量が質を作る:量質転化の法則

・後世でも評価される作家の中には、多作なタイプがそこそこいる。

・特にスポーツや受験勉強の分野で、量質転化の法則という言葉が使われることがある。量が質を作るという意味で、大体は行動に促す目的として。

・初めは「質」と言っても何がどうなれば良いのかよく分かってないことは多い。量をこなすうちに、それは見えてくる

多作の作家達

・著名な作家も研究者も多作であることは多い。

シェイクスピアは37の戯曲と154の短い詩を作っている。

モーツァルトは600曲、ベートーベンは650曲、バッハは1000曲作っている。

ピカソは絵画1800、彫刻1200、陶芸2800、デッサン1万2000以上。

エジソンは特許数1093。

アインシュタインは出版物の数が248。

レオナルド・ダ・ヴィンチは作品数は少ないと言われている。しかしメモ魔であり、アイデアもスケッチもされた物が1万枚以上とされている。

哲学者ニクラス・ルーマンは1984年に主著『社会システム理論』を発表したが、そこに至るまでに9万程のメモを残し、管理していた。そのすべてが社会システム理論に繋がる文脈で関連付けられていたという。
他にも40年間で70冊以上の本、400近くの論文をだしている。

・これらは質より量、そして量が質を作った、と言えるかもしれない。

「質より量」を実行することは、それだけの数「形にする」ことになる。

ルーマンとダ・ヴィンチはこの中で浮いて見えるかもしれないが、少なくともルーマンはメモの一つ一つが完結していたと考えられる。つまり形にしていた。

彼のメモ管理術はZettelkasten(ツェッテルカステン)として現代でも伝わっており、そのルールの一つは「1メモに1テーマや1情報」である。この上で関連付けを重視した。

ダ・ヴィンチのメモは大きく3つの属性があったらしい。

  • 絵を書くための技術や技法
  • 自然を巡る観察と考察
  • 技術の実用化

気になったことはとりあえず全部メモるタイプではあったようだが、少なくとも1万枚の内の1つのテーマは「絵のため」であり、そう考えれば相当数のアイデアが記録という形にされている。

・まぁ要するに、大体結果につながるようなことを数多くやっている。実際に結果となったこと以上に

・数撃ちゃ当たる、という意味の多作ではなくて、本番兼研究や稽古と言ったニュアンスを私は感じる。

量質転化の法則とは

・量から質への転化、あるいはその逆の法則を指したもの。本来は哲学者ヘーゲルが説いた弁証法の基本三原則の一つ。

ヘーゲル自身の例えだと、

  • 「水の温度」は水の流動性に無関係である
  • しかし水の温度の増減がある点に達すると(量の変化)、凍ったり水蒸気になったりと「質」が変わる

てな感じ。

・転じて主に受験勉強やスポーツの分野で、「量は積み重なると質に変わる」との意味で使われる。

・「いいからやれ」みたいな意図で使われることも多い言葉だが、馬鹿の一つ覚え的な根性論ではない。それをやると失敗すると言われている。

作業量ではなく稽古量だとの例えが一番伝わるだろうか。
課題や目的意識を持っての「稽古」であり、その内容は当然目的に近づくものでなくてはならない。

例えばパソコンでの文字入力。タイピングと言うが、不慣れな人は人差し指で文字を打つことが多い。それを毎日1時間3年続けた所で、すべての指を使ってのまともなタイピングになることはない。人差し指で文字を打つのがクッソ早くなるだけだ。たまにいる。

まともなタイピングをできるようになりたいなら、当然指の配置を学んで、それに慣れる必要がある。「何の量を積む」のかは、考えなくてはならない。


・ヘーゲルの例えになった、水が凍るように、あるいは沸騰するように、ある時急にできるようになった、という話はある。

その殆どは、量的な努力をしている。例えば英語できないのに英語圏に住むことになり、必死で理解しようと努めたり勉強してたらある時急に辞書もいらない程にできるようになったとか。

これらの話は、努力が形になるパターンがわかりやすい右肩上がりではないという話になる。イメージ的には、種を蒔いても芽が出るには時間がかかるだろみたいな感じ。その間も水やりは必要。

まぁ割愛するが。

ある日突然できるようになる現象 1
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量をこなすうちに「質とは何か」が見えてくる

「質」とは何を指すかがわかってなければ、意識して質を高めることはできない。

基本的に、分かってないことは出来ない。まぐれで出来たとしても、出来た手応えがわからないのだから再現ができない。
変な所を人に褒められて、それをひたすら繰り返すなんて落とし穴に落ちた者とかはいる。

・量をこなすうちに自分なりの「質とは何か」が見えてくる。初めのうちは消化に手一杯でも、その内に目も手も慣れてきて、気づけるようになってくる。

これは自分が失敗だと感じるもの、不満を感じるものなどネガティブな印象に依って獲得する。それを次作に反映する。ちょうど上達が早い者が、ミスを潰すことを徹底するように。

これは経験を通して自分の中でイメージが形になってきて、目の前のモノが「それとは違う」と感じるからだ。このイメージができてなければ、「はっきりとはわからんが自信がない」みたいなフワッフワな印象になる。

・「質のイメージ」は暗黙知と呼ばれるもので、言語化は無理ではないが難しい。わかってるが説明しづらいこと、経験に拠り獲得したイメージ。
「勉強」で培うのが難しい領域であり、「経験」に依って育てるのがベターなもの。
質より量はこれに適う。

・嫌な現実だが、公開やUPをして初めて課題に気づくことは多い。つまり終わった後、あるいは衆目に晒した後で。

作者の中でも「(自分が作った)この作品はあまり好きじゃない」なんて言っちゃってるのは居たりする。ファンから見たらすっきりしない話だろうが、これは完成度(と言うか本人の納得度)よりも形にして出すことを選んだ良い証拠だろう(後から自己評価の基準が上がることももちろんある)。
実際当人と違いそれを気に入ったファンとか出来てるわけで。

・質より量は、反復練習を指すこともある。これで質が上がるのは、目標が「意識しないと出来ないこと」で、「ミスを修正しようとする」限りは上達する=質が上がる。
反対にこれがないと徒労に終わる。

質より量の練習の価値
・この記事は『量をこなす中で質を高める』って所に着地する。・経験値を稼ぐ目的ならば悪くない。ただし「何の経験値を稼ぐか」を決めていなければ意味がない。・仕事でも創作でも、「最善は善の敵(ヴォルテール)」とか「完璧主義は敵」...

反復練習に限らない。時には100回繰り返すよりは、100種類の方法を1回ずつ試すことが質を高めることに繋がるかもしれない。

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