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質より量の練習の価値

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・この記事は『量をこなす中で質を高める』って所に着地する。

・経験値を稼ぐ目的ならば悪くない。ただし「何の経験値を稼ぐか」を決めていなければ意味がない。

・仕事でも創作でも、「最善は善の敵(ヴォルテール)」とか「完璧主義は敵」とか、質にフルコミットすることを否定する意見は方々にある。
「質より量」がより良い、というよりは「量より質」には落とし穴がある。

・質より量でも量より質でも、言葉が大雑把にも程がある。文脈次第でどちらか適切かは当然変わる。
注意点も当然ある。言葉通りに受け止めただけでは徒労に終わるだろう。

「質より量」で質が上がった話

・芸術家である2名が著書の中で、量と質のどちらが良い結果を出せるかの実験について記している。

ある学校の陶器を作る授業で、生徒を2グループに分けた。

  • 「量」グループ:作成した壺の量で評価する
  • 「質」グループ:作成した壺の質で評価する

この結果、量のグループが最も質の高い壺を作り出した

(David BaylesとTed Orlandによる『Art & Fear』。
翻訳されたものは『アーティストのためのハンドブック  制作につきまとう不安との付き合い方』

・著者に拠るとこの逆転は、

  • 「量」グループは多くを作成する間の失敗から学び、それを反映した
  • 「質」グループは「完璧に作るには」と考えることに時間を使ったが、実際の作品には反映できなかった

としている。

・質グループは擬似的な完璧主義の状態になった(させられた)。完璧主義は理想が高い。

「眼高手低」という言葉がある。文字通り「見る目」のレベルは高いが「行う手」のレベルは低いことを指す。

ただでさえ、自分よりうまいやつなんていくらでもいるし、嫌でも目に入る。この上で自分の実力を知らないからこそ同じレベルのことをやろうと無茶振りな理想を描けるって所もある。

そんなこんなで素人であるほどできもしない高い目標を持つことがある。「質」グループは、その目標を実現しようとして、失敗した。「量」グループは、仮にスタート地点が同じ勘違いの目標だったとしても、「数をこなす」という短いサイクルの中で理想の修正と実力の向上の両方ができた。

(見方を変えれば、制度が悪いと誰も成長できなくなるってことだなこれ。初めからできる奴だけ生き残る環境になる)

・やはり芸術系で似たような話を何度か見かけたことがある。
曰く美大で伸びる奴は制作数が段違いだ、とかそんな感じの。
逆に伸びないのは、やっぱり出来に拘り作る量は少ないタイプだとか。

もちろん作家や芸術家には寡作(制作数が少ない)も多作もいるのだが、「これから成長したい」という立場で寡作というのは、出遅れるかもしれない。

「量より質」の落とし穴

・身もふたもないこと言うと、質「と」量ってのが一番問題ない。そりゃそーだ。

どちらか切り捨てればどちらか手に入る錯覚に浸れるかもしれないが、まぁ最悪のケースとしては質も量もダメ、ってことはあり得る

・何よりも、質と量はトレードオフの関係とは言い切れない

これは「速さと品質」という言葉で語られることがあるが、品質を犠牲にして速さ(生産力)を上げることはできるが、速さを犠牲にして(時間を掛けて)品質が上がることは約束されない。品質を上げるには技術、知識、経験がどうしても必要だから。それが足りない状態で、時間だけ掛けて、何かよくなると思うだろうか。

以上から、少なくとも「初手で量より質を意識する」のは分が悪い。逆に質より量の場合、技術と知識と経験を得た上で課題発見にも繋がる余地がある。慣れるのも大きい

・「質より量」での早いサイクル内で失敗や課題発見をしたとする。次はここに気をつけてやってみよう、というのは「質」の属性だろう。
そしてこれが、前述の実験で「量」グループが質も良かった原因だとされていた。

つまり、質より量の中で、質を意識するタイミングはちゃんとある。これやらないで量だけこなすなら残念なことになる。

闇雲な繰り返しではいけない

・根性論は一種のナルシシズムでもあるが、自分を鼓舞するための人工的な感情でもあるだろう。

気合や根性が全面に出ていると、人は「ヘドを吐くまでそれを繰り返す」とか考えがちだが、効率的にはカスなのでやめた方がいい(長期的にはだが)。「頭使わないと練習は普通に嘘つくよ」というやつだ。

