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完璧主義の高目標設定に依る尻込み・先延ばし

投稿日:2019年3月5日 更新日:

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・色々やろうとして、具体的な成果が出ない人。完璧主義の自覚はないこともある。

・極端な例で話を進める。

細かいことは後でまとめてやろうとする人

例えばゴミを1つ拾って捨てればいいだけの話で「ピカピカになったチリ1つない部屋」を勝手にイメージし、それを実行しようとする。この時点で理想の高さに尻込みし、実行に移れない者もいる。

そうじゃなくてもこの様に脳内で「大いなる仕事」になってしまい、さてこれをやるためには時間を確保せねば、体力は十分か、やるからにはやり遂げねば、やる気はあるかなどと遠回りなことを考え出す。

ゴミを、1つ、拾って、捨てろ。で、こうなる人。ついでだから、せっかくだからと他のこと始める人もやや該当する。

この「ゴミを一つ拾って捨てる」ことをここでは「本来の目的」とする。

・問題点は3つ。

1:高目標設定。時に実行不可能、或いはかなりの高難易度の目標に自分で仕立て上げること。

2:その目標を疑いもせず、そのまま「やるかやらないか」になっていること。つまり目標自体は既に「採用」されている。

3:本来の目的である「ゴミ1つ拾って捨てる」が霞んでいること。つまり「中心」「要点」がない。

これによりいきなり徹底的な部屋の掃除をやろうとして、途中で投げ出すか、やり遂げて疲れ果てる。

1の高目標設定は、これだけではそれほど悪いことではないとされる。これにより失敗しても、それだけでは精神衛生上の問題はないらしい。こちらではなく、失敗に対しての過度な自責の念などが抑うつの原因とされるため。

2は「本来の目的」が「大いなる仕事」にすり替わっていることを示す。この時点で「本来の目的」が上書き/侵食されている可能性。

3は「本来の目的」を見失っていることを示す。頭にあるのは「大いなる仕事」のみで、これをやるかやらないかの白黒思考。

達成コスト

・「達成のコスト」について考えてみる。要はそのためのリソース。これには気力を含む。後は時間、金、手間など。

今回の例の場合、「本来の目的」を実行するためには「大いなる仕事」の達成コストが必要になる。

この「大いなる仕事」の達成コストは単品で見れば(つまり部屋を本当に完全に綺麗にするのなら)妥当だろうが、「目的を果たすコスト」としてこれを支払うのは最悪に近い。

この場合「ゴミを拾って捨てる」という本来の目的のために動くには「ピカピカになったチリ一つない部屋」にするだけの気力が必要になる。明らかに割に合わない。

また、習慣的に「自分は動き出したら止まらない」ことを知っているだろう。これもまた「手を付けるか、つけないか」の二極化に拍車をかける。

・おそらく殆どの人間が、「達成コスト」が充分でない限りは手を付けない。大人になるほどこの傾向は強い。誰も見てなくても、人は失敗を避けようとする。「自分は挫折した」と思うようなことはしたくないのだろう。

だから実質、達成コストは「実行判定」に直結している。実行だけなら達成コスト分を全部使うわけじゃないが、達成コスト分がない限りはやらない。

だから人は抽象的に気力、体力、やる気、集中力を求めるのだろう。これらがあれば大体手を付けられる。が、もう一度言うが、目の前のことに手を付けるなら本来元からそれほど必要としていない。判定がなんかおかしい。

・行動経済学的には人間は自分の利益を最大化するために動くと言われていた。現在バイアスなどでこれは否定されているのだが。
ただ、この様な「脳内での損得勘定」で見れば、一周回ってやっぱり合理的ではあるかもしれない。「割に合わないからやらない」。思考ではなく、認知レベルで。

・上記の通りだとしたら、「先延ばし」は合理的な判断と言える。割りに合ってないからやらない。が、実際にはゴミ1つ拾わない怠け者になる。

間違っているのは高目標であることか。これ自体が認知レベルで「思い浮かぶ」はずだから、そうだとしてもなんとかするのは多分難しい。
メリットもあると言われているし、活かす方向で考えてみる。

・直接問題が発生するポイントは、「本来の目的」が「大いなる仕事」に「入れ替わる」ことだ。結果的に「本来の目的を見失う」。

そもそも大きなタスクってのは細分化が可能だし、もとより小さなタスクの集合体であることが大半だ。今回で言えば、1つずつの片付け、ゴミ捨てなどの集大成として「綺麗になった部屋」が完成する。ここに異論はないだろう。

だから「大いなる仕事」を直接達成しようというのがだいたい間違っていると言える。むしろ今回では「本来の目的」の達成の積み重ねでしか為しえない。

本気で直接達成しようとするなら、「ダスキンでも呼べよ」って話になるだろう(銀の弾丸)。そんなつもりはなく、自分でやるつもりであり、そうである限りは直接やろうとすることは手際が悪いことになる。

・「銀の弾丸」に頼らないのなら、地道な行動が必要となる。

大それた理想と、それと比べて小さな一歩。

殆どの物事はそういうものだし、それに耐えられないならむしろ「せっかち」なのが原因だろう。焦る理由があったりなかったりするから性格由来のせっかちさとは限らないが。

特に社会規定型の完璧主義は強迫観念的に「こうでなければならない」となるので、この傾向は強いかも知れない。

・総じて視野が勝手に広くなっている状態だと言える。駄目な意味で。原因としては自己志向型なら高目標、社会規定型なら「このくらいはやらないと」というイメージ。

どの道これは行動力が拡散し、集中力が拡散し、時間を浪費し、結果はやり遂げるまでは目に見えず、作業進んでるのに「徒労」と感じるリスクがある。

多分認知的には勝手に目標が「入れ替わる」ため、意識的に改めて「一歩」を見ることは必要かもしれない。始まりと、終わり。

高目標は高目標でフローチャートとか展望を考えるには必要だが、SLGで言う所の軍略フェイズ・内政フェイズに必要なものだ。
だがそれを実行フェイズでおっ広げたらだいたい邪魔になる。

駄目なアハ体験

・実行中に思いつく「ついで」について。これは「欲張り」の一言で終わる。計画段階での効率的なフローチャートならいいが、思いつきでは計画実行能力にはマイナス評価となる。

こういう漠然とした効率主義は結構多い。損だと思ったから避ける、得だと思ったからやっとく、みたいな。

・高目標にも言えることだが、自分のアイデアについての耐性がほぼないことが多いように見える。「閃き」には衝動性や興奮状態にさせる作用は確かにあるだろう。アルキメデスだって叫びながら風呂から出て街中走り回った逸話があるし。

…後で調べたら「この時代男が裸で運動するのが普通だから珍しくない」というとんでもないことを知った。

ただ、「閃き」が妙に優先順位が高いことは事実だ。何かひらめいて「わかった!」みたいな感覚は心理学で「アハ体験」と言われる。この特徴で、

「肯定的な感情を引き起こす」

「当人はその閃きの正確さに疑問を持たない」

ことが挙げられている。要するに「盲信」の状態になる。
つまり、「駄目なアハ体験」はある。正確さに疑問を持たないのだから。

今回で言えば本来の目標を投げ捨てての高目標への盲信、後から思いついた「ついで」への盲信。

あれだよ、クイズ番組とか見てるとあるだろう。「わかった!」とか言って自信満々で答え言って、それ間違ってるとか。あるあるだよねと。

「ついで」、で路線変更をしまくった挙げ句本来の目的に影を差すようなら、この耐性を、というか「良いこと閃いた」見たいな感覚そのものを疑ったほうが良いと考えることができる。

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