家族にも本音を言えない
- 自分の意見が言えないという人の中には、自分の本当の気持ちを誰にも話せない、という人もいるようで。
- 誰かそういう人がいなきゃいけないのか。
- 言わなきゃいかんのか、自分が言いたいのか。必要性か、欲求か。
- 「本音」を正確に把握/言語化出来ているのか。
- 単に「(伝わるレベルの)言葉になってない」可能性。
- などなど、自分で考えるべきこともたくさんあるのだが。
- この例では、結婚していて、子供もいるが、夫/友人/親にも本音をさらけ出すことが出来ないという。
- 自己開示は女性の方が抵抗感が少ないとされるのだが、この例のようなこともたまに見かける。
- 彼/彼女たちの自覚要素としてアダルトチルドレンが挙げられているケースが散見される。
自分の気持ちを打ち明けられないときの内面
- 前述のページではこうある。
- どうせ解決しないだろう
- こんな事を言ったら変だと思われるんじゃないか
- 相手がリアクションに困るのではないか
- 他の例では「弱みを見せることになる」などのネガティブな予期もある。
自己開示抵抗感
- 拒否回避欲求、自己開示抵抗感は明らかにあるだろう。
- 自分の情報を、他人が知ることが出来る形でアウトプットすることを自己開示と言う。
- これに対しての抵抗感を、自己開示抵抗感と言う。
- 自己開示抵抗感は親の養育的態度に影響を受けている説はある。
- ただし事実以上に「子供が親の態度をどう受け取ったか」に依る。
- この理由が、自分に対しての親のリアクションを「サンプル」として、他人がこちらの自己開示を受け入れるかどうかの推論の材料になっているから。
自己開示抵抗感の分類
- 自己開示における抵抗感の構造に関する検討では、大学生女子52名からの調査で「話にくさ」を490収集、5つに分類している。
- 開示内容に関わる抵抗感
- 時間・解決策に関する抵抗感
- 評価懸念
- 否定的感情表出に関わる抵抗感
- 開示者特性に帰属されることへの抵抗感
- 「そういう奴」だと思われたくはないということ。
- 相手のリアクションへの懸念もあるが、どうもある面では「言いたくないこと」を別の理由から「言いたい」みたいな欲求に対して感じるような内容がいくらかある。
好みの距離感は人それぞれ
誰かと仲良くなってもいつか自分を裏切るのではないかという気持ちがあります。自分が傷つきたくないからか、仲良くなりすぎないように距離をとります。
- この様な距離感のとり方は、一種の人間不信とも言えるのだが、例えば初対面の相手に対してコレの場合は妥当だろう。
- 大抵の場合、この警戒状態が長引くことを本人が問題視することが多い。ただし、割り切っている人もいる。
- 元から深入りしたくない、させたくないと思っている場合(不公平に、深入りはしたいが、させたくはないというトンデモもいる。その逆も居る)、表面上は問題はなかったとも言える。
- まぁこのように、「誰かに相談したい」と思った時には困ることになるのだが。
普段とのギャップがあるから言えない
- ネガティブな予測の一つ。
- 大抵は「弱みを見せたくない」という気持ち。日常的には「普通」で「明るい」という自己評価が多い。
仕事をしている時や友人といる時は普通に笑って過ごしています。(正直普通の人を演じているというか、どれが自分なのかわからなくなることもありますが)
https://komachi.yomiuri.co.jp/topics/id/1006594/
- (この例では機能不全家族だったという話は話せるのだが、今現在の悩みや状況などは話せないという状態)
いつもいい人ぶって、人の悩みにはいつもいいことしか言えません。
https://komachi.yomiuri.co.jp/topics/id/905572
(中略)
人に会えばにこやかに挨拶しますし、家族にも明るく接することもできます。
誰も私がずっとこんな想いを抱えているとは思いもしないと思います。
