メサイア・コンプレックスとは
・略してメサコン。メサイア症候群、キリストコンプレックス、救世主妄想とも呼ばれる。
狭義のメサイア・コンプレックス
・メサイア/メシアは救世主を意味する。メサイア・コンプレックスは本来、「自分が世界を救うのだ」みたいな誇大妄想をこじらせたヤベー宗教家などに見られる心理的状態を指した(狭義のメサイア・コンプレックス)。
狭義のメサイア・コンプレックスは表面的な他者貢献と根拠のない自信などから人を集めることもある。
・例えばジム・ジョーンズ(ジェイムス・ウォレン・ジョーンズ)。カルトである「人民寺院」を創設した。精神科医のリフトンは「オウム真理教と人民寺院には恐ろしいほどの共通性がある」と指摘している。
最終的には「世界の非人間性に抗議する」として革命的自決を説くようになった。最終的に912(あるいは918)人の信者と共に集団自殺している。その内の約300人は未成年だった。
・宗教団体ブランチ・ダビディアンの後継者争いに(銃撃戦の末)勝利したバーノン・ハウエルは、自分には特別な預言能力があると思い込み、聖戦に備え武器を溜め込んだ。
それに対し強制捜査を行った連邦捜査官を「預言に記された敵」だと思い込み激しく抵抗。この段階で死者が出ている。最終的にはFBIとの51日間の膠着の末に、80人の信者を道連れに自殺したとされている。
広義のメサイア・コンプレックス
・メサイア・コンプレックスという言葉はこのような迷惑なカリスマ持った輩のみではなく、もっと身近な「自分に自信がないことを、他人を助けることによって埋め合わせようとする者」を指す意味でも使われている。一般的にはこちらの意味で通っているだろう。
自尊心が低いことを他者救済からの自己有用感で補償しようとする者、なんて言い方もされる。要するに、自分に自信がないから他人の役に立つことで自分の存在価値を感じようとする。
動機が自分のためであり、行動もあんまり相手のためにならないことが多く、このためメサコンは「偽善者」と同義に使われる言葉でもあるが。
メサイア・コンプレックスの特徴
・言動は自己愛にかなり近く、言ってることが誇大で、やってることがセコい傾向がある。
余計なお世話が多く過干渉
・メサコンは迷惑、うざいなんてキーワードで検索する人も多い。要するに過干渉。介入してくる。口を出す、手を出す、先回りするなど。印象としては「邪魔」となる。
口だけ優しい、表面上は親切。責任感はない
・言うだけタダ。後は誰でもできることだけ先回り。
メサイア・コンプレックスの目的は、感謝などの他人からの望んだリアクションか、いい人だと思われたいみたいな他者評価の獲得のどちらかになる。
もっと根源的な、交流の手応え(ストローク)を欲して、他者と関わる方便として「親切」を選ぶものもいる。
この上で完璧主義/理想主義的な傾向があり、「思ったのと違う」「思ったより大変そう」となった場合に逃げることがある。
メサイア・コンプレックスとモラハラ
・メサコンが自己愛そのものな上で、モラハラ加害者は自己愛的な変質者とされている。
・イルゴイエンヌの定義によれば、モラハラの加害者は道徳家のように振る舞うことが多く、妄想症の人格に近い所があるとされている。この時点でメサイア・コンプレックスはそれを備えている。
・モラハラ加害者の特徴として、恩を着せる、恩を売られるのを拒む、相手に感謝をされるために不安を煽りそれを解決する(マッチポンプ)、しつこいなどがある。全部メサコンにもある。
・競争主義的な思考が見て取れる。自分が上か下か常に気にしている。このため彼らの「他者貢献」は相手に媚びるか偉そうに指図するかの形になりやすい。
さらに動機が自らが抱える劣等感のため、自分と向き合わずに他人と絡んでいても不安が根本的に晴れることはない。不安は再発し、それから逃れようとする行動は頻発する。
つまりは過干渉の上でしつこいという形になりやすいため、モラハラ常習者とはなり得る。
・モラハラ加害者は「被害者が独立しようとすると、中傷や罵倒などの精神的暴力を振るう」とされている。逆にモラハラが成立した人間関係である限りは「感じのいい人」として振る舞い続ける。
このため「普段優しい人が怒った、だから怒られた相手が悪いのだろう」と周囲に推測させやすい。モラルハラスメントには「セカンドハラスメント」がある。この内、「同じ虐待者に脅かされて混乱している周辺人物」はこのような被害者かつ加害者になりやすい。
