甘やかすことへの欲求について

・「甘える」はともかく、「甘やかす」というのは何なんだろうな。「甘えたい」という願望に応えるのではなく、一部は明らかに「甘やかす」ことに強迫観念を持っていたり、欲求を持っていたりする。

ということを以前考えてるうちに「加愛願望」という言葉を思いついたが、まぁそんな言葉は調べても出てこなかったね。

甘やかしとは

・どこまでが甘やかしで、どこまでが相手のためになる「親切」になるのか。

まぁ相手のためになりゃなんでもいいんじゃないか、と言いたいところだが、これは解釈に依ってはイカれた所業すら正当化できてしまう。

・大抵の場合は「舞台に立つのは誰か」は気にしたほうがいい。舞台に上がるべきは当の本人だ。

本人の代わりに舞台に上がるようじゃ出番を奪っているし、顔が売れるのはそいつだし(達成感充実感感じるのは甘やかした者だけ)、当人には経験値は入らない。とまぁ、最悪に近いだろうね。出番泥棒。これが一つ。

・もう一つは、相手が「できないこと」をやってあげる、というのは甘やかしではないだろう。公式の代役。

これは子供が親に抱きしめてほしい、などの欲求も該当する。一人じゃできないからね。子供がセルフハグするしかないとか児童相談所の出番を疑うしな。

逆に「甘やかし」は当人ができることを先回りしてやることと言える。このため日本の「おもてなし」ってもの自体がこの甘やかし、引いてはモンスタークレーマーが発生しやすい土壌となるとする指摘もある。

・ただ、一見シンプルだが、こちらは少々難しい。
問題は2つ。

一つは一般的にはなんてことないことが「できない」人がいるという点。この場合大半は本人は口にしない。これにより判断自体が難しいし、おせっかいか妥当かの二択を迫られることになる。

・もう一つは単純に、

「実際にやるのお前だから、責任取るのもお前だよ?」

ってこと。わかってない奴は多い。「人のため」が免罪符になると思ってる奴は何もするべきじゃない。

タダで気楽に親切な行為が「できる」と思うな、とはっきり言っておく。責任がないと思ってるのはたまにいる。

「親切な行動」が問題を起こすこともある。あなたがちゃんとできるかどうかも私は知らないし。

その時「あの人のためにやったんだ」なんて言うなら、余計なことやった上で人のせいにする奴になる。そう見られるって話じゃなくって、そんなつもりはなくてもやったことは「そういうこと」になる。バッドエンド。

ちなみに甘やかしてくれないとキレる奴もいるため、適切な行動をとっても歓迎されるとは限らない。めんどくせぇな。

相手との関係性

・共依存関係の構築、その確認、補強。

・シンプルに見れば、「甘える欲求を持つ者」&「甘やかす願望を持つ者」という関係は共依存だ。

・人間相手にはこれが一切働かない者でも、動物は可愛がりたいだとか。

犬を飼い始めたら、しつけは必要になる。

犬って群れの動物だから、しつけのためには上下関係はっきりさせなきゃならんのだが、「そういうことはしたくなかったな」とかぼやいている人もいたりする。

まぁ気持ちはわかる。普通に溺愛してると犬が「自分が群れのリーダーだ」とか思っちゃったりするから難しいところのようだ。

この時点で、「可愛がり方」のイメージが既に存在していた、ともとれる。感情的欲求と言うよりは、行為的な欲求かもしれない。

まぁペットは別としたほうがいいか。ペットを自立させようとする人間もいないだろう。どちらかと言えばそれは訓練士とかの仕事だし、ああいう所はやっぱり動物を猫可愛がりはしない。

・甘やかされるようなことをされると、人に依っては「申し訳無さ」を感じる。これは「相手と共依存の関係を築く」ことが目的であった場合、無理矢理に恩を着せる形に近い。

共依存ではなく、この様な申し訳無さから自分に逆らえなくする「支配性」であるとの意見もある。一見優しく、当人も優しいと思っており、他者にもそう思われるだろう「支配的な人」が居る、ということ。

欲求の源泉は

・不安であることは多い。自分は必要とされていないのではないか、自分はもう不要なのではないか、まだ頼られているか、と。

「自分はまだ相手に必要とされているか」を何度も何度も何度も何度も確認するのは、それはもう強迫性障害に近い。

・甘やかす(表面上は親切、優しい)ということは、「私はあなたを助ける者だ」というアピールにもなる。まぁ適切ならね。こう言った「表明」「宣言」の意味合いもあるだろう。或いはそういった関係性の構築の一手ともなる。

実際にはこの欲求は渇望のような状態になることがあり、しつこいことが多い。「余計なことをする奴だ」ってなったりもする。

・「可愛がり方」のイメージが既に存在しているのではと書いたが、これは「この様な関係に相手となりたい」あるいは「相手とこのままの関係でいたい」という理想イメージではないだろうか。

