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処理流暢性

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処理流暢性とは

・簡単に言えば「やりやすさ」「わかりやすさ」などを指す。

・「処理」は情報処理のこと。文字や言葉の理解の容易さや、実行のしやすさなど。

・「流暢」は言葉通りの意味。すらすらと、なめらかに、よどみなく。水の流れをイメージすればいい。行動やトークなども流暢であれば「流れるように」などと表現される。

・今あった「簡単に言えば」というのは処理流暢性を上げる。いきなり細かいこと言ったり論文の引用出したりしたらこの記事の処理流暢性は下がる。

まぁ基本このブログは処理流暢性低い。

・総じて「簡単」か「難しい」か。処理流暢性という言葉の意味としてはこの程度なのだが。

たちの悪い事に直感的な処理流暢性の高低が、物事の印象を大きく左右する。しかも無関係な部分の流暢性が他の部分の、或いは全体の印象を変えることがある。

・一見しただけで決定する、直感レベルでの話になるため、「認知的な処理」と捉えたほうがいいかも知れない。直感、無意識、第一印象のような。或いは当人はその情報処理を「現実を認識した」と感じるかも知れない。そのくらい素早く、強い。

その情報が乱雑か整理されているか

https://ci.nii.ac.jp/naid/130004726504による処理流暢性について。「乱雑か整理されているか」。

・ゲシュタルト心理学では、人が何かを知覚する時、個々の要素を個別に見るのではなく、一定の「群」としての認識をするという。

処理流暢性はこの「群」としての認識の容易さのこととなる。
例えばデスクの上に散らばった筆記用具の写真と、同じだけの筆記用具が一箇所にまとまっている写真とでは、後者が「群」として認知しやすいため処理流暢性が高い。

この論文内の実験では、乱雑さに比例して判断が困難になっていくことが示されている。

 

処理流暢性と認知バイアス

・いくつかの認知バイアスは処理流暢性に関わっている。理解が容易であることはポジティブな印象を、困難であることはネガティブな印象を持ちやすい。

(ここ読むのが多分一番早い:https://togetter.com/li/1039919

簡単に言えば「楽だと好き」「難しいと嫌い」となりやすいこと。難しいだけじゃなく「めんどくさい」も含める。

小説より漫画のほうが好き、みたいな。「わかりやすさ」にも美学があるけどね。

野球やサッカーでよく言われる「ホーム」と「アウェイ」の概念も該当するだろう。

・ただ、ある意味正しいとも言える。わからないから「警戒する」と捉えれば、生物として正しい。また、めんどう=手間と時間がかかるとなれば、野生では歓迎しないだろう。食われるかもしれんし。

逆に慣れ親しんだ物事は、「安全」であると判断できる。「安全」なものに囲まれている状態と、処理流暢性が低い=「警戒対象」に囲まれている状態では心の余裕が違う。

野生としては有能なヒューリスティクスだが、現代人にとってはこれは「本能的な肯定/否定」として裏目に出やすい。

・ポジティブな処理流暢性の結果として、ハロー効果、単純接触効果、バンドワゴン効果。

誰にでも当てはまることを「自分のことを言っている」と感じるバーナム効果も、疑うことを放棄している上、「性格」や「」の要素はかなり「わかりやすい」な。誰だって感じたことがあることばかりだし。

どうもこうして並べてみると、「騙される」時ってのは大体「わかりやすいこと」が相手だな。

・ネガティブなものとして、認知的不協和。これは自分の認知と現実が異なっていることに対してのエラー。

・「判断が楽/それは安全なものだ」と「思いたい/思い続けたい」事による、公正世界仮説、コンコルド効果、ステレオタイプ/偏見、正常性バイアス、ポリアンナ症候群、確証バイアス。

・認知バイアスはプラス面もあるが、マイナス面も大きい。
種類は色々あるが、中には特定の事態にお決まりの反応を示す「パターン化」と、偏見/決めつけなどの知っている「型」に物事を押し込めるタイプがある。どちらも「流暢性」を高める処理だろう。