・セカンドハラスメントの加害者には「同じような虐待者の被害者であり、それを受け入れているおせっかいな人」もいる。これは別のメサコンとも言えるだろう。
・また、モラハラ加害者には攻撃的なタイプと迎合的なタイプがいるとされる。攻撃的なタイプが上記の代表的な例。迎合的なタイプは狡猾な手段を取るとされる。
迎合的モラハラ加害者の場合、非言語コミュニケーション、つまり言葉以外の部分での攻撃をしてくるとされる。
顔色、表情、声のトーン、物理的な距離の置き方、視線など。まぁ素でキモイのもいるが、モラハラや自己愛はこれらを「使いこなす」傾向があり、天然ではない。付き纏い、しつこいともされている。
・ちなみにフランスでは懲役2年、3万ユーロの罰金という犯罪となっている。
メサイア・コンプレックスの原因
不幸からの逃避
・「自分は不幸である」という感情を否定/抑圧し続けた結果、反動として自分は幸せに違いないと強迫的に思いこむとされる。
これが酷くなるとメサイア・コンプレックスになるとされる。「自分は人を助けるような立場にあるから、幸せなのだ」という論理だそうな。
本来は人を助ける余裕があることから人を(必要ならば)助けるのだが、それを逆転させて「人を助けるのは自分が幸せな証拠」とする。借金してまで金持ちのフリしてるようなものだ。
この上で本質は「自分は不幸である」という認知からの逃避であり、頻繁に「自分が幸せである確認(実際には嘘の上塗りだが)」が必要になる。この為しつこい。
・自己都合による他者への介入な上、人のことは元から考えてないためその「助け」もズレておりあまり感謝されることもない。
感謝されないことに対しては不満を感じ、まぁうまく行ってない。その時、異常なこだわりを見せたり、簡単に諦めたりする。
共依存
・共依存は人間関係の病とされる。特定の相手との関係性への依存症。
例えば「世話をする自分」とか「誰かを心配している自分」とか、そう言った形で他人をダシにする。相手も同じく依存していることもあるが、反対に縁を切りたがっていることもある。
安直に「愛情という名の支配」とも。家族関係や恋人関係に多い。
麻薬に近い愛情であり、自分への依存症にするのが目的の行動を取る。広義のメサイア・コンプレックスには該当するだろう。ただし、共依存の場合は対象がかなり限定されている。このせいで被害者が首を吊ったりするが。
アダルトチルドレン
・メサコンはかなりアダルトチルドレンと共通する。自尊心が低いため他者貢献、あるいは他人が望む姿に流れる。クリッツバーグの定義によればタイプは6つ。重複することも多いが。
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大抵空気の読み過ぎによる過剰適応/自己破壊的同調があるため、場合によっては尽くしすぎという形にはなる。他者から見た場合メサイア・コンプレックスと見られる機会は多いだろう。
・ヒーロー、クラウン、プラケーター、イネイブラーの4つはメサコン行動を取るリスクはある。
中でもプラケーターの「慰め役」と、イネイブラーの「相手のためにならない救済者」は、かなり合致する。
イネイブラーという言葉は本来援助するものを指すが、心理学では「相手のためにならない援助をする奴」を指す。
例えばアルコール中毒者が断酒で苦しんでいるところに「かわいそうだから」なんて理由で酒を与えてしまう。こういうことをやるので「治療の妨害者」とされている。
ちなみに共依存者もイネイブラーとなるとされる。
感情の巻き込まれ
・「相手の苦しみを自分のことのように感じる」というのは、決して良いことではないという話。
・厳密にはメサコンと呼べるか微妙なライン。世間ではメサコンと呼ばれるような人に該当する。性悪ではないが、やってることはおせっかい。アダルトチルドレンと共通する点が多い話。
・他者の感情への共感の一つの形として、情緒的巻き込まれがある。
他人の感情に振り回されやすい。というか、他人の感情に動揺して不安を感じやすい。
この不安感は自分の物なのだが、原因が(当人的には)相手の感情のせいなので、相手の感情の対処をしようとする。要するにイネイブラーやプラケーターと同じく自己犠牲的な行動、献身的行動、つまりは「お世話」しようとすることがある。
