代理トラウマ/二次受傷
・簡単に言えば、自分は経験してないのにトラウマになること。
・代理受傷、共感性疲労、外傷性逆転移、二次的外傷性ストレスなどとも呼ばれる。
・悲惨な経験を聞いたり、見たりすることで、当該者ではなくとも被害者同様にPTSDになること。
「見ることに依って疑似体験し、そこから学ぶ」機能が人間にあることは示唆されているが、これの負の面だろう。
・症状はPTSD、バーンアウト、世界観の変容。家族の安全を過剰に心配したり、被害者の語りが何度も頭の中で反芻される、そのイメージがフラッシュバックするなど。
この症状を見る限りは衝撃的な内容の話を聞き、それに備えようとする意志が生まれているように見える。
脳は想像と現実の区別をつけられない、との話は以前からある。例えばメンタルタイムトラベルという言葉は過去を思い出す際、人は想起しているのではなく記憶の中を「再体験」していることを指す。
ともすれば、「話を聞く」事自体が一種の「再体験」になりえるかも知れない。
・職業的に犯罪被害者や被災者のケアをする者や取材するもの、ボランティアや警察官などが二次受傷のリスクが高いとされる。
・犯罪や不幸な話を聞いて用心を高めるのは不思議ではない。例えば近所で犯罪が起きたら、戸締まりを厳重にするくらいにはなるだろう。小学校は集団下校するかも知れない。
実例で言えば、大地震の後にそこらの店からライトと乾電池が売り切れになるのもそうだと言えるだろう。これらは「自分(自分たち)もそうなるかも知れない」と思ったからであり、実際その可能性自体は存在しており、妥当だと言える。
ただ、二次受傷と言われている範囲では、「感染した」とも言えるほどに不安のイメージがコピーされている。繰り返し何度も聞く必要がある/そうなりやすい職業に多いのはこのためだろう。
・また二次受傷は、臨床家がクライエントに対して過度に同情的、或いは私情的になる過干渉や、その上で己の無力を感じ燃え尽きる、なども指すようだ。こちらは今回割愛する。
・被害者/トラウマの保持者に対して「共感的」に関わることでリスクが高まるとされる。
一部の属性の事件に対して被害者に対して冷酷な言葉を浴びせる輩は結構いるのだが、無意識的に「共感しないように」しているのかも知れない。まぁそれにしたって本人の目が届きそうな所で言うなよとは思うんだが。
また、ラーナーが行った実験に、72人の女性に、助けようがなく電気ショックを受けて苦しみ続ける人間(演技)を見せ続けたというものがある。彼女たちは初め苦しんでいる人に同情的であり、そのうち「蔑み始めた」そうだ。これは苦痛が大きければ多いほど強く軽蔑したと記録されている。
流れで見れば、初めは共感/同情からの軽蔑/拒絶にシフトしている。初めは共感を試みていると言える。苦しむ演技が派手なほどこの傾向があったということは、キャパオーバーになった際、人は一時的に感情的な意味で縁を絶とうとすると言える。
ちなみに電気ショックを受ける役の人が「後で金もらえる」と知った場合、目立った反応はなかったそうだ。これは初めの「同情」の要素が薄らいだからだろう。だからその後の軽蔑まで行かない。
ともかく、人間が認知レベルで二次受傷の可能性を「避ける」傾向は、そういった目で見ればいくつかの実験から見ることができる。
また、共感能力の高い人間は色々と「騒がしい」可能性。これらは「人情味」「優しさ」として片付けられてきた有害性に関わる。どうも共感能力はわかりやすく綺麗なものってわけではないようだ。同一化のようなものだし。
メモ
共感の負の側面
・共感性は、カウンセラーにとっては職業柄必要となる。例えば傾聴と呼ばれるスキルでは「共感的理解」が含まれている。
「共感」は、一般的に人間味のあるよろしいものだと思われがちだが、悪い面もある。共感には2種類あり、中でも相手と同じ物を感じようとする情動的共感(感情移入に近い)は、今回の代理トラウマのように同じ症状となりやすい。
少なくとも相手と不安感を感じやすくなるため、この苦痛から開放されるために(これで当人的には相手の不安を解消する必要が生まれる)相手に入れ込んだり、余計なお世話をすることもある。
・他者が撒き散らす感情によって受けるストレスは、セカンドハンドストレスと呼ばれる。
このように他人の感情に同化あるいは過度に影響を受けることは、感情の巻き込まれや情緒的巻き込まれと呼ばれる。
[blogcard url=”https://embryo-nemo.com/2824/”]
ちなみに比較的安全な共感が認知的共感。理解する共感であり、「この人はこう感じているのだろう」と推論のスタンスを保つ。巻き込まれず、自分を見失わないで済む。