損得勘定で動く人
・原因も様々。タイプも様々。セーフもあればアウトもある。
・人によっては損得勘定をしている時の自分が嫌い、ということもある。
だが、身近に溢れる考え方でもある。
・見返りを求めると言えば早いか。
「見返り」と言えばいかにもケチくさいが、例えば礼を言われることを期待しての親切など、ちょっとした「期待」のようなものも含める。
身近に損得勘定が溢れているのはこのためだ。特に人間関係でのこれらの打算をさして「損得勘定で動いている」と言ったり言われたりだとか。気にしすぎだと思うがね。
損得勘定が強い人のタイプ
・3つに分けてみた。
人間不信タイプ
・人間観に依存と思われる。自立心が高い。
・即物的な利益が無い限り非協力的。頼まれごとには見返りを求める。時間をよく時給換算する。
ケチとは違う。時給換算する時間は「他人に付き合った時間」に限られる。
・自立心が高いと、他人が依存してくるのが迷惑になる。損をしてばかりに感じることになる。
借りを作ることを「弱みを握られる」ことだと思い、人に親切が迷惑に感じる。
損得勘定の上にまともな人間性だと「借りを返さないといけない」からだ。ツンデレな「いい人」かもしれない。いやデレはないな。
・「次」に期待するのは、その人と縁が続くことが前提だ。その前提をしないように思える。縁をいつでも切れるようにか、いつ切られても大丈夫なようにか。
逆に言えば信用できない人間に囲まれ続けた結果、こうなった可能性もある。「約束」が大嫌いだったりしないか。
実際に自己愛などの「他人を利用しようとする人間」は結構な数いる。ちょっとしたズルさも含めれば、まぁ大体の人間は全面的に信頼するわけにはいかない。
・視点を変えれば、このような損得勘定は誰にでも働くことがある。「赤の他人に図々しい頼み事をされた時」だとか。
「は? それやって自分になんの得が?」
「なんで自分がやらなきゃいけないんだ?」
と思った所で別に不思議じゃない。
単純に「自分はお前とそんなに仲がいいつもりじゃない」ってだけかもしれない。
逆を言えば、あいつは損得勘定が激しいと批難している方がやべーやつかもしれない可能性もある。
計画タイプ
・計画に依存と思われる。
・長期的で打算的な計画を立案、実行するタイプ。
簡単な話、例えば貯金が目的なら出費にうるさくはなる。単に「人よりそれにこだわっている」状態は、他者から見れば相対的に損得勘定が強いとなる。
・狙い以外のことは相対的に気にしないため、薄情なことができたりする。
・肯定的に見れば目標に専念している。
成功はする。ただし度がすぎれば人には嫌われるって感じ。
まぁ自分の目的を叶えるわけだから、これはこれでいいのかもしれない。
嫉妬タイプ
・感情に依存と思われる。
・「損」に敏感なタイプ。
人と比べて自分の取り分が少ないとやたら騒ぐ。
常に「自分が損してないか」=「他人が自分より得していないか」を気にしている。
「ズルい!」が口癖みたいなの。
・末っ子はこんなんだ、って話もあるが、知ってる限りはまぁ、末っ子はこんなんだけど。さすがに他の理由はあるんじゃないかな。
・まぁ、大小問わねば3つとも人間にはあると思う。
自動運転と自動学習
・得をしたり、目的を叶えたり、勝ちたい相手に勝った時は誰だって嬉しい。
嬉しいとそこに至るまでの「嬉しくなる方法」を脳が勝手に覚える。勝手に覚えたことは、勝手にやりそうになる。
・ハーバード大学のジェラルド・ザルトマン教授曰く
「私たちの思考、感情、学習の95%は意識されることなく生じている」。
要するに、人間の日常の大半は、自動運転と自動学習でなりたっている。
特に損得勘定をやめたいと思っている人なら分かるだろうが、「自動的に」考えてしまうはずだ。逆に言えば「やろうと思ってやってない」ことになる。
・損得は身近なものだ。元から持っていて、ないと困るものだ。
自分だけなくしても、他人はあるんだから、身を守れない。ケツの毛までむしられるだろう。
損得勘定を全くしない人間もあんまりいない。いたらいたで、何かしら問題があると思われる。
悪意の有無はあまり関係ない。悪気なく厚かましいとか、悪気なく寄生するとか普通にいる。
損得の基準
・嫉妬タイプがいい例だが、人と比べるというのは優劣・損得がはっきりする。
比較の際、物事の価値は「相対参照」により判断される。
