ある日突然できるようになる現象 3

・「覚醒」と呼べるような、今までと比較にならないほどの、眼を見張るような成果を突然出す現象。

環境的な要素 必要性、必死さ。

・努力って言うより、ちょっと無理してやろうとすると伸びるってのはあるな。コンフォートゾーンからパフォーマンスゾーンへってところか。で、その成長に時間差がある場合は「ある時急に」って感じにはなろうか。

・コンフォートゾーン(不安にならない行動範囲)では人はそこそこな能力しか発揮しない。これは意識的な話ではなく、本人真面目なつもりだけどなんかぱっとしないとかそういった感じ。

パフォーマンスゾーン/ラーニングゾーン/ストレッチゾーンと呼ばれる、コンフォートゾーンから一歩外に出た領域では、人は能力の向上を見せる。簡単に言ってしまえば「適度な緊張感」を持っていると、能力を発揮する。

更に緊張するような環境では、パフォーマンス能力は逆に落ちる。これはパニックゾーンと言われる。

・特に英語の話で多かったが、ろくに話せない状態で海外行くことになって、必死だったと。少なくともコンフォートゾーンじゃないね。

また、一見してパニックゾーンの方が近いこの状態も、数日経てば落ち着いては来るだろう。少しは。即ちパニックゾーンからラーニングゾーンへの移行。こうなれば学習能力は上がることになる。

環境的に、どの道英語ができるようになる必要はずっとある。この状況でならコンフォートゾーンまで落ち着くことはないだろう。落ち着いたとしても、ラーニングゾーン。学習能力自体は上がった状態を保つ。「覚醒」するだけの学習はしている状態には自然となるだろう。後は前回の「身につくまでの時間差」で説明はつくと言えばつくか。

・この各種ゾーンと同様の話がヤーキーズ・ドットソンの法則として存在する。
マウスに単純作業をさせる実験で、罰がないよりは適度な罰がある方が学習能力が高かった。罰が過剰な場合は、やらないほうがマシな結果だったとのこと。

何にどれだけ緊張感感じるかもそれぞれだからな。他人にやられるよりは自分で探ったほうがいいだろう。

努力の種類

・総じて努力には種類がある。その1つは従来の「積立型」とでも言える、右肩上がりの成長ができる(はずだった)もの。もう一つは勘違いや思い込みの解消やコツを掴むことなどの「答えを探す/修正する」タイプの努力。

積立型も日払いで手元で積み立てるか、年俸みたいに手元以外で積み立てられてるかの違いがあったりする。今回の話は年俸タイプの努力の実り方。

つまり今回の「覚醒」は、
1:無意識的な学習が必要なもので成果が出るのに時間が必要だった
2:必要な要素が欠けており(他は満たされている状態)、それを発見した
3:阻害要因があり(他は満たされている状態)、それが解消された

の辺りだと考えられる。逆を言えば、時間が足りないかコツを知らないか邪魔な要素のどれか「だけ」で全く上手くいかないということがあり得ることになる。繰り返しておくがこの話は実力と言うよりも、「実力を発揮できない/できるようになった」話だ。

・特に3の阻害要因についてだが、必ずしも悪いとは限らないし、これを最初からゼロにするというのは恐らく不可能だ。子供が自転車につける「補助輪」のようなもので、方便としてとりあえずこれを信じておけ、このつもりでいろ、みたいな教え方はあるだろう。

最初から「正確で漏れのない知識」を伝えた所で相手が消化できないことは結構多いのは、教える側の経験があるならわかるはずだ。同時に「わかりやすい説明」が不十分な説明であることがとても多いのは、それに詳しければわかるはずだ。

これらは別に人に教えられたとも限らず、自分自身での暫定的な解釈・方針として十分に発生する余地はある。

進むためのこういった「補助輪」は、実力がついた頃には邪魔になる。あったほうが速度が落ちる。結果的には足かせとなった「勘違い/間違い」となるかも知れないが、そこに至るまでは恐らく役に立っている。

・昔から薄々感じちゃいたんだが、例えば学習予定だとか、堅実な努力だとか、みんなが(口にする分には)大好きなこう言った概念には、一歩一歩確実にこなし、それにふさわしい成果を一つ一つ得ていくイメージがある。

そういうのと、この話はかけ離れている。収穫は最も「最後」であり、「一気」に来る。綺麗な右肩上がりの成長曲線は恐らく無い。言うなれば、我々は努力に対しての成果を「日払い」で求めているのだが、現実には年俸制くらいの違いがある。これはモチベーションを下げる。というより、補充する場所がない。

