創作と完璧主義

・ちなみに私の「創作者」の定義はガバい。自主的に何かを作り、誰もが見れる状態でどこかに置いたらもう創作者扱いする。

 

創作と完璧主義

・創作者で完璧主義を気にしてるってのも結構見かける。動画製作者が多いかな?

実際大変なのだろう。RTA動画でもチャート作るの好きだけど動画編集が一番辛い見たいな話あったし。RTA自体よりも辛いってのは意外だね。編集もこだわろうと思えばこだわる所かなり多いだろうし、実際そこまでやってる投稿者もいるからな。プロじゃないのかと思うようなの。

・眼高手低(がんこうしゅてい。或いは めたかく てひくし)と言ったか、「見る目」は肥えているのだが、実力はそうでもないという言葉がある。これは実際にはどんなレベルだろうが、そうなりやすい。

簡単な話、料理作ったら汚物ができるような料理スキルの奴でも、不味いもん食って「まずい」と言うことはできるし、不味いのは事実だろう。「評価分析能力」と「実行能力」は初めから全くの別物だ。出来なきゃ全くわからないなんてことは無いんだから。できるようになって初めてわかることはあるけどね。

・全くの別物なのだが、結構混同しやすい。原動力・方針として「理想」がありa)(この下地として評価分析能力。下手だと思うものを理想にはしないだろう)、「実行能力」を最終的にはそこまで伸ばすことになるため、最終的には合致する。

でまぁ、絵の分野とか特にそうらしいが、ツールがある、ノウハウがある、で割と発達しているらしく。見てても最初アレでも2~3年後にはどこぞで描いてたりとかあったりする。

さて、うまい絵が溢れているし、急成長するやつが現実に居る。はい、評価能力と理想だけはインフレ起こすね。理想を持つ自体は簡単だ。「ああなりたい」って思うだけだし。

この状態から、実行能力はもちろんやった分だけしか身につかない。発達している分野は特に、目的地だけ果てしなく遠くなりやすい。

満足することはあるのだろうか

・創作において完璧主義っておかしくないだろう。ダヴィンチだってそうだったんだし。一点物を作る創作と大量生産してなんぼのライン工場を比べてないか。だとしたら明らかに比べるものが間違ってる。

確か、芸術家で「一度も自分の作品に満足したことはない」と言っている人物はそれなりの数いた気がするのだが。でも作品数はゼロじゃない。彼らの言葉を信じるならば、完璧じゃないのに「妥協」して提出してるよね。

この妥協は自身の作品として。仕事としての妥協じゃない。理想に対しての妥協。もちろんこれはその場限りで、「今はここまでが限界」とでも言うようなもの。

俗に言われる「完了主義」とうまいこと使い分けていくのがいいんじゃないだろうか。どこかで見かけた「締切の力を借りる」とかもそういうことだろう。たぶん。漫画家に何よりも必要なのは原稿落とさないことだっけ?

・完璧主義ではあるが、それは「客は満足してるが自分が満足していない」という世界かもしれない。だとするとこれは、他者志向型のヤベー奴や社会規定型の強迫観念じみた完璧主義ではなく、まさしく自身の理想を追い求める自己志向型の完璧主義と言えるだろう。

飢えを 上を

・なんかこう、十分うまいだろって人が「全然だめだ、うまくなりたい」とか言ってるのはよくある話で。

アレを熱血に励ましてる奴とかもいるけど、そもそも落ち込んでるのかあれは。

・創作関係においての完璧主義は、「実力に伴い、それより上の高い理想が持てるようになった」ことが理由として挙げられるだろう。

つまり彼らは、「今よりも上に行きたい」と言ってるのではないか。「今」が高いか低いかは多分眼中にない。成長欲求というか、それへの飢えというか。

露木が「先生に入門して長く画を書いているが、まだうまく描けない」と嘆いていると、

応為が笑って「おやじなんて子供の時から80幾つになるまで毎日描いているけれど、この前なんか腕組みしたかと思うと、猫一匹すら描けねえと、涙ながして嘆いてるんだ。何事も自分が及ばないといやになる時が上達する時なんだ」と言い、

そばで聞いていた北斎も「まったくその通り、まったくその通り」と賛同したという[2]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E9%A3%BE%E5%BF%9C%E7%82%BA

猫自体はそりゃ描けるだろう北斎だし。「自分が満足できる猫」が描けない。泣くほどに。そういう話だろうこれは。

これは自然なことだと思われる。「当たり前」の水準と、「理想」の水準と、その両方は、その道を自ら望んで進んでいる限り上がっていくはずだ。要は求道者特有の悩みではないだろうか。

脚注

脚注
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