やる気は存在しない説について

・聞かなかったことにするのが一番コスパ良いと思うよ。あくまでも個人的な結論だが。

・やる気の有無を気にしないで済むなら、それに越したことはない。その方が動ける。「やればいいだけなのに、いちいちやる気を確認するクセ」があるなら、この説は方便としては働くかもしれない。

・やる気も色々有る。完了への期待感、パフォーマンスを発揮する喜び、衝動性とか欲求とか、不安感や強迫観念も(つまり健康的じゃないやる気も有る)。

そのような行動に駆り立てるものもまた我々はやる気と呼ぶのだが(特に他人からはそう見える)、発言者はこれをやる気にカウントしていないようだ。この点については前置きに「脳的には」とか言ったりして、ちゃんとしてるんだけど。

やる気は存在しない説

・東京大学教授で脳研究者の池谷裕二が「やる気は存在しない」と言っている。「やる気は、やる気のない人間によって創作された虚構だ」と。いまナチュラルに矛盾が在った気がするんだが。

行動すればやる気が出てくる=作業興奮を提唱しているが、それ以外に「やる気」は無いことような口ぶり。


cf.

  1. 「簡単にやる気を出す方法を教えてください!」→脳研究者「やる気なんて存在しない」
  2. 脳を活性化し、パフォーマンスを上げるランニングとは

発言者の言い方について

・これは、うつ病や学習性無力感、アパシーなど(どれも研究テーマとされ、論文も多数出ている概念だ)に対して、根性論で襲いかかってるようにしか聞こえないだろう。

ご丁寧に、

「やる気」という言葉は、「やる気」のない人間によって創作された虚構なんですよ。

https://r25.jp/article/540681193689662300

「やる気」という単語は、できない人によって創作された言い逃れのための方便です(笑)。

https://newspicks.com/news/3197111/body/

とか言っちゃってるため、一部にものすごく嫌われてそうだなーと推測する。
反対に悪い体育会系や根性論者には受けが良さそうだし、そっち狙いかもな。

著書のレビューには著者が『本の中の診断では自閉症スペクトラム症の傾向が強いらしく、友人関係で支障がでている』と書かれている。どうも現役の精神科医に診断された結果らしい。

自閉症スペクトラムの特徴は、

  • 社会コミュニケーションの障害
  • 限定された興味

この内、知的/言語的発達に遅れがないのがアスペルガー症候群。「人の気持ちがわからない」とか言われることが多い。

・著者の発言で、

私は、自身が科学者であることを第一として、執筆で研究生活が影響されないように気を配っています。研究が大好きだからです。ですから、私の本のスタイルは、(1)講義録、(2)インタビューや連載記事のまとめ、(3)対談録、の3つが主体となっています。

つまり著書は「自閉症スペクトラムの傾向」+「口で言ったこと」であり、あかん組み合わせじゃねーかなこれ。書いて推敲した方がいいんじゃないの。

・真面目な話、断言口調の研究者には注意したほうが良いと思うよ。研究者で断言口調ってのはかなり珍しい(一部を除く)。

大体は自分が知らないことが有り、今判明していることもそれで全てではないことを知っているから、「現状では」みたいな前置きをしたり、「その様に考えられている」と締めくくったり、そういった傾向の方が強い。

例えば某精神科医は動画で、ざっと見の判断を「これを見て自分はそのような先入観を今持った」と客観的に言っていた。

この発言者が以前に言っていたことと最新の研究

・この発言者は、以前には「脳が疲れない」と述べている。書籍にも度々そのような指摘が有るとのこと(道理で見覚え有る名前だと思ったわ)。

cf. https://www.1101.com/brain/2002-05-16.html

読んで見れば初っ端から話がおかしい。「脳が疲れることについてどう思うか」に対して「脳が止まったら死ぬ」って返してるので話が噛み合ってない。

・人は「身体が重い」みたいな慣用句として「脳が疲れる」と言う。疲労感を感じ、むしろそっちが本体なわけだが、そのことを無視しているように見える。

なんかこう、慣用句を直訳してマジレスしてるみたいな印象を受ける。例えば「疲れてるから身体が重い」との言に対して「疲労感で重力は変化しません(キリッ!)」とか返す奴がいたらまぁそれこそアスペ呼ばわりされるだろう。いるけど。


・まぁここまでは百歩譲っていいとして、脳に疲労物質が溜まるのは観測されてる。つまり上記主張は良く言っても古い。悪く言えば間違い。

cf. 考えすぎは体に毒は本当だった。精神的疲労は有毒な化学物質を脳に蓄積させる

  • 頭を酷使すると脳のシナプスにグルタミン酸が蓄積される
  • この状態だと「すぐに満足できる楽なこと」に流されやすくなる
  • グルタミン酸が過剰になると、毒性を発揮して神経細胞を殺してしまう

この「頭が疲れた感じ」は、脳機能を維持するために「他のことをやれ」というメッセージだと考えられている。

こちらでは休息や睡眠で脳のグルタミン酸は減らせるとされている。が、件の発言者はむしろ休憩が良くないかのようなことを言っている。

・これは『Current Biology』(2022年8月11日付)に掲載された研究によるもので、割と最近だ。

こうなるから、例え現状でそれ以外の説が全て否定されていたとしても、研究者は断言を避ける傾向がある。避けないとこうなる。

反対にクソメディアの類だと断言が推奨されることがある。曰く自信がありそうに見えるから、信頼されるからと。

このため取材者は断言を求め、研究者は「現在の研究ではそこまでは言い切れない」「他の可能性も否定されていない」と断り、勝手に断言してるかのように編集されたりまるごとカットされたりして二度と取材受けねーかんな、となる話はまぁ定期的に見かける。逆を言えば勝手に断言してくれる研究者なんて都合がいいだろうね。

・ちなみに脳に貯まるグルタミン酸は旨味成分のグルタミン酸。我々は普通に食ってるが、脳の関門で全部止められるのでそのままうまいもん食ってて問題ない。脂質や糖質については各々悩み給え。


「何かをするにはやる気が必要だ」と思うようになったのはいつからだろうか?

