・井の中の蛙大海を知らず、とは言うものの。昨今では自惚れることすらできねぇという話も多い。大体ネットのせい。すごいのゴロゴロいるからね。
調子に乗って手を付ければ、本当に上達したりハマったりもするかもしれない。だがすごいのばかりが目について「あんなの無理だ」と思い、やりもしなくなってもったいないとかなんとか。
・例えば絵が周りより上手かったとして。それを自他共に認めているものとして。
小中高とそんな感じで才能を活かそうと美大に入りました、と。
でまぁ、周りの奴全員そんなんばっかりなわけで。埋没するね。生徒Aだね。Fくらいかも知れんね。
この辺りで自信をなくす、というパターン。
こんな流れの話は結構多い。「むかし神童いま凡人」って言葉もこの類だろう。ただ美大まで行ったのは、少なくとも「そこまで」は才能か実力か知らんが、何か持ってた/身につけたわけだ。
・一方で現代だと、まぁ検索すりゃ神がかったのが出てきたりで調子こく暇すらないと。
例えば絵がうまくて、何万もファンがいて、でそういうのが「受験なのでしばらくお休みします^^」とか言って学生だったのかと愕然とするのがなんかあの時期の風物詩になってる気がするが。
・興味深いのが、相手が上手いことじゃなくて相手が「若い」ことに大抵ダメージ受けてることなんだよな。
スタートが同じとも限らないのだし、気にしてもしょうがない気がするのだけどね。
ついでに言えば、学習が脳に定着するのって海馬が細胞分裂するタイミングらしいから、新陳代謝が高い若い個体の方が基本習得率高いだろう。技術や知識の相場も基本後の方が高い。知らんけど。
まぁ逆に老人が新しいこと習得できる根拠でもあるのだが。
・小説、イラスト、歌なんかもそうか。この辺りでこれ系の話は多い。
恐らくはトレーニング法が十分に確立されてること、「入門」のハードルなら低いこと、拘らなければ金もそれほどかからんこと、これらの結果としてレッドオーシャンになっていることが挙げられるだろう。
競争が激しく、技術相場も高く、加えて分母がでかけりゃそれだけ「天才」の出現率も増える。結果目につく。
・逆にマイナーな分野だと連帯感生まれるね。大体。
・自信は2種類ある。「自分に対しての信頼」と、「周囲と比べて自分が上にある」という認識とだ。
こうして並べると前者を称賛しがちだが、別にまぁ、後者でもいんじゃなかろうか。事実であるなら。自分より上を見るとバグるという脆弱性があるが。
・比較でない自信について語るなら、例えば自力でそのタスクができるかどうかという能力の話になり、それは「自分に対しての信頼」の問題となるだろう。あの岩を動かすことはできるか、あそこを飛び越えることはできるか、など。できるかできないかに対しての自信。自己効力感。
・周りが同レベルになったから自信をなくしたって話は、当人の能力自体に変動は起きていない。つまり「できること」は全く損なわれていない。それなのに自信をなくすというのは、比較の上で成り立っていた証拠だろう。
ただ、それが自惚れなのか己への信頼なのかがよくわからない。
- 「同じ人間」達が自分ほどにはできない
- 自分はどうやらこれを人よりうまくやれるようだ
との解釈の場合、「自分への信頼」が「周囲との比較」から発生しているとも言える。これが妥当か調子こいてるかで言えば、妥当だと思うのだが。
結局あれかな。自分より上をたくさん見ると「確かに自分は周りと比べれば大したものだ。だが世間では通用しない」という新たな認知となってしまうのかもな。じゃあ最初から世間見まくってたら調子に乗れる暇はそりゃないな。
・「人と自分を比べるな」というのはよくある話だが、個人的に脳みその作りから言ってそれは無理だろと思う。「比べてしまうこと」自体は。その結果の解釈/再解釈への介入は可能だろう。
ただまぁ、見ないほうがいいだろうな。自分より上手いやつ。あんまり。目の毒だ。消費者視点と製作者視点と両方持ってると大変だろうなぁこれ。資料になるのも事実だろうし。
・一方で、「自分の頭の中の物を形にできるのは自分しかいない」なんて意見もあるわけで。
まぁ確かにそうだ。
金払ってやってもらうにしても、うまく伝える=表現ができなきゃ納得の行くものは作れないだろうし、それをやるのもどの道自分しかいない。
顧客が本当に必要だったものの逸話のように、「クライアントがまともに意見を伝えられてない(自覚もない)」みたいな話は割とある。
でもクライアントの頭の中にはイメージはあるわけで。作っている最中にようやく自分で発見することもある。
・極端な話、ピアノの練習をしている人がいたとして。
その人はピアノの曲が「聴きたいのか」といったらまぁ大体違うだろう。それなら多分You Tubeでも漁るわ。
ピアノを「弾きたい」はずなんだ。「自分」が。
対象がこのような意味で「自分にしかできない仕事」の場合、周りは関係なくなる。自分が何かで並以上だったとしても、それができないなら意味がない。
己の道を進むのなら、最初から「相場」なんて知る必要はないかもしれない。
ハイペースで出される作品より、遅筆や完璧主義がそっと出すような物の方が大抵好きだし、商用よりフリーゲームの方が面白いこともあるし。
・まぁマネタイズとかまで考えるとやっぱり必要かもしんない(台無し)。