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fragments 自分のペースについて

投稿日:2020年10月10日 更新日:

・なんかこうあれだ、ゆるいの書きたい。硬いことばっか考えてたらしんどい。

そう言えば役者の自殺が頻発している気がするが、いややめようゆるくねーよ。

まぁ一説によればコロナによる自粛で一人でいる時間が多い→自分と向き合う時間が増えた→将来が不安になったってパターンだという話はある。

忙しくないと不安になってくるってタイプは、無理に休まないで趣味でも見つけたほうが良いのかも知れん。

正直なところ、「止まったら死ぬ」「自分と向き合ったら死ぬ」という人は割といると思う。

・ゲームとかで「生き急ぐ」なんて呼ばれるペースでコンテンツを消化する人がいる。ただあれは、当人的には普通のペースなんだろう。それが並みより早いってだけで。

精神テンポと呼ばれる個人固有の早さはある。これはあまり後天的には変わらないらしい。

・どんな早さが快適なのかと、楽かどうか、有効かどうかは微妙に違う。わかりやすい例としては、マラソンがある。

あの距離を心得のない人間の「自分が走りやすいペース」で走れば、まず横っ腹が痛くなってうずくまる運命にある。そのペースってのは心得のある人間より大体早い。

その「心得」ってのは「完走できるペース配分」を体得することを指すのだろう。それは自分の自然体とは別の目的/前提にあるものだ。

経験者は「走りきれるペース」で走るから自然なペースより遅いだろう。当人の自然体と比べて。

この場合、自分が最も快適でいられるペース=自分が最も実力を発揮できる「気がする」ペースと、実際にそれが可能なペースとは全く違うということになる。

・一方でなんかこう、自分のペースって言うと「とても健康的である」みたいに思われてる気がする。特に精神面で。が、上記の通り自分のペースが自分を潰すことはあり得る。

・後は単純に、ペースを落とすこと=簡単だと思って軽視しているフシもある。サボりだと思って出来ない人もいるかもな。

ただ、例えば自分より歩くのが遅い人に合わせて歩いてみると良い。楽ではない。快適ではない。なんか疲れる。

自分のペースより遅くしても疲れる。自分のペースで楽をしているのは、脳の制御関係の部分だけだろう。後は別に楽とも得とも限らない。

・この「脳が楽したい」という欲求はプライオリティ高いね。高すぎて他が犠牲になる。

せっかちな奴が遅い奴を見たらイライラするわけで、急かしたらクオリティが落ちたり事故の確率は上がるのに、それをやってしまうとかね。

私達にとっての正しさは「脳にとっての正しさ」にすぎず、人生的にも、在り方的にも、判断的にも正しいとは限らないのかもしれない。

人間、脳の欲求は否定できるのに「脳が言う善悪」は盲信しがちだな。

・逆を言えば「脳が嫌がるよろしいこと」というのはあることになる。

セネカの本だったか、自分が正しくても違和感を感じることはあるとかなんとか書いてあるのは。

まるで長年患っていた人間のように「健康であることに戸惑う」とかなんとか。

・ゆるい話にセネカはでてこねーよ。

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