「子供のときには意見は言えたはずだ」というのは本当か
・子供の時には意見は言えたはずだ、今言えないのは心理的な原因だ、との声もある。大筋では賛同するが、絶対じゃない。
・「子供」と言えばまぁ自制心が薄くて大人だったら逮捕されてるようなキャラを連想するのかもしれないが(いるが)、かなり空気を読んでいたり、過剰に周りの目を気にしたりする子供もいる。そのような場合、子供の時から主張は苦手、あるいは既に「できない」ということはある。
・年齢とともに環境も変わり、環境が原因となって意見を言わなくなる、あるいは自分が意見を言えない/ないことに初めて気づくなんてこともある。
自分の意見が言えない原因
・大人も子供も意見を言えない原因は大体共通しており、
- 言うのが恥ずかしい
- 意見を否定されるのが怖い
- 周りにどう思われるかが気になる
- うまく伝わらないかもしれない
- 表現ができない
- どうせ聞いてもらえない
- 言っても何も変わらない
などがある。一部は実際に相手が問題の可能性もある。
・意見が「ない」理由としては
- 情報不足で判断できない
- 興味や関心がない
- 質問がいい加減だから
- 自分の気持ちがわからない
などがある。
サイレントベビー
・サイレントベビーってのがある。「泣かない赤ん坊」。医学用語ではなく俗称。泣いても親に相手にしてもらえない赤ん坊がその内泣かなくなる(=自己主張しなくなる)、という学習性無力感を匂わせる内容。
この問題をもう一度深く考えるうえで、depressing babyという本来の用語に戻して、「コミュニケーションに失望した赤ちゃん」と呼ぶべきだと考えています。言葉はどうであれ、パーソナリティーに問題の芽を持ちながら育っている「サイレントベビー」は今も増え続けているのです。そしてその共通の初期現象が笑わない赤ちゃんの増加であると、私は考えています。
https://www.blog.crn.or.jp/report/04/19.html
ちょっと相手をしなかっただけですぐにそうなるというわけでもないが、実際にそのような子供がいることも確か。
赤ん坊が泣くのも一種の自己主張だ。これで不快や不安を訴える。もしも自らの意思で「泣かない」と選択しているのなら、
- 泣いても無駄
- 泣くと危険
などと判断していることが考えられる。泣くことによって「何かされる」のなら、それを避けるために泣かなくなってもおかしくない。
実際にそのような子たちを診察したことはありますが、家でほとんど面倒を見てもらえていないケースが多かったです。子どもがおびえていたり、親に抱っこされると嫌がっていたりして、背景事情が深刻な例ばかりでした。
https://news.mynavi.jp/article/20180320-601175/
トイレに行けない症候群
・小学生くらいから授業中にトイレに行きたいのに教師に言い出せずに漏らす、という話はでてくるな。
そのまま「トイレに行けない症候群」なんて呼ばれている。昔は汚いのが理由と考えられていたが、キレイな今でも未だにいる。女児より男児のほうが多い。
理由は「学校のトイレで大便をすると友達にからかわれたり、覗かれたりする」だそうで、そのような輩も実際にいただろう。[efn_note] cf. https://kosodatecafe.jp/column/320/ [/efn_note]
ちなみに「からかい」は攻撃行動の一種としてみなされている。いじめやモラハラなどの動機と同系統のもの。仲間同士(ターゲットはこの中に入っていない)の関係の強化、自分が優位に立つため、相手が嫌がるのを見て楽しむ(サディズム)など。
[blogcard url=”https://embryo-nemo.com/1922/”]
・「トイレに行けない症候群」は周囲のリアクションや自分の今後の扱いを気にして意見が言えない状態といえる。この動機は対人恐怖などの研究でも散見される。
・子供は経験からの学習はかなり早い。時には深読みしすぎて極端に「言ってはならない」「意見を持つな」とする教訓を自ら作る余地もある(交流分析の禁止令など)。
つまり、自身がそのようなやり取りに参加しておらずとも、第三者として目撃するだけでこうなり得る。
挙手ができない子どもたち
・小中高と授業において「挙手」ができない子供というのは結構いるとされている。教師側も問題視している。
間違っていたら恥をかくからとの考えは強いとされる。実際に間違いを恥として責める教師やクラスメイトがそこそこいるため、思い込みとも言えない。
・面白いのが、「挙手指名制そのものが受け身の子供を作る」とも言われていることだ。これは「手を挙げない限り授業に参加せずに済むから」だそうな。
[efn_note] cf. https://kodomo-manabi-labo.net/hideakimatsuo-interview-03 [/efn_note]
生徒の当事者意識や参加意識を働かせることができないということ。「いきなり指せばいい」というのがこれに対しての答えだが、まぁ確かにその方が授業に身が入るだろう。
・熟考するタイプは必要なときには自発的に発表することも有る。ただし、悪い意味で率先して挙手するタイプ(目立ちたがり屋、軽率)相手に「早いもの勝ち」では負ける(教師も珍しく手を上げてる生徒を優先して指名しているとは思うが)。
つまりアホが目立ってるだけで、挙手できないわけではない可能性もある。親が無理解な心配しているケース。
・挙手に実際に苦手意識があり、「挙手できるようになった」という話で興味深いのは、教師との一対一のつもりになったら言えるようになったというものだ。これはそれまで外野を気にしすぎていたとも言える。
