エゴイスト。独りよがり。わがまま。自己中。独善。我田引水。
えんがちょ筆頭というか、まぁ好ましくない人物像の代表格ではある。
一方で自分勝手が羨ましいとかなんかそんなんもある。
自分勝手な人には自覚があるか
まぁだいたい自覚ないね。少なくとも自分勝手に振る舞ってる時には。
自分勝手な人の思考回路のイメージが、自分と他人を比べて自分を選ぶ、というのなら合理的であり、サイコパスに近い。
ただこのイメージは間違ってることが多い。ほとんどの自分勝手な人は、自分しか見えていない/自分のことしか考えてない結果、自分勝手になる。
なので自分勝手に振る舞う覚悟や度胸や冷酷さがあるとも限らない。自己愛的な甘えはある可能性は高いが。
どの道、相対的には相手の意見、意志、権利などはだいぶ軽視した態度となるので嫌われる。
要するにわかってないでやってる一種の天然が多い。だから後から正気に戻って後悔するタイプもいる。
自分勝手と自他境界線
自分と他人の境界をそのまま自他境界線と呼ぶ。所有物や精神的距離/領域を含める。プライベート/プライバシーも。心の距離感と言うと早いだろうか。
これが間違っていることがある。自分勝手だと思われる人は自分の領域が他人の領域を侵している。
むしろ他人の領域を侵すタイプが「自分勝手」と呼ばれるのだろうが。
逆に他者の領域を自分の領域にまで広げるタイプはカモになる。従順、言いなり、気弱なタイプ。
大抵の人間は最初から境界線が認知出来ているのだが、一部は見えていない。悪意があるわけでもないのだが、踏み込んでくることがある。
見えていないから相手のリアクションも正しく予測できておらず、予想外に拒絶されて感情的になったりなどもある。
これも結構自分勝手な人間の振る舞いとしてあるだろう。言動自体は「当たって砕けろ」だが、砕ける覚悟全く出来てない奴。
一方で、自他境界線は変化することがある。わかりやすいのが親子関係で、食事の世話から下の世話まで要介護だった赤ん坊の頃は、親の領域が子供の領域にまで広がるのは必須となる。
子供側の心の発達はほぼ自然に行われるが(問題が発生することもあるが)、親の方はそうもいかない。子の成長を見て、自ら境界線を調節する必要がある。
子供が認知する境界線と親が認知する境界線は異なる。子供はだいたい「もうできる」、親はだいたい「まだ危なっかしい」となり、過干渉となりやすい。
親が自分勝手というのはだいたいこれだろう。親から見ればまだ要介護であり、その分干渉する。これは子供から見たら境界線を侵すに等しい。子離れの問題もあるが、子供の自意識が過剰に発達していることも多い。
ガチのクズ親もいるけどな。
反面、子供が親に「もっと自分に気を使うべきではないのか」、なんて思っていることもある。この場合、親が「自分のこと」をやると、子供はそれを「自分勝手」と見なす。こっちは親離れの問題もあるし、もう面倒くさいから素直に甘えろよ。
勝手な期待から他人の権利/自由の行使を「自分勝手」と評するこの構図も多い。例えば上司からの飲みの誘いを断ると「自分勝手だ」と言う者はいるそうな。まぁどっちが自分勝手かは、見りゃ分かるだろう。境界侵犯はどっちか。
自分勝手が羨ましい人
一見すると自己実現、自分のために周囲と戦えるように見えるわけで。これはプレイヤーとしての利点ではあるからね。まぁ、自分勝手な人が羨ましい人、というのもいる。普通はあんなハングリー精神持っとらんからな。しかし所謂自分勝手な人は、その手段が他力本願なところが目立つ。
その人間性がバレてたらそいつ就職できてたのか、周囲が相手してくれてたのかとか考えてみると、まぁ怪しいわけで。大抵この手の人間は縁が切れないから居座ってるだけってのが多いだろう。
実利は手にするが、それ以外は全て失っているようにも見える。恨みも買っているだろうし。
ゴネ得が羨ましいなら、羨ましいのはその利益がであり、その振る舞いを真似したいのか、そもそもできるのか、と問いたい所。
自分勝手で良いこと/良い時
自分勝手が恨ましいというのは、ここまで述べてきたような嫌悪感の湧く自分勝手さじゃない、自分勝手Mk-IIが羨ましいんだろう。
心当たりは、アサーティブくらいだろうか。自他尊重。
日本人は他者尊重は十分(時に病的なレベルで)できてるとされることが多い。この概念で面白いのは、他者尊重しかしてないのはノンアサーティブ(=自分を尊重していない)であり、よろしくないとしていることだ。他人を優先し、自分を後回しにしていると。
逆にここまで述べてきた汚ねぇ自分勝手さはアグレッシヴタイプと呼ばれ、「不適切な自己主張」とされる。
理想形がアサーティブ、つまり自他尊重。両方を尊重すること。交渉や説得の場を想定した話なので、万能ではないが。
元から自分ごとの場合でも他人の目が気になる、という話のほうが多い。介入させるな/口を出させるなというのが正しい方針のこともある。
自分の領域を守らないというのなら、やっぱり自分を尊重していないわけで。
結局の所、自己実現、自分の時間、自分の領域、自分の世界、自分のために、周囲と交渉、拒否、戦う必要がある時はある。