どこまで考えるか、どこから考えるか。

・熟考すればいいってもんでもない。考え過ぎればそれはそれで間違う。

 

レベルK思考

・ゲーム理論にレベルK思考という概念がある。これはどこまで考えるかという今回の話そのものだ。実際にはナッシュ均衡とか絡んでくるが。あとあんまり「レベル」ってイメージでもないんだけど。

 

・ジャンケンするとしよう。心理戦仕掛けるやつもいるね。「俺、グー出すから!」みたいなさ。

この時相手は、グーを出すというのを信じてパーを出そうと考えたとする。これがレベル1思考。

グーを出すというのはフェイクで、なおかつ勝とうとしているからこちらがパーを出すのを予測してチョキを出すだろう、というのがレベル2。

要するに、裏を読む、裏の裏を読む、みたいな話。相手がどの程度まで深堀りして考えるかなども。

分かりづらいから図で書こう。以下はBが考えるAの思考と自分(B)が何を出すべきか。
宣言はグー、レベル0は何も考えてない状態として今回は除外。

レベル1 Aグー Bパー

レベル2 Aチョキ Bグー

レベル3 Aパー Bチョキ

レベル4 Aグー Bパー

以下無限ループ。

そのレベルの思考は、相手が一つ前のレベルの思考であることを前提としている。例:レベル1はレベル0相手の思考。Aが出す(と予測される)手は、一つ前のレベルのBに勝つようになっている。

 

・このタイプの思考は、積み重ねるものではない。考えが進むたびに「足場を飛び移っている」からだ。だから考えれば考えるほど迷子になっていくこともある。どこいくねん。
熟考が報われないタイプの思考だと言える。

とある実験では多くの人間がレベル3程度の結論を出した。それは賞金付きのゲームであり、他者の裏を掻こうとしてレベル3、つまり他の人間は頭使ってレベル2だろうと考えたことになる。これだと普段はレベル1ってことになる。人はそんなに頭使っていないのかも知れない。頭使えばいいとも限らないけれど。

どちらかと言えばメタ(ここでは対策みたいな意味)的な思考。対策してくるだろうからその対策、それに対策してくるだろうからその対策、みたいな。もちろん行き過ぎたら一人で迷子になる思考。

これ系は相手の考えを読むということが必要になる。考えすぎた結果、何も考えない最初の直感と同じ答えになりました、というのが割とあり得るのはここらへんが理由。

 

どこまで考えるか

・前述のジャンケンの話、最終的には考える意味があんまりなくなる。無限ループしてるからどこまで考えても終わらない。むしろ相手がどこで考えるのをやめるのかの方が重要になる。

もちろんこれはジャンケンの三択という限られたフレームの話だ。ただ、この様な無限またはキリがない思考は別に珍しくない。

例えば何かやらなければいけなくて、絶対に失敗したくない場合。人は不安を見つけては潰し、不安を見つけては潰すという思考を繰り返す。冗談抜きで「不安がないのが不安」という境地がある。こうなったら捏造してまで不安を見つけ、潰す。

周りから「いいからさっさとやれよ」と言われるようなこの状態は、当人からしてみれば準備や思考が進んでいるような気がするからあまり気づけない。

この「進んでいるような気がする無限ループ」は人がいつまでも悩む原因の一つだろう。

 

・この様な時に必要なのは、思考を打ち切るルール設定(例えば、一人で数分以上悩んで答えが出ないなら、さっさと人に聞けという物がある)や、決断力だろう。

今回の例では思考がシミュレートに近い立ち位置にある。終了条件が設定されてないシミュレート。

というか、無限ループした地点で「考えてもわからないこと」なんじゃないかと思うのだが。まぁ今回の例なら、相手のレベルがどのくらいか見当をつけるのが勝ち筋かね。

 

どこから考えるか

・そもそもなんでそんなジャンケンに必死になってんの。カネでも賭けてたのなら別だけど。

ゲーム理論では思考レベルは増えていくだけだが、むしろ前提を疑うために思考の段階を下げる必要はあるだろう。

結構自然と、思考はレベルKの話のように次へ次へ次へ、と進んでいく。前に戻るというのはあまりしない。一度信じたらもうチェックされない。すんなりとリセットができるのは、新情報が入ってきて前提が揺らいだ時くらいだろうか。

「ゼロベース思考」や「そもそも論」なんて考え方も提唱されているわけで。人が思考を初めた時点で、既に手遅れななにか、というものはあり得る。まぁこの2つはよく分かってない奴が連発したりして嫌厭されてたりもするけど。それは使い方がヘボいだけです。考え方は悪くない。ただのツールだし。

「せっかくここまで考えたんだからもったいない」というのは苦労への執着であり、思考の正しさではない。

 

人の自然体のレベル

・この「どこまで考えるか」の範囲、そして「どこから考えるか」の設定は、個人差が大きい。

聞いたこと全部鵜呑みにする奴もいれば、聞いたこと全部疑う奴もいる。ただの雑談でもいちいちソースはどこかと聞いてくる奴もいるだろう。

そのどれもが「当人の自然体」であり、当人の情報処理の仕様だろう。まぁそれで問題があるなら意識して思考の段階を進めたり、スタートラインより前に探さなければならないものがあるかも知れない。時にはそれ以上考えないでさっさと手を付けることこそ必要かもしれない。

というかそもそも、どんな場面でもそのスタイルで大丈夫、ということはなかろう。どのみち自分の癖を把握し、意識して操作できる方が特なのは間違いない。

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