なんでも自分が悪いと思い込む人
・自分が悪いことが確定的に明らかな場合は、それで自然な話だ。一方で、自分が「悪いかも知れない」とか、あるいは全く関係がないのに「自分が悪い気がする」なんてなる人がいる。
他人が不機嫌だと自分が悪いと思う、何かアクシデントが起きたら自分が原因なのではないかと思う、思ったとおりに物事がいかなかったら自分が悪いと思うなど。
・これらは当人の主観での「悪いこと」を自分に「帰属している(原因の所在の推論)」と言える。これは珍しい話でもなく、起きた出来事と自分の行動を安直に結びつける傾向(情動の錯誤帰属)が人にはある。
同時にスプリッティング、つまり「無理矢理に2分類する」傾向が人にはある。
総じて、「これは良いことか悪いことか」で2分類したがることが原因の一つ。もう一つが「全部自分に帰属する」ことが挙げられる。
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罪悪感の7種類
・心理学では罪悪感は7種類あると言われている。
1:加害者の心理
自分が加害したことに起因する。誰かを傷つけた、壊した、自分のせいで悪いことが起きた。
2:無力感
自分が無力であることの罪悪感。誰かを助けられなかった、役に立てなかった、何も出来なかった、など。
3:何もしなかった
何もしなかったことに対しての罪悪感。無力感(できなかった)と違い、「やらなかった」という形。
4:幸福
自分が恵まれていることへの罪悪感。そうでない人を目にする時に感じる負い目。
5:自分は穢れている
人は自分なんかと関わっていはいけない、という心境。これは積み重なった罪悪感がアイデンティティと化した状態。愛する者から遠ざかる、孤立を望む、自らを罰するなどをする。
6:受け継いだ罪悪感
特に親やパートナーが罪悪感に苦しんでいる時に、自分もそれを背負い、苦しむ。自分の罪悪感ではない。一種の共感と言えるだろう。
7:その他
最後に雑になったな。これは宗教的な理由での罪悪感などが入る。脈々と受け継いできた家族間の問題なども。まぁ本家と分家がどうのこうのみたいな。
罪悪感は「なくす」のではなく上手に付き合うものだ、とも言われている。
・さて今回引っかかるのどれか。多くは1の加害者の心理に見える。というか自覚が加害者なんだからそりゃそうだが。
だがよくよく話を見てみると、何も出来なかった、何もしなかった(気付けるわけもないのに)というのは見られる。
他にも6の受け継いだ罪悪感もかなり怪しい。誰かの「肩代わり」をしている可能性。
これらが常態化すれば5、自分は穢れているとなり、何でもかんでも自分のせいだとする合理化(つじつま合わせ)は起きる、という状態にもなり得るか。
自分が悪いと思い込む病気はあるか
・人格障害は「自分は悪くないと思いこむ」方が多い。
・被害妄想は「被害を受けている」という妄想なんだが、今回の場合は加害妄想(=加害してしまった/してしまう)に近い。これらには自己関連付け(=無関係な物事を自分に関連付ける)という妄想の一つの側面が見られる。
「懺悔脅迫」というものがある。自分が何か悪いことをしてしまうと思い込み、それを身近な人に打ち明けて、「あなたはそんな人じゃない」と言われることで安堵する、というパターンを繰り返す強迫障害の一種。
実際にそのようなことをやらかす余地のある危険があるとする意見もあるし、そのようなことはないとする意見もある。
今回は「起きたこと」に対しての罪悪感ということで、これとは結構違う。ただ、身近な人に打ち明けて「あなたが悪いわけじゃない」と言われて安堵することを繰り返しているようなら、その亜種である疑いはある。
目的論から見てみる
・一般に心理学は原因論のイメージが有り、これは「過去にこのような原因があるから結果として今の状態(症状)がある」というものだ。
もう一つ、「目的論」という視点がある。これは「それによって今後何を得られるのか=それに何か目的があるのではないか」を考える視点。まぁ、自分の判断で使い分けましょう。銀の弾丸ってわけじゃないからね。一見役に立つようで役に立たなかったりもするからな。
今回、ぶっちゃけて勝手に「自分が悪い」と思いこむ、ある意味積極性が見て取れる。この積極性は何らかの「目的」に基づいているのではないか、と疑う余地はあるだろう。
仮に、と前置きして、自分が悪いと思うことが、自分に何かをさせる/何かを得るためのものだったら、何が考えられるか。
・懺悔強迫はこれに該当する。「あなたが悪いわけじゃない」と言われて安堵することを「目的」として罪悪感を抱くのだ、とは言えてしまう。(反証不可能性がある、要するに言ったもん勝ちで言いがかりの仕放題なので目的論は科学じゃないなんて意見があることには留意すること。簡単に頭の悪い自己責任論に転がりやすくもあるので危険性もある。)
・あるいはそれは、悪いことが起きたのを見て、ただ単に「ああいうことにならないように気をつけよう」とする脳のシミュレートかもしれない。本来は。この場合は自分のイメージの解釈が間違ってるだけとなる。修正しよう。