「深く考えない」というのは、意外といい意味でも使われることが有る。考えすぎ、悩みすぎ、という観点から見るそうではない人、ということで。
逆に言葉通りに軽率、衝動的な面を指摘する言葉でも有る。
いい意味での深く考えない人
Take It Easy。
悲観的に物事を予測し、万全にそれに備えよう、という認知的方略を防衛的ペシミズム(悲観主義)と呼ぶ。方略と言っても自動的なもので、性分や性格と捉えても今回は問題ないだろう。
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上手くやるつもりで悲観的に見ていること前提としたら、「考えすぎて動けない」「考えすぎて怖くなった」というのは、防衛的ペシミズムの弱点ではある。そうでなくてもこの反対の方略的楽観主義と比べれば、どうしても出遅れる面はある。
いい意味での「深く考えない人」が羨ましがられるのは、このような一見「足かせ」に見えるものが、彼/彼女には見られないからというのは大きいと思われる。
ただまぁ、お互い性分だし。魚が鳥に憧れてもしょうがない。トビウオは400Mくらいなら飛ぶらしいけどな。
ともかくキャラチェンじゃなく、心的イメージの素材くらいの憧れにしといたほうがよろしかろう。
答えのでない事態に耐える力:ネガティブ・ケイパビリティ
考えても答えが出ない、ということは多い。考えていることが悩みや不安や心配などの「予測」にまつわる場合は、殆どの場合「確証」は持てない。
そういった意味では相当数の思考が未完了に終わるのが常だ。「悩みや不安や心配は考えるだけで解決することはない」という言はだいたい当てはまる。
「答えのでない事態に耐える力」という概念が有る。詩人のジョン・キーツはネガティブ・ケイパビリティと呼んだ。
こちらは「気楽さ」は見られないが、その姿勢には堂々とした面がある。
特に文学において、人に偉業を成し遂げしむるもの、シェイクスピアが桁外れに有していたもの――それがネガティブ・ケイパビリティ、短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑惑ある状態の中に人が留まることが出来る時に見出されるものである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ネガティブ・ケイパビリティ
確かに人はすぐに何かを「問題視」し、「わかろうとする(知ろうとするのではない)」「解決しようとする(「問題」じゃなくなればなんでもいい)」ところがあり、それは「不確実性に耐えられない」ことによる「短気さ」と表現するにふさわしい。さすが詩人。
これは認知バイアスが発生する理由となることもある。脳の仕様と見て良いだろう。まぁそれを制御できるかフルオープンかで個人差はあるが。
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ネガティブ・ケイパビリティに通じる概念として、マインドフルネスの研究のシーガル、ウィリアムズ、ティーズデールが提唱した「意識の2つのモード」がある。
「することモード」と「あることモード」。
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人は普段、自動的にすることモードになっている。これで問題の発見、解決を行う。上手くいかないことがあった場合にも「なんとかしないと」と駆り立て、心を追い詰めることにもなる。
することモードは評価・非難を行うともされる。
この点はキーツが語ったのと同様、「短気に事実や理由を求める」状態と言える。
平時はそこまで否定することはない、というか多分必要なものではある。実際にあることモードとはスムーズな入れ替えが重要だと言われている。片方だけでは足りない。問題はすることモード一点張りになりやすい点。
あることモードは「いまここ」に注意が向いており、これはマインドフルネスで目指す状態でも有る。
することモードとは違い評価・非難を行わない。「受容」の状態。
出来事は出来事として捉え、判断も解決も行おうとしない。
これにより、現実からより多くの情報を抽出でき(気づき)、選択肢を見出し、そして正しく判断できるとされる。
こちらはネガティブ・ケイパビリティと似ていると感じる。というより、することモードに必要な態度だろう。
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悪い意味での深く考えない人
第三者に「もうちょっとよく考えろ」と思われるような言動の人。
まぁこっちはほとんど「何も考えない人」とおなじになるが。
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特に強調しておきたいのが、先延ばしグセ→期限ギリギリで切り抜けることに依る衝動性の定着。要は性格的に焦りグセが身についてしまう点。
・アクションスリップの頻度が上がる。つまりイージーミス、ヒューマンエラー。何かなくしたり、目の前にあるものに気づけなかったり、「何しにここに来たんだっけ?」となったり。
・視野が狭くなる。このためなにか重大なことをど忘れしていたりする。
・衝動性、つまり目先のことを優先する傾向が高くなる。
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このように焦ってバタバタして切り抜ける、ということを繰り返していると、「時間に余裕があっても熟考しなくなる(=深く考えない)」となることが指摘されている。
衝動性はADHDが思い浮かぶ人多そうだが、ADHDじゃなくてもADHDと類似した言動が出ることが有る。
ADT(注意欠陥特性)と呼ばれるもので、エドワード・M・ハロウェルが1994年に作った用語。
この状態は、周りからの絶え間ない要求や誘惑、出来事によって引き起こされ、私たちの頭を耳障りな騒音でいっぱいにします。精神がこの騒音――シナプスのたてる、無意味なけいれんのような音――でいっぱいになると、脳は特定のものに対して安定した注意を向ける能力を失ってしまうのです。
https://toyokeizai.net/articles/-/144226?utm_source=gunosy-kddi&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&utm_content=article
集中できなくなり、相対的に言動は拡散する。これも焦りグセじゃないのかとも思えるが、原因がちょっと違う。
疲労、ストレス、無力感や無意味感(非充実感や非本来感)、非コントロール感(やらされ感)などが原因ともされる。こうして並べると現代病にも見え、数は多そうだと思える。
ADHD特有の創造性はADTにはない。
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