・「やる気の有無を気にするな」って話なら、他でも出ている。

サイコパス研究者のケヴィン・ダットンは、サイコパス(合理的であると言われる)の研究を通して得た知見がある。恐れや不安に対して、以下のように自らへ問いかけるようアドバイスしている。

  • 今の気持ちが消えた場合、自分はどう行動するだろうか?
  • 人にどう思われるか気にしなくなったら、自分はどう行動するだろうか?
  • 今やっていることが大したことじゃなかったら、自分はどう行動するだろうか?
  • 「何かをするにはやる気が必要だ」と思うようになったのはいつからだろうか?

最後のは逆説的に、やる気がなくてもできるということだ。まぁ氏の考えでは。これで動ける者も確かにいるだろう。

合理的な判断と行動を生む「精神状態」についての考察:サイコパス、扁桃体、マインドフルネス
前から目について気になってたんだが、「サイコパスになりたい」なんておもしろい願望も世の中にはあるようだ。単にシリアルキラーにでもなりたいのかといえばそうでもなく、どうも結構知ってる上で、その様な「精神状態」が羨ましいようで...

・リストの通り、人が動けないときは、「感情(特に緊張や不安)」がブレーキとなっている例がいくらかある。

実際、先延ばしに関しても、不安感情がその原因となっていたり、先延ばししないためには時間管理能力じゃなくて感情管理能力だなんて説もあったりする。

先延ばしについて 目次
先延ばしの理解多くの大学生が先延ばし傾向がある75%がギリギリまでやらないタイプ効率性重視の方略の一種だとされるこの上で期限に間に合わない場合は、自己調整能力が必要とされるここでは期限に間に合えばとりあえずセーフ扱...

やる気への認知

・やる気はいろいろなものに例えられる。曰くガソリン、稼働したエンジン、炎など、暑苦しさがある。どれもエネルギーやその発生機としての扱いがされる。

作業興奮は動いた後の慣性/惰性あるいは加速であり、始めた後で楽になる保証/初めが特に辛いだけである証明として、始めの一歩を軽くする効果はあるだろう。

やる前のやる気

・作業興奮は、人がやる気が無い時に想像し求める「開始のためのモチベーション」とは別物だ。

具体的には「報酬予測」が該当する。脳(腹側淡蒼球)には得られる報酬を予測して、やる気をコントロールする仕組みがあると考えられている。

cf.http://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-224.html

また内発的動機(好き/楽しいからやる)、外発的動機(報酬/称賛されるからやる)など、「開始のためのモチベーション」の概念はいくらでもある。

ブレーキの存在

・物質的にどうあれ、概念的には「やる気」の存在を我々は認知している。そしてやるべきことを前にした時に気が向かないことを、やる気が無いとしている。
ここがなんか引っかかる。全てがただのエネルギー不足なのか。「待て」「やるな」というシグナルが出ていることはないのか?

・個人的にやる気は、「アクセル」だと思う。この場合、やる気の無さは「ブレーキ」に該当する。

直前まで準備して、当日に怖気づく。そのような者もいる。アクセルとブレーキはそれぞれ独立して「結果=行動」に関与している。ブレーキをしっかり踏んでいる限り、いくらアクセルを踏んでも意味がない。と言うか壊れる。

燃え尽き症候群は、無理にやる気を出した結果みたいなイメージはあるな。適応障害や出社拒否症になる手前の時のエピソードにもそのような無理をしていた描写は多い。

・従来のあるかないかの二極ではなく、ブレーキという「マイナスのやる気」を考えれば、アクセルを踏めば良いのか、ブレーキから足を離せばいいのか、より解像度の高いアプローチが可能なのではないか。しらんけど。

苦手なことほどやる気に頼ろうとしないか

・ブレーキが掛かる理由は、そのタスクが苦手/嫌いってのは大きいね。だもんで勢いで片付けたり、自動的に消化することを夢見て、やる気やモチベーションを求めるのだろう。

そのタスクに何らかの恐れや不安があるのかも知れない。これを「やる気」で早いとこ突破しようとするような。勢いがないと途中で止まってしまいそうで。

・苦手なことほどベストなコンディションを求めたりしないか。これは「苦手なことほど一気に/完璧にやろうとしている」わけであり、ハードルが本来より上がってるから失敗の可能性が上がるか、すごく疲れる。

タスク次第では有るが、苦手なことはさっさと手を付けて少しずつ削っていった方が安全で確実なことも有る。

メモ

・確かに「やる気」自体は気持ちの問題だ。気持ちの問題だからと言って、気持ちを無視していいとも限らない。その気持はどこから湧いたのか。自分は何を予測し、何を警戒しているのか。それらを踏み越えてしまっていいのかどうか。

もちろんただのビビリグセってこともある。そのような場合は、いい加減気持ちを無視するべきだろう。


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