この上で、経験上はこっちのほうが「現実」だよなぁと。だからこそ、成果が出ずに諦める者が多数なわけだし。愚直にやればやるほど「すぐに」報われるんだったら誰も彼もが嬉ション漏らしながら努力してるわ。現実には、そうじゃない。

よくある学習効率の研究にしたって、英単語いくつ覚えられるかとかそんなのが多い。暗記も学習であるだろうが、全てじゃない。

・私自身、継続した努力によりある日突然出来ないことができるようになった経験はそこそこあるわけだが、それら全て、「一歩一歩進んでいる」なんて感覚は皆無だったと断言できる。自分で設定したノルマだからやってたか、何度も「挑戦」するつもりでしつこくやっていたかのどちらかだ。

グリット:粘り強さ 

成功に必要なのは、IQでも学歴でも身体能力でもなくてグリット、つまり「粘り強さ」だって意見とその研究が出てきているが、これもその補足だと思うね。

これは「報われ方」「努力の実り方」のイメージが間違っている可能性と、だからこそ実際に努力した時に成果が見られず諦めてしまう理由ではないのか。

「継続」こそが最も難しく、そして重要であること。何せそれまで成果が出ない。げんなりするには十分だ。

・或いは努力は実際に右肩上がりで実力になってはいるが、それを認知できるのがある程度形になってからである可能性。要は努力への期待が大きすぎること。

・逆を言えば、愚直な努力が報われる形にまでカリキュラムに落とし込めれば、擬似的に「努力すれば報われる」形にはなるが、義務教育がそれに近い。結局あれも詰め込み式だの言われるし、社会に出れば要領悪い、言われなきゃできない、言うまでやらないと言われるしと問題が結構出ている。愚直な努力が報われるとは要するに丸暗記できることってなるのだろう。

裏を返せば、今回のとても要領が悪く理不尽な努力の実り方の方が本来はデフォルトで、右肩上がりの成長は人に整備された分野に限られるのかも知れない。それらは結局の所、殆どが文字と言葉に依存するため、それ以外で躓く。

・目標とする物自体に種類があるか。暗記のような「覚えるもの」と、体得するような「身につけるもの」と。

メモ

・コツを掴んだ、というのは知見を得たとも言える。スペック的には十分なはずなのにうまくいかない場合、「やり方」の方が怪しくなるか。

・夢、かどうかは知らないが、意識の「裏側」での情報処理自体は脳はしている。特にDMN(デフォルト・モード・ネットワーク)、何もしていない脳が暇な時にこそ活発になる部分というものは存在する。

・これは「実力があるのにその実感/自信がない」理由の一つではないか。ここでの例は質問とその回答という形だからそりゃ自覚はあるが、このような現象が起きて尚それに気づかず、パフォーマンスだけ上がって苦手意識はそのまま、はありえるのではないか。

逆を言えば「実力」に気づけるのは、何かしらの客観的データに依るしかないのではないか。他のやつに勝った、いいスコアが出せた、など。

・「積立型の努力」は恐らく「覚醒」を早めるだろう。だが、それ自体には報酬は出ない場合がある。継続力を弱化させる要素。ここに工夫が必要か。

・成果がないってのは、とても不安なことだ。要するに、手応えがないんだ。その努力が合ってても、間違ってても。効率が良くても、悪くても。これも止めたくなる理由の一つだろう。

・昔のRPGはプログラム上だか容量だかの問題で、経験値を取得してもその場でレベルアップさせるのが難しかったそうだ。結果、特定のタイミングで一括処理、例えば「宿屋に泊まったらレベルアップ」などの形に収まったのだとか。

つまり雑魚をせっせと狩っても経験値は貯まるが、レベルアップしない。どこか今回の話に似ているね。

・できない理由への認識について。なにか「壁」にぶつかったとして、「ここから先は全て難しい」との認知をしてないだろうか。難しいのは「そこ」だけであり、その先は平坦かもしれない。

私達は結構障害物競走みたいなイメージを「道」に対して抱くが、実際にはサバイバルに近いのではないだろうか。最優先は「努力」の状態で継続すること、この場合は諦めないことかもしれない。長い道だし、体調管理も努力の内だがね。

・できるようになったタイミングでそれに気付くことは恐らく無い。全て「やってみたらできた」的な、その時初めて気づいたと言う形を取っている。

タイトルとURLをコピーしました