- 自己開示に対しての抵抗感。
- 否定的な効果/結果を予測することが、自己開示の抵抗感となる。
- 遠藤(1995)では、自己開示抵抗感は自己開示への抑制要因として機能するとされる。
- このことから、抵抗感が自己開示の量にも影響を与えるのではないかとも考えられている。
- 抵抗感そのものに種類があると考えられている。
- 性差や相手、自己開示の内容など。
抵抗感がある事自体は普通
- いつものことだが、「元からそんなもん」ではある。抵抗感は有って普通。
遠藤(1994)は、自己開示という行為は多かれ少なかれ抵抗感を伴う行動であるとしており、開示者側が自己開示過程で認知するこの抵抗感のことを、自己開示抵抗感と定義している。
https://educational-psychology.edu.mie-u.ac.jp/thesis/2009/ohira/mondai.html
- 承認欲求には称賛獲得欲求(認められたい/受け入れられたい/褒められたい)と拒否回避欲求(否定されたくない/拒絶されたくない)がある。
- 自己開示と自己開示抵抗感は、そのまま称賛獲得欲求と拒否回避欲求のジレンマに近い。
自己開示に抵抗感がある理由
- 自己開示への抵抗感の中身は様々なものがあるとされる。
- 話しても意味がない
- 小さなことで悩むような人だと思われたくない
- 弱点を知らせることに繋がる
- 理解し合うことへの「諦め」
- 相手との関係が崩れることへの不安
- 相手から悪いイメージを持たれることへの不安
- 馬鹿にされたり否定されるかもしれない
- 深い自己開示であるほど「重い」自覚がある。これについての相手への遠慮。
- これらが相手や人類に対しての不信感なのか、自分の表現スキルへの懸念なのか、それとも他のなにかなのか、さらに色々あるとも思うが。
- 自己開示には性差がある。女性よりも男性の方が自己開示に抵抗感があり、メリットへの期待も少ない傾向がある。
親の養育態度と子供の自己開示への影響
- 親の養育敵態度は自己開示の個人差に影響を与えるとの説はある。
- 親から温かい愛情を受けている、親の力を信頼できると認知している青年ほど、家族や親友、教師に対しての自己開示の率は高いとされている。
- のだが、話が1972年のものなので、現代社会に該当するかどうかは注意が必要だろう。
- 1997年の調査でも、家庭の雰囲気や両親に対しての肯定的イメージを持つものは、自己開示をする傾向があるとされている。
- 別の研究では、幼少期に親からの肯定的な態度を受けたと人視している大学生は、悩んだときには相談する傾向があった。
- 反対に、否定的な態度を受けたと認知している者は、自己開示に対して否定的な感情を抱くとされる。
- これらは親の態度が人への信頼性(人間一般への信頼感)や自己開示のリスク評価/結果予期に影響を及ぼしていると考えることが出来る。
- ただ、幼少期の親の対度だけが影響を与えるのか、といえば怪しいが。例えば「親友に裏切られた」というのもまた自己開示を以降控えようと思う要因にはなるだろう。
- 逆もまた然りで、親がうんこでも別の誰かのお陰で人を信じてみようという気にはなれるかもね。
親の養育態度が自尊心に影響を与え他者との信頼性にも影響を与える
- 親の養育態度は大別して2つ。
- 受容的な肯定的対度
- 自尊心を高める
- 支配的、矛盾的、過保護などの否定的対度。
- 自尊心を低め、対人不安を高める。
- 受容的な肯定的対度
- 自尊心が自己開示の抵抗感に影響を及ぼすとされる。
- つまり親の対度→自尊心の高低→自己開示への抵抗感の差。
- ただし、実際に親がどの様な態度をとってきたかよりも、子供が親の態度をどのように受け取ったか(認知したか)が重要だと考えられている。
- 大前提として、他者に対しては情報が少なく、未知の部分が多い。そうなると、お決まりの「推論」がある。
- 「他者が自分にどの様な態度を取るだろうか」という推論のベースとなるのが自分と親との関係性だとか、親が自分にどの様な態度をとったのかとなる。
リスクは有るし相手にとっても重いし
- ぶっちゃけてお互いに重い。
そしてもちろん,他者からの評価にさらされる危険性を乗り越えた内面性の表出は,その受け手である被開示者にとっても,重要な意味をもつ.
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/3082#.YPo5rY77RHY
- 開示しようとしている内容も影響を与える。内容が深い=自身の内面に関わるほど抵抗感は増す。そして相手にとっても重い。
開示者にとって自己の内面性を表出することは,その内面性が深いほどその個人にとって重要な意味がある。
- 平気な方がおかしい気もしなくもない。
- 何れにせよ、焦らない方がいいだろう。
- なお、一部は対面すると駄目だが、文章やパフォーマンスなど芸術的方面で「雄弁な表現」ができるタイプが居る。必要ならば、表現の仕方、伝え方を考えるのも手かもしれない。