・例えば、あなたがなんやかんやで1万円もらったとする。+1万円。得だね。おめでとう。
あなたの同僚は同じ理由で3万円もらったとしよう。2万円の差だね。
はい、現実にこの状況だとして、「1万円得した」と喜ぶだろうか。
「なぜあいつと2万円も差があるのか」と気にはならないか。
・この時自分が手にした1万円を「何を基準にして価値を測っているか」、考えてみればわかるだろう。
「相手が手にした3万円」だ。
純粋な「1万円もらった」という事実に目が行くなら、それは物事に左右されない「絶対参照」として対象を見れているということになる。いないこともないだろうが、それは珍しい方だ。
ちなみに相対参照でも擬似的におなじ結論に至れる。「1万円を手にする前の自分」と比べれば。
あるいはそれで買えるものにでも思いを馳せれば満ち足りるかもしれない。この場合は「買いたい物」と比較して、それに足りるか、近づいたことを認知している。
相対参照はしょうがないにしても、「何と比べた結果の『感想』なのか」は確認したほうがいいだろう。
簡単に言えば、「当てる定規を変えりゃ長いか短いかそりゃ変わるだろ」という話。定規変えてることになかなか気づけない。
・他人との比較により、手にした1万円は「マイナス2万円」にしか見えなくなる。得しているのに損した気分にしかなれない。
当然不満を感じる。人によっては同僚と同じ額を要求するかもしれない。この時の原動力は、損得勘定と言える。
・ただしこれは、本能レベルの認知だと思ったほうがいい。人間のデフォルトがこれ。対象にも依るけどね。
よく「人と比べるのをやめよう!」みたいなスローガンを見かけるが、まぁできりゃいいかもしれんが、難しいと思うよ。必要なときもあるし。
出来ることと言えば、そのような見方をしている自分に気付き、「他人との相対参照」以外の見方を改めてすること。認知に対抗するならメタ認知。
難しいことだが、たまには「他人と比べなくても存在する価値」に目を向けてみたらどうか。
・特殊な価値基準の場合もある。人に親切にするのは損だという場合、見返りがないからという物質的価値かもしれないし、懐かれたら鬱陶しいという人間関係の展望かもしれない。
前者の場合はわかりやすいが、後者の場合は1人がいいとか、あるいはこいつと仲良くなりたくないとか、まぁなんやかんやある。「親しい距離感」自体が苦痛、ということもある。
損得勘定といっても色々あるので、どういった価値基準での「損得」なのかは把握したほうが良いだろう。
問題視すること自体が間違いの可能性もあるし、問題があるにしても対処すべきは「そこじゃない」可能性もある。
別の価値観を考える
・先程の相対参照の例のように、「見方」で全く価値が変わる。
私達は主観の中で生きている。現実をいちいち確認したりしない。世界を見えた通りの物だと捉える。「そう感じる」なら、「それが現実」となる。
・冒頭で述べたとおり、損得勘定が強い人は何かしら特定の価値観に固執している傾向がある。金と時間が特に多いが、それ以外のこともある。時にそれは目的を叶えるために必要な時もある。
結局程度の問題だ。余計なときまで損得勘定しなきゃいいだけだ。
自分が損得でそれを見ていることを、自分で「不適切」だと感じたのなら、改めて違う見方をすればいい。
・「まずそれを考えてしまう」ってのは、長年のクセのようなもので、行動方針として採用しなければ薄れていく。
見方が一つしか無いと、何でもかんでもその見方になる。マズローのハンマーだね。最低でももう一つくらい見方を用意しておけば、切り替えることが出来る。
メモ
・問
Q:スーパーマーケットにある買い物カゴの狙いは?
A:たくさん買わせるため。
例えばこのような答えは、損得勘定を働かせたほうが思いつく。仕事的には結構重要な考え方ではあるのだが、馴れ合いだと嫌な奴になる。
・どこまで予測するか、時間的な視野が問題になる。「今すぐに得をするか」しか見ていないのならば、即物的なケチになる。
騙されやすい、というか釣られやすくもある。
無料お試しセット! 今なら半額! 初回限定! みたいな。で、実際これがセールスの常套句なあたり、大体の人間がいくらか引っかかるフレーズなわけだ。
・親切や礼儀をタダだと思ってる厚かましいのがいるからな。そいつらを見てそうなった可能性もあるだろう。