要するにフィードバックとか課題発見とか。これをやらないで繰り返すなら、下手なやり方が身について「悪癖」ともなる。悪癖を直すのはゼロから学ぶより時にめんどくさい。

「プロになるには1万時間の練習が必要だ」との説の元となったアンダース・エリクソンは、能力に対して人は3つの誤解をしているという。

  • 遺伝で決まっている(才能など)
  • 時間をかければいい
  • 努力すればいい

これらは「誤解」だと。遺伝については影響はあるが小さいとしている。
結局は「正しい努力」+「十分な時間」こそが能力を育てると。

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・一定の難易度の範囲内である限りは繰り返しは有効だ。一定未満の難易度の場合、効率は激減するか、ゼロになる。

同じくエリクソンの研究で、約30年の経験が有るベテラン医師と医大卒業後2~3年の医師と、手術などのパフォーマンスを比べたものがある。


この結果、ベテランは新米に劣っていた。エリクソンはこれを上達に必要な「目的の有る練習」をしなかったから、としている。
(ただしミスするわけには行かない+忙しすぎる場合はそんな余裕はない。このため怠惰とは限らない)

結論:ストレッチゾーン+質より量(及第点レベルの)

・難易度についての言葉に、コンフォートゾーンとストレッチゾーンがある。それぞれ「ぬるま湯」のように居心地が良い領域と、ちょっと「背伸び」をしなくては務まらない領域。

リラックスしたほうが実力が発揮できると思われそうなものだが、パフォーマンスが上がるのはストレッチゾーンの方。

ストレッチゾーンは別名ラーニングゾーンとも言われ、学習効率も最も良い。反対にコンフォートゾーンでは全く成長しないこともある

・先程の医者の例、ベテランの成長が止まるのは「慣れた」事によって無理な背伸びがぬるま湯に変わったからだ。これが専門職でも3年くらいでそうなる。

これで成長が止まる。ベテランと新人の比較ではなくて、30年前の新人と現代の新人との能力比較になる。
業界の学習内容も進化するとしたら、当然新しい内容を習得した新人に負ける。

・まとめると、慣れたら成長止まる。今まで成長できたのは、それが慣れてないことだったから。

これは目標を伸ばすことで対策できる。もっと早く、もっと正確に、など。御大層な目標ではなく、そのような目の前の課題の克服レベルの方が伸びやすい。

エドアルド・ブリセーニョ曰く、例えばタイピングに於いて「もっと早く」と意識すれば、そして自分がどこを間違うのか特定しそれを十分に練習すれば、もっと早くなるだろうと。

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・今回言及されていない隠れたポイントとして、「失敗をどう扱うか」で伸びる伸びないは分かれる。

色々読んだ限りだと、伸びる人間は失敗を克服しようとする傾向がある。ミスの修正に拘る。ある意味やはり完璧主義なところがある。
このために失敗を経験することは課題を発見することになり、それを限界的練習で克服するため成長する。

一方で伸び悩む人は失敗を避ける。結果、できることしかやらなくなる。これまた完璧主義のダークサイドであるが。
これはコンフォートゾーン(別名パフォーマンスゾーン)から出ないことであり、安定した成果は出せるが、成長はしない。

・陶芸の話に戻れば、「質より量」が質が高くなったのは、単にやること自体がストレッチゾーンだったからだろう。このため量をこなすことにより慣れて、全体的にクオリティは増した。

もちろんその中で、ミスの発見と修正を行っている。

・以上から、慣れないもの相手には「質より量」は有効だと考えられる。

ただし前述の陶芸の話では「じゃあ粘土の塊をひたすら焼くわ」とか言っちゃってるアレなのもいる。まぁ評価はルール通りにもらえても上達はするわけないね。

闇雲な「努力は必ず報われる」という信仰はこれと等しい。割りとこの考えには落ちやすいため、改めて正気を取り戻す必要はある。百歩譲って努力が報われるとしても、どう報われたいのかは考える必要がある。じゃなければガラクタ量産の腕前が上がる。

質より量と言っても目標から見て及第点であることは、意識するべきだろう。

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