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考察 心の理論のシステム 

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・犯行動機:私も心の理論について仮説を立てたかった。

 

・今回も誤信念課題だけではなく、人の気持ちが推測できる/できない、それをどうやって人は行っているのかなどについて。

 

帰属ラベリング

・心理学で言う帰属とは、物事や自分/他人の言動の原因を説明する心理的過程。

 

これは必ずしも正しいとは限らず、雨が降ったという事実に対して「自分は雨男/雨女だからだ」なんて帰属の仕方もあったりする。

 

思考である場合もあるが、大体は直感的なものだと思っていい。

 

 

・改めてサリー・アン課題を見てみよう。

 

サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいる。

サリーはボールを、かごの中に入れて部屋を出て行く。

サリーがいない間に、アンがボールを別の箱の中に移す。

サリーが部屋に戻ってくる。

 

上記の場面を被験者に示し、「サリーはボールを取り出そうと、最初にどこを探すか?」と被験者に質問する。

正解は「かごの中」だが、心の理論の発達が遅れている場合は、「箱」と答える。

https://ja.wikipedia.org/wiki/心の理論

 

カゴの中にボールを入れたことはサリーに帰属する。

箱の中にボールを入れたことはアンに帰属する。サリーはこれを見ていない。

 

以上の帰属のラベリングが正常に行われていた場合、

「サリーはボールをカゴに入れた」

「アンがやったことをサリーは知らない」、

 

つまりは「サリーはカゴの中を探す」とわかる。

 

 

・帰属が理由で間違える場合、色々考えられる。

 

1:情報を「自分」か語り手、あるいは登場人物の誰か1人に全て帰属している。それ以上の細分化ができないか、必要性を感じていない。

 

今回の帰属は「人単位」。課題は2人の人間が、2つの意図を持って行動する形になっている。ここが区別できないと正当できない。

 

最初から「サリーの視点」「アンの視点」を区別するつもりがない場合、「答えを知っている自分」として答えてしまうかもしれない。

 

 

2:実行時の問題。

 

帰属が正常に行われていた場合でも、ソートやフィルタリングができなければ頭の中でごっちゃだろう。処理落ちか、誤答の可能性は恐らく上がる。

 

この場合、「実質的な価値のある情報 = ボールが今どこにあるか」 がまず口から出るだろう。

 

共感能力

 

・共感能力を使い、相手のことを「自分のことのように」認知しているのではないか。実際アスペルガーは自分の感情は分かるが、他者に対しては共感能力ないと言われている。

 

自閉症の対人コミュ能力がオキシトシンで改善したって話もあったな。

対人コミュ能力が今まで「なかった」のが共感能力のなさにより心の理論を活用できなかったからだとするなら、これで辻褄は合う。

 

シミュレート説そのものだね。没だねこれ。

 

 

・ただ、心の理論が正常に機能しない理由として、共感能力のせいで「自他の区別がつかない」可能性はあるのではないだろうか。混同、融合。

 

サリーアン課題の間違いにしても「サリーとアンの視点が混ざっている」とも取れる(もっとも回答候補が「箱かカゴ」のクローズだからなんとも言えんが)。

この場合でも同じ様に「箱の中」と答えてしまう可能性は出てくる。

 

 

文脈による推測

 

・物事のコンテクスト。筋道。

 

例えばきつい言葉で何かを批判している人が居た場合、素でそういう奴なのか、対象がクソ嫌いなのか、対象がそう言われて当然なクズなのか、いろいろあるわけで。

そういったことを判断するためには「経緯」や、「目的」を知る必要がある。

 

(ちなみに大抵の場合こういった状態の人を目にすると、半分以上は「性格/人格」にその行為を帰属させる。そういうバイアスがある。

 

その意味では定型でも別に心の理論が正常に働かないことがあるということでもある。まぁ八つ当たりされたらたまらんしな。やべーやつとして避けとくのは正解でもある。

 

「李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず」という言葉もまた、理由があっても疑われることはするなという意味であるし。

他人がまともに心の理論を働かせるとは限らない、というのは処世術としては織り込み済みのようだ。)

 

 

・「文脈」、つまり「流れ」でのパターン的な予測。

 

夕食で、メニューは刺し身。テーブルには醤油がない。この状況で同席者が席を立ったらまぁまず醤油を取りに行ったとわかる。

 

その者がタルタルソースを持ってきたら「意外」なわけだ。こういった相手の行動が「意外」に感じるのは、事前に予期していたからに他ならない。

 

 

・この場合で誤信念課題の間違いを見ると、ちょっと面白い結果になる。

 

「そんなこと気にしてなかったから知らん」で通るからだ。周りを見ていない場合、この前提では心の理論は働かなくなる。

 

サリーアン課題で言えば、ぶっちゃけ「ボールが今どこにあるか(=誰がどこにしまったかは気にしちゃいない)」だけ注目して話を聞いてるとそうなる。

 

さっきの夕食の例で言えば、相手が上記の行動を起こした際に、あなたが刺身のツマを一本一本ハシでつまむことに情熱を燃やしていたとするなら。

 

「なんか知らんがあいつどっか行った」ことしかわからない。

戻ってきた時に醤油持ってることに気づいたら、後から相手の行動の「文脈」がわかる。

 

逆を言えば不注意により心の理論が働かないことはあるだろう。情報=材料がないんだから。また、心の理論が働くトリガーたる刺激もない。

 

 

メモ

 

・まぁ論文にもブラックボックスだって書いてあるわけで、色々考察できる。

 

本来の心の理論は現在シミュレート説、理論説あるわけだが、前にも言ったとおりハイブリッドか、どちらもできるか、あるいは「別のシステムで再現ができる」余地が多分にあると思う。

 

また、これらができていても「頭の中に並べられない」「ソートできない」「フィルタリングできない」ために「実行ができない」のではないか。

 

特にシミュレートの場合には大きな容量が必要であることが推察される。最低でも自分の視点の維持+他者視点のシミュレート。

要するに、ワーキングメモリの容量の問題。この話もまた、思う所があるのだけれど。

 







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