ここからもう一つの甘やかしたい欲求の心理としてよく挙げられる「嫌われたくない」「好かれたい」という心理につながる(別の理由でこの環状を持つこともあるが)。

この場合はそのための「印象づけ」を相手に行おうとする。

総じて不安からの「確認」か、理想への「目的意識」か。

・この様な人は「頼られないと不安になる」事が問題として挙げられる。好きの反対は嫌いじゃなくて無関心、って話は聞いてことがあると思う。

まぁ好きの反対が嫌いでも別に間違いじゃないが、好き嫌いはどちらにしても相手に意識は向いている。つまり関心はある。

だから小学生男子は好きな女子に対して「関心を向けさせる」ために行動し、それは叶い、そして嫌われる。やること嫌がらせだからねぇ。

意識が相手に向いているかいないか、という意味では、好きの反対は無関心(まぁ嫌いの反対も無関心になるから嫌われてるやつへの慰めとしては不適切だと思うが別にどうでもいいかそんなこと)。

で、相手との関係性が「甘えられるか甘えられないか=頼られるか頼られないか」しか考えつかない人間は、甘えられない=頼られない=無関心=自分に価値がない、とめんどくさいことになる。

特に過保護な親などがこれに当てはまる。

・赤ん坊なら全部世話してやらなきゃならない。一人でトイレもいけないし、食事の用意もできない。ほっといたら死ぬ。

これは目を離せず、責任もあり、大変なわけだが、相手に「自分が必要とされている」という自身の存在価値を実感させる。ペットも同じことが言えるが。

ではすくすくと育って自分のことは自分でやれるようになったらどうだろうか。赤ん坊の頃と「同じこと」をしてやろうとしたら、まぁ嫌がられるだろう。

この場合は何が甘やかしで、何が世話なのかは相手の「能力」に依存する。冒頭でも述べたが、「できないこと」をやってあげるなら世話として通るが、「できることを先取りする」なら、甘やかしになる。

今までは「世話」だった。同じことを今やったら「甘やかし」になる。子の成長により世話として存在価値を満たすことの正当性は失われる。ただし存在価値の確認という欲求は残る。

つまり子供が育てば「世話ができない」。人に依ってはそれを不満に思ったり、寂しく思ったりする。更にその中で、「なんとかしようとする」者が出る。

この問題に対して「なんとかしようとする」とはすなわち、「再び自分に依存するように行動しよう」というとんでもないことだ。

これは「相手を自分がいなければ駄目な人間にする/そのままでいてほしい」という悪意に他ならないのだが、表面上親切を装うし、本人に自覚はないしで、相手が嫌がっててもやめないことも多い。

・この様に、それまで健全な共依存関係だったとしても、どちらかの「成長」という形でだいたい終わる。片方が、もう片方から「卒業」する形。

そうなると寂しくなるわけだ。子は親離れしようとしているのに、親が子離れできていない状態。本来これは別離ではなく、どちらかと言えば関係の「再構築」だと思うのだが、ここで足掻くならそこには至らない。

・明確にこれらを「子供を無力なままに押し止めようとしている」と指摘する論文などもある。

また、交流分析では禁止令(子供が親から汲み取るメッセージ。強迫性を持つ)の一つに「成長するな」「自立するな」という露骨なものがある。甘やかすことを「虐待だ」とする意見があることは、別に不思議じゃない。

ちなみに交流分析には拮抗禁止令というものもあるのだが、この中に「他人を喜ばせろ」というものがある。これはこれで「甘やかしたい欲求」になりそうだな。

以上からこれは人の隠れた、表にできない、そしてよくある願望であり、塩梅を考えなければならない欲求だとは言えるだろう。

メモ

・「育ってきて可愛くなくなったから」って理由で自分の子供3人殺そうとした女が海外でいたな。一人は命をとりとめたはずだが、残りはどうだったか。その女は「次」を産む気だったらしいよ。

これは極端な例ではあるが、はっきり言って「子供が自立しようとすると拗ねる母親」は、私は複数知っている。ちなみに「拗ねる」というのは「甘えられたいが甘えられない時の反応」ともされる。

親は子供の世話をする、という表向きの理由があるため、この様な「隠れた欲求」は加害者被害者両方が自覚を持たないことは多い。

他の表向きの理由にも通じる話だ。正義、道徳、常識、マナー、etc。これらを声高に主張している者たちの一部(異常な執着と攻撃性を持つため、見かければすぐに分かるだろう)は、明らかにインターネットトロール、ダークトライアド、他者志向型完璧主義者の傾向を持つものがいる。

つまり彼/彼女達は「隠れた欲求」を満たすために表向きの理由で偽装する。なんでもいいのだろう。「皮」だから。

ぶっちゃけこいつらのせいで本来のイデオロギーが霞んでることすらある。

・ペットに関しては、まぁ実際に相手の一生の面倒を見るつもりでいることを前提としたら、普通に可愛がってやればいいんじゃないか。吠え癖噛み癖はなんとかするべきだろうけど。

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