「処理」の難易度と慣れ

・処理の流暢性は物事自体の難易度もそうだが、自分がそれに慣れ親しんでいるかどうかが大きい。

私は私の部屋でくつろげるわけだが、他人が私の部屋で私と同じようにくつろげるとは限らないわけだ。他人にとっては「慣れてない場所」となる。

・ただ、一概に処理流暢性が低いと嫌悪や緊張や否定感を生むとも限らない。そうだとしたら誰も旅行なんてしないだろう。

好奇心を始めとした「新しいもの」に対してのポジティブな刺激は存在している。これは処理の難易度が高いことは必ずしもネガティブとならないことを示す。

・幸福だと流暢性が高いもの(見慣れた物事)への興味が薄くなるとされている。「退屈」と感じるそうだ。

この場合は流暢性が低い(目新しさ/好奇心を満たす)物事を好む傾向がある。

まぁ何れにせよ、処理流暢性が価値基準になっていることに変わりはないが。

・これらは「直感」に左右される時の心理でもあるが、人はそれを直感ではなく「理解」だと感じるのも問題になる。

認知バイアスは「気をつければなんとかなる」レベルの話ではない。
大抵の場合は既にやってしまった後から気づいて、なんとか軌道修正するしか無いようなものだ。

わかりやすさと信頼度

・処理流暢性は「わかりやすさ」がそのまま「信頼度」となるアホ心理として語られることが多い。

わかりやすいと真実だと感じやすい、好印象を抱きやすい、そのわかりやすい話を話す/書いている人間を頭がいいと思い込みやすい、など。

一番まずいのは、「真実だと感じやすい」ことか。つまり騙されやすい。

・実際のところとしては、「わかりやすさ」と「正確性」は相対的な関係にある。

何の抜けもないように、しっかりと、正確に物事を綴ろうとしたら、まぁ契約書みたいなめんどくさいものが出来上がるだろう。

反対にわかりやすさのみを意識するとしたら、抜けが多く、正確ではない、「わかったつもりになれる文章」が出来上がるだろう。

で、現実としては後者のほうが広まりやすい。

・イメージとしては、わかりやすいほうが「判断」を素通りして感情的に届く、と思えばいい。

わかりやすいほうが心に直接届く=インパクトがあり、「揺さぶる」。小難しいと頭使わなきゃならないから感情的な部分はあまり動かない。

・少なくとも共感能力と論理的思考の神経回路はお互いに抑制し合い、どちらかが優勢ならどちらかが弱まることは判明している。

 

脳の神経回路網の内、「分析」と「共感」の部分は片方が活発になればもう片方が抑圧される関係にある。

わかりやすさのもう一つの問題点

・可読性(読みやすさ)の方の話だが、アメリカにおいて成人の読解力は中学二年生レベルだった、という話がある。まぁ日本も対して変わらんだろう。

1930年代以降、アメリカ合衆国でのリテラシー調査によると、アメリカの平均的な成人は中学2年レベルの読解力である。

教育レベルと読解力のレベルは必ずしも一致しない。高校を卒業した人でも、中学2年レベルの読解力であることが多く、大学卒業者でも高校1年レベルが多いとされる。

実際、読者にわずかな形式的教育を施すだけで、読解力を大幅に改善できることが示されている[3][6]。

今日、アメリカでのベストセラー作家のほとんどが、中学1年レベルに合わせて文章を書いている。

例えば、ジョン・グリシャム、ダン・ブラウンなどである。専門家は、法律や医療に関する情報を中学1年レベルに合わせて書くことを推奨している。

医療や安全に関する情報を小学5年レベルで書くことを求めている法律も多い[7]。あるレベルの読者を想定して書く場合、自身もそのレベルでないと非常に困難を伴う。

方法を知り、訓練し、経験を積む必要がある。ジャック・バーザンは「簡単な英語は誰の母国語でもない」と書いている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E8%AA%AD%E6%80%A7

他にも見やすいフォント、余白や空白の大きさなどが影響を与えるとされる。

成人全員要介護。これは読解力の話であるが、他にも通じるだろう。

・教育レベルと読解力のこの差から、流暢性が思考やスキルではなく「自然に出来るか/直感的に分かるか」に依るものであると考えることができる。つまり能力/タレント。

要するに、人間は自分が思っているよりは馬鹿であり(=自然には判らない)、それ以上の難易度では意識的に頭を使う必要がある。

つまり「わからないものが多い」のが常であり、大体流されるか騙されるかしやすいのもまた常であると言える。

流暢性が高ければ、頭を使わずに反応できる。低ければ、頭を使って悩まなければならない。
「騙される」というのは、「わかった」と感じて頭を使わない時に起きるだろう。騙されるとしたら、わかりやすい物事だ。

・幸いなことに、可読性に限れば簡単な教育を施せば改善するともされている。これは努力で補えるということでもあるし、自然体での理解度はかなりの個人差があるということでもある。

処理流暢性が行動範囲を狭める可能性

・経済学者のダン・アリエリーのトークより。

様々な判断を真剣に考えるなら、処理流暢性はほとんどが低くなる。この結果、我々は「どうしていいかわからないから」デフォルトの設定を受け入れてしまう、という話。

 

・自動的にお膳立てされたことを受け入れる。この上で「自分で決めたこと」だと認識する。利用する側にとっては都合が良いだろうな。

意識的に問題をシンプルにしたりすることも、時には必要だろう。

処理流暢性のコントロール

・良かれ悪しかれ流暢性が無意識的な印象を決めてしまうわけだが、重要なことは結構コントロールも可能だということだ。

・結論から言うと、自分の予測、物事の捉え方に対してそうである「少量の理由」で処理流暢性が上がる。
「大量の理由」を挙げようとすると処理流暢性が下がる。

https://togetter.com/li/1039919から。

学生グループを、試験で「良い点が取れる理由」を少しだけ挙げるグループと、大量に挙げるグループに分けた。

結果、少しだけ挙げたグループは自信がついた。

反対に、「悪い点を取る理由」を少しだけ挙げるグループと、大量に挙げるグループに分けた。

結果、大量に挙げたグループは自信がついた。

・要するに、「ポジティブなものに対してはそうである少量の理由」、「ネガティブなものに対してはそうである大量の理由」を挙げると自信が付いたことになる。

ただ「自信」の話であって、論理的な解決になるかどうかとはこれは別だ。「問題」ではなくて「」に使えるテクニックってことだね。

・同様に夫婦に対して相手の好きな所/嫌いな所を沢山挙げる/少し挙げるという実験では、「少量の好きな所」と「大量の嫌いな所」のグループが、他と比べてどちらも同じだけ幸福度が高い傾向があったそうだ。

これも同様。「主観/気持ち」の問題の場合、これらは使えるだろう。

・これらは、

・大量の理由を考える→

・困難である→

・理由を考える流暢性が下がって、「内容自体に対して」ネガティブ判断

という流れだとされている。

まぁ悪い所を沢山挙げよう、と思ってそんなに出なかった場合、「結構自分は満足しているのか」と思っても不思議ではないだろう。

少量の良い所の場合は恐らく、すぐに言えたから自分は相手の良い所を知っている、と実感できなのではないか。







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