自分の意見が言えない大学生
・大学生も自分の意見が言えないという話はある。意見を述べる機会も増えるため、自覚して悩む数は多い。
・今までは答えだけ言ってりゃ良かったのが、「なぜそう考えたのか」まで説明しなくてはならない機会が増えたからというのも原因の一つに挙げられる。これは挙手の話の「手を挙げなけりゃ授業に参加しなくて済む」としてきた子供には鬼門となるだろう。
・何も感じないから、何も意見が出てこないとの声もある。話を振られても返す言葉は「わからない」ばっかりで、呆れられたりもあるようだ。
・「他の人は喋れているのに、自分は意見がない/言えない」など、自分が周りより劣っていると気にしているのが主で、別に意見がない/言えないことそのものへの問題視はないような声が多い。
総じて関心はないが主張する必要がある、動機がないが行動はしなくてはならないようなニュアンスがある。つまり、意見は本当にない上で、外的な理由で意見を言おうとしている。
・意見にも受動的/能動的の2種類ある。ありえねぇモノを見て「ありえねぇ」と思うのも意見だし。意見を出そうとして考えた結果に出来たものもまた意見と言える。
どうも意見が「ない」タイプは、能動的で有るべき場面で受動的に意見が湧くのを待っているように見える。
オリジナリティを求めていたり、参加意識が薄いなど、理由は色々だろう。ただ、外から意見を求められる場面はほとんど模範解答やポジショントークが表面的には正解なことが多い。
・講師側が難儀する例として、なんでも「はい」としか返してこない学生が挙げられている。これも「自分の意見が出てこない学生」という扱いがされる。
原因として、
・意見を言わなくてもなんとかなってきた
(実際末っ子だとか親の過干渉が原因だと自認する人は多い)
・意見を言ってもあまり伝わらなかった(失敗経験)
などが挙げられている。
自分の意見が言えない社会人
・「ない」よりは「言えない」が多い。「あなたはどうしたいのか」と聞かれると硬直してしまう。たとえ間違っていても自分の意見を主張してみたい、と思っているのに言えない。
・彼らの自己分析では「親から過保護にされたから」が理由なのが多い。できることでも先回り、子供は親の言うことを聞いていればいい、などの態度。これらは自由/自主性を許さないものであり、つまりは「自分の意見/考え」を許さない。
・たとえ言えなくとも、日記などで「形にする」ことを続けていたら、いつしか言えるようになったという話もある。
仕事で自分の意見を言えない
・「相手に悪く取られる余地」を過度に気にしているケースが多い。実際にそういうことはある。
相手が「否定された、攻撃された」と取ること、傷ついたり逆恨みしてくるかもしれないなどの懸念。
・言葉のイメージや文化的背景から、「主張」というものは悪く取られる余地が実際にある。
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・この辺りから「意見は言わない方がいい」との世界観も見られる。
日本人のおとなの意識について、数多くの研究やアンケート調査がこれまで行われてきた。それらを総合すると、日本人の成人男性(お父さんたち)の多くは、自分の意見をしっかり持っている。
そして子どもにも、自分の意見をしっかり持つおとなになってほしいと願っているようだ。
ところが、自分自身、その意見を公にするかというと、あまりしない。そして、自分の子どもも、むやみに自分の意見を表明しない方がよいと思っている。
なぜなら、そういうことをすると周囲に嫌われるから、というのが大半のお父さんたちの意見なのだ。
https://www.soken.ac.jp/outline/president_message/kaze/cat1649/post.html
「出る杭は打たれる」という世界観への順応。面従腹背の処世術。この場合は自己不一致感は少ないため(自分で黙ってようとして黙ってるから)、自己嫌悪にはなりづらい。ただ「沈黙は同意」とされやすいため、それでも言わなきゃいけないときはある。
意見を出すための前準備
心構え
・同じ物を見聞きしても、どんな「心構え(心理的態度)」でいるかでその後は変わる。
・例えば小説を、1人は自分が読みたくて読むとする。もう1人はレビューを書かなくてはならないから嫌々読んだとする。
「レビュー書けるのはどっちか」と言えば、そりゃ後者だろう。最初からアウトプットするつもりで読んでいるから。どんなつもりで見るか次第で、情報の解析度は上がる。
・前者でも感想を魅力的に語れるタイプはいるが、ああいうのも大抵は「後で人に話すつもり」で初めから見ている。社交的やね。
参加意識 当事者意識
・「自分に関連があることだ」と思えば、まず積極的に見聞きするようになる。授業で「ここテストに出るよ」と教師が言えば、誰もがとりあえずノートに書くだろう。あの時の気持ち。
・これは判断や思考の材料が増えることだから、意見も出せる可能性は上がる。
・反対に意見がない、出てこないというタイプは当事者意識や参加意識は薄い傾向がある。これは当人の問題だけとも言えず、環境が原因の一つのこともある。
ただでさえこの国は「積極性」はあまり歓迎されないし、「主張」という言葉には攻撃性を感じる余地があるとされているし、反対に従順であることがよろしいというお国柄なのだし。
まぁ、「意見を求められるかもしれない」くらいの気持ちでいるのが落としどころだろうか。結局は心構えってことになるが、これで「モード」が変わる。
・親ページ
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