することで、それに気づけた。
・やり慣れたフレームワークではなく新しいプロジェクトに手を付けるなら、こう言ったことは十分にありえる。
この上でどうもスマートじゃないとやだーみたいな気持ちが「発見」を「失敗」と断じている。でもまぁ実際スマートにやるには大抵熟練が必要だろうし、この辺りは諦めた方が早い気がするが。
・このような「実行による発見」というのが手段としてあるのが、戦争で行われた「威力偵察」だ。
普通の偵察は隠密。バレないようにやる。威力偵察は攻撃を仕掛ける。強行偵察とも言う。敵のリアクションからその規模や状態を知り、こちらの準備を整える。
ガチめの攻撃じゃなくて小規模。勝つつもりじゃなくて知るつもりの攻撃。
・例えば勝つつもりで同じことをしたとしたら、敵を殲滅出来なければ「失敗」だろう。挙げ句知るつもりもなければ、何も学ばないだろう。この上で成功させなきゃならないと思っているのなら、玉砕だろう。多分。
これは目標のための計画と実行にも同じことが当てはまる。根本的な話、やったこと無いのにそこまでの道が完全にわかるのかと言ったら普通無理である。
前例がどれだけあろうが、自分がやる時に全く同じではないだろう。同じだったら「成功者の真似して成功した成功者」がいるはずだが、流石に全く同じというのは見たことねーな。
前提が違ったり、能力が違ったり、やることと自分の相性があったりでまず同じじゃない。
・一方で人はそれが未知であるほど、計画を細かく設定する傾向があるように見える。多分「現場でなんとか出来ないかもしれない」みたいな心配がそうさせるのだろう。情報を欲しがり、綿密な計画を立てたがる。
皮肉なことに、この2つがジレンマを生む。
情報を手に入れるためには実践が早いが失敗はしたくない。
失敗したくないから情報が欲しいが「血の通った情報」は経験するのが最もいい。
ぐるぐると。
・失敗しても問題ない環境=安心して練習できる環境などは、もうそれだけで財産だろう。
・威力偵察の概念は、攻撃(実行)と情報収集の中間に位置する。隠されているものを「引き出す」事ができる。
加えて勝利条件が「情報収集」であり、今すぐ達成することと比べれば容易ともなる。使えるようなら使ったほうがいい手段だと言えるだろう。