人からは、明るいねとか、悩みがなさそうとか言われます。
- 文脈から見ると、外面が良いが、そんな自分を快く思っていないようだ。
- また、どうも一方的に相談されたり愚痴られたりしてそうな感じはする。
- アダルトチルドレンのタイプに当てはめるならプラケーターかイネイブラー。どうも受け身なんで、多分プラケーター(慰め役)であることが多い日常だと考えられる。
- 相談受ける側であることが多いわけだ。これだと逆に相談する側に回りづらくなる。
- 悩みや不安とは、自らの愚かさや弱さに通じる。もちろん悩みや不安がない人間もいない。誰だって、自分から見て「足りてない」。むしろこの不足分を認知できない人間が自信満々だったりする。
- ともかく、相談を「受ける側」であり、それに対してアドバイスや励ましを返してきたように、この文面からは読み取れる(いつもいいことしか~/明るいね・悩みがなさそうと~などから)。やっぱプラケーターっぽい。
- これやると、自分はどんどん相談しづらくはなるね。関係性が意図せずに上下関係できちゃってて、簡単に言えば「懺悔室の神父」みたいになっている。
- 信者の懺悔を聴く神父は、神以外に懺悔する相手はいないだろう。多分(よく知らん)。少なくとも信者には相談できない。弱みは見せられないという心理。
- これがプライドからなのか、以降人を励ませなくなってしまうことへの懸念なのかは判断つかないが。
- ただ単に一貫性の原理(自分の言動に一貫性をもたせたい)の可能性もある。裏を返せば、人は自分のキャラがブレるようなことをしたくない気持ちが元からある。
遠慮
- 自己開示とは基本的にプライベート情報であり、大抵は当人の「内面」にまつわるものであり、それが深い自己開示であればあるほど相手も「重い」と感じる余地はある。
- 例えばいきなり「時々意味もなく死にたいと思う」とか相談されたらめっちゃ困るわけだ。
- 相手との関係性なども、自己開示の抵抗感には影響を与える。匿名サイトなら相談できるけど、友人に面と向かっては無理、みたいな。
- これは相手が「真剣に捉えてくれるだろう」という信頼がある場合でも言えない、という可能性に繋がる。むしろ信頼している場合にこそ遠慮してしまう余地もある。「確実に心配するだろう」と予期するのなら。
- 「親にも言えない」なんて言葉もあるが、「親だから言えない」などもあるわけだ。後ろ暗さではなく、心配をかけまいとしてでも。
メモ
- 今回の参照先のサイトの相談者だが、だいぶ感心した。
- かなり文章も丁寧だし、読みやすい。この手の相談者にこの傾向はよく見られる気がする。
- ただ、「他人がわかることだけ」を言葉にしている可能性もあるし、もうちょっと内面は混沌としているとは思うが。
- こう言った文章書くためには、他人にどう見えてるかを考えるセンスが必要になる。このため、やはり普段とのギャップ説が今回は有力候補だと思うが。
- 外面がよろしい結果、周囲と打ち解けられなくなった、というパターンの人間関係は珍しくはない。この場合は、自分を出せる別の居場所を作っているケースが多い。場所に限らず、特定の誰かにだけは相談するなども。
- また、今回の例のような「匿名の場での告白」は、普段の自分の「キャラ」の影響を受けないため、その分抵抗感が薄まることがある。
- というか、どう考えてもあの相談内容自体が立派な「自己呈示」である。内面を語り、弱みを語り、不安があると語り、脈絡なく死にたいと思うことがあると語り、と。
- この手の話でたまに思うのだが、「本当の自分を出さなきゃいけない」みたいなノリが散見される。それはそれで自分なりの「普通」「こういうものだ」というイメージを形だけ演じようとしているような。
- 特に内からの欲求や不都合がない限りは、面の皮が厚いというだけの話で済むと思うのだが。
- それとも、これらの動機は「心を許せる相手がほしい」ということかもしれない。だったらまぁ、妥当な悩み方である。