で、不安が動機だとやりすぎやすい。『悪意はなさそうなんだが親切がしつこい』『性格の悪い者にわざわざ関わろうとする』などなら、こっちを疑ったほうが良いかもしれない。
・まぁこの場合、当人が極度に臆病/敏感か、相手がヒステリーか。あるいは両方かになるな。
メサイア・コンプレックスの対処法
被害者が不快に思う原因について
・まぁ簡単に言えば遠慮なく自他境界踏み越えてくるからね。有形無形の人の「縄張り」を侵害してくるから。
人の家に勝手に入ってくる奴は、撃ち殺したくなるのが道理だろう。
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・自他境界が異常な者は「自分の領域を他者にまで広げる」ことがある。これは「他人は自分とは違う経験や意見を持っている」ことを考えづらくなる。
結果、自分が正しいと思ったことはみんなにとって正しい、という態度となり、自分の常識もまた相手の常識となる。当然「自分の正解」を相手に押し付ける。
モラハラもメサコンもこの点が加害者の態度としては共通している。
メサコンの場合は表面上は親切心を演じるため、むしろ厚かましく堂々としていることが多い。むしろ見られるのが目的だからそりゃそうだが。
一種のマウンティング
・「助けるわたし」と「助けられるあなた」という構図をかなり積極的に作るため。
承認欲求には下位、同位、上位にそれぞれ見られたい欲求に分類されることがある。
自尊心がないからと同位ではなく「上位」を選んでいることになる。このため性格は悪い。「過大な評価」を望んでいることに違いはないため。
・競争主義者は上位承認欲求しかないような振る舞いが多いね。
メサイア・コンプレックスは偽善者か
・メサコンの殆どは偽善者にすらなれない。
偽善者の定義にもよるが、例えば偽善者を「行動は善ではあるが、動機は善ではない」と仮定しよう。やらない善よりやる偽善、と言われる偽善ね。
腹黒い金持ちが愚民からの評判を上げようと貧者に大量の寄付をしたような場合などが該当するわけだが。
これは寄付自体は助けになるわけで、つまり行動は善である。腹黒いので動機は善ではないが、悪とも言えないだろう。「弱者を利用した」って形で嫌われることはあるけどね。
・メサイア・コンプレックスはこの「偽善」に該当するかどうかって話になるが、行動が有害なので即アウトになる。
被災地を巡る話で言えば、それこそ胡散臭いどこぞの連中達による多額の寄付は「偽善」ではあるかもしれない。
そして「偽善にすらなってない」のが、千羽鶴とか賞味期限切れのもん送りつけた挙げ句にやめろっつわれて逆ギレしてた奴らな。こいつらはかなりメサコン臭い。かなりね。
これは結構なポイントだよ。奴らは自己都合の飢えが原動力だから「迷惑だと言っても止めない」か、自分が拒絶されたと捉えてキレる。まぁ元から役に立ってないし本気でいらないことが非常に多いんだが。
引き際を弁えてりゃ動機なんざどうだって良いのにな。
悪意である善意
・そもそも頼まれない限りは相手を「助ける」ってのは強制介入であり、捉え方次第では侵略、暴力と扱われる側面を必ず持つ。まぁわからん人にはわからんだろうが。
仕事にしたって一種の縄張り意識が発生するため、不真面目な人間でも自分の領分に干渉されることは好まない。それこそ自尊心の問題もある。
このため困っている人がいた所で「助けていいかどうか迷う」はずだが、彼らにはそれがない。チャンスにしか見えてない。
善意が「相手のためを思うこと」とするならば、全くそれを考えていないのだからメサコンの行動は善意ではないことになる。動機が「自分が感謝されること」というエゴであることは、しつこさがその証拠となる。
・彼らが「悪い」のは、他人のことを全く考えていない上で、かなり積極的に他人に関わろうとするためだ。当然相手を踏みにじる余地は高くなる。それもエゴによって。
親切という形に隠れてはいるが、実際には「エサ」に見えてるのでまぁ当然だろう。
・一部のメサコンは確かに仲間意識や心配から来ている場合もあるが、やはり「こっちが正解」という態度はあり、その原因は「感謝されたいから」なことは多い。相手が自力で解決することを導くようなことは決してしない。