成功につながるユダヤ人の文化 2

議論について

・議論好きとされる。常に反対意見を言うために頭を回転させているとも。

反対意見と言ってもただ単にケチをつけるわけじゃない。「自分の意見と相手の意見を衝突させる」ような感じらしい。

常がこれなら、考察は深まるだろう。

・逆に「長いものには巻かれろ」的な考えの方が一般には多いと思われる。

・理想とされるのは、以下のような姿らしい。


・賢人は7つの特徴を備えている。

○長老や、目上の人から話を始めさせる。

○人が話している途中で、割り込むことがない。

○話すときに、事前によく考える

○あわてて答えない。

○質問するときも、答えるときも、できるだけ簡潔にする

○話の筋道を立てる。はじめに話すべきことを、はじめに話し、後で話すべきことは後に回す。

○自分の知らないことや過ちを素直に認める

https://blog.goo.ne.jp/good-tasty/e/c4c183c57dc46e1ad7d28bcc22ac0484

まぁなんというか、「一度で覚えろ」「黙って言うことを聞け」というような要素は一切ないね。また、一部の人間がよくやる「勝ち負け」を意識した態度も無い。

その分「よく聞け」「よく考えて話せ」という要素が強い。「深い理解」を目的としているのか、正しく議論したい意志が垣間見える。

・「相手の意見に反対しなかったらユダヤ人ではない」のだとか。相手をする分にはめんどくさい気がするが、個人的には会話が成立するなら別に構わないか。

寄付


ユダヤの思想は「No pain, no gain」である。「Pain」がまず来なければ「No gain」なのだ。

例えば収入の10分の1を貧しい人達の為に使わなくてはならないというツェダカの思想もそうだ。稼いだものを全部自分の為に使えるとなると人間はより貪欲になり、商道徳に違背した行動を取るようになる。

稼いだものの10分の1を貧しい人々の為に差し出さなければならないとなると、自ずと道徳に背く行動をしなくなる。儲けの為の儲けに走らなくなるということだ。


http://www.kanjiishizumi.com/?eid=844

・「ツェダカ」は社会還元、社会貢献の意味らしい。上記の通り、収入の1割を寄付する教え。最低で一割、だそうだ。相手の順序が決まっているらしく、基本遠くの他人より近くの肉親から援助していく形のようだ。

そう言えば311の地震の時にもユダヤ人から寄付があったって話がある。同じかどうかは知らないが「ジョイント」と呼ばれる組織が他より長く支援し続けてくれたらしい。正式名称はアメリカ・ユダヤ人合同分配委員会。ここへ各地のユダヤ人から寄付が結構集まってたとか。

金銭に限らず、ボランティア的な行動もツェダカとして認められるようだ。

・行為や金額よりも、「動機」が人のためかどうかが問われているように見える。

・これは子供の頃からとの話もある。要するに小遣いから10%寄付するよう親に指導される。

・ただ、「施しをすれば10倍になって戻ってくる」とも。

・「自制」もキーワードかも知れないな。自分が努力するような、正しくあるような「環境/状況」を作ることも意識しているというか。

・日本に於いては寄付が一般的じゃない。賽銭箱か赤い羽根か、コンビニの募金箱がせいぜいだろう。御大層な社会貢献は置いといて、身近な例で言えば、例えば人のために何かを調べたとしよう。

自分が「なんとなくわかった」と思った程度じゃ足りないね。説明できなきゃいけない。じゃあ詳細を理解し、根拠を知っておく必要性は上がる。結果的に自分の気になることよりも詳しく調べることには自然となるだろう。

悪い言い方をすれば人のためにと考えればハードルが上がる。寄付ならカネの話だが、この場合は「手間」と「時間」が余計にかかる。脳のカロリー消費も。要は「労力」。その分収穫もある。この場合は自分で調べたときよりも深い理解が。

自分のためというのは、結構貪欲で、そして「雑」でもある。つまり手段を選ばなくなるか、いいかげんになるかになりやすい。

自分の「ちょっと気になったこと」なんて、大抵は適当にググって、適当に読んで、なんとなくわかった気になって、それでおしまいが多いだろう。

まぁそれでいい場面も多いし、全部否定する気はない。つか全部ガチ調査なんぞやってられんし、好きなことにカネと時間を使うのだって文句を言われる筋合いはなかろう。時間の価値が上がっている現代ならなおさらだ。

それとは別に、「人のため」の場合、客観性を持った行動、俯瞰的な視野での行動ができるのは否めない。「相手」をある程度想定しているんだから当然といえば当然だが。

ツェダカというよりハブルータの話になってしまったが。だからまぁ、好きなことではなく、「しっかりやりたいこと」に対しては、このような「ツェダカ」の視点は使えるかも知れない。あるいは1割は人のためって姿勢でも良いかも知れない。

・好きな作家のために使えば良いんじゃないの。人によってはとっくに1割超えてそうか。

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