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飲み込みが遅い人が、飲み込みが早い人になるには

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ここでの飲み込みが早い遅いは、習得までの期間の長短、習得率の高低の2つの意味を含む。

飲み込みが遅い人にあって、飲み込みが早い人にないもの

別に悪いとも限らないんだが、「飲み込みが早くなるか」という観点で見ればマイナスになる点。

成長するつもりでいる・努力するつもりでいる

間に合わない。気が長いとも言える。
成長も努力が実るのも時間がかかる。これらは「すぐにできるようになるつもりが元からない」。

もちろん対象次第だが、万が一今日にでも身に着けられるようなことに対して「1週間はかかる」と予測した場合、自分でその予言を実現することになるだろう。

それでも用は果たすかも知れないが、早くはない。早い遅いを気にするなら、効果的、効率的であることは求められる。気にしないなら割と好みの問題なんだが。

特に努力の万能化、神聖化は多い。

これらはプレイスタイルの話で、それに拘るならその分遅くはなる。そういったシナリオの方が、モチベーション保てる人もいるけどね。

失敗恐怖

飲み込みが早い人を指して「失敗を恐れない」なんて言ったりするが、これは相対的な話だ。見方を変えればそれ以外の人が、失敗に対しての「用心」が比較的強くある。

失敗しないように、間違いがないように、恥を掻かぬように、万全を期そうとし、入念に準備し、念入りにシミュレートし、結果飲み込みが遅い。工程増えてるんだから当然だ。

しかし用心深さは必要では有る。求められるのは無謀な度胸や何も考えないことで捏造される勇気よりも、どのくらいの用心深さが必要なのかという見切りに近い。

努力の「量」を気にする

アレだけ頑張ったんだから、コレだけ頑張ったんだから。
努力の「量」に対して、報いを求める気持ちがある。

その分「量」を気にして、「量」を稼ごうとする。そのリソースは気力体力と言った労力も有るが、特に「」が多い。
つまり、やっぱり初めから時間がかかること前提の考えだったりする。

この上で、質を問わないなら、永遠に報われるには至らないかも知れない。

飲み込みが遅い人になくて、飲み込みが早い人にあるもの

「具体的な目的を持って学習・練習する」ため、習得が早くなる。後は「ノイズ」がどれだけないか。

習得を目標にする

飲み込みが早い人は習得を目標とする。真っ直ぐにそのために動く。そうじゃない人は大体理解してからとか準備してからとか、比較的「準備」が長い。

達成感なども特に期待していないように見える。淡々としていると言うか、ストイックと言うか、ドライと言うか。
そうじゃない人は苦労に見合う達成感や充実感、感動なんかを期待する。「認知的報酬」とでも呼ぼうか。感情的に報われることを望む面が比較的強い。

例えるなら彼・彼女たちにとって一つの習得は一つのタスクなのだが、それ以外の(特に努力や成長を前提としている場合)は、一つの習得は一つの「イベント」に近い。無駄に壮大にしているように見える。当然、無駄に冗長になる。

ただその「無駄」がモチベーションと繋がっていることも確かにある。飲み込みが早い人のドライなスタンスの真似をしようとしても、恐らく大抵は「つまらなくなる」ので続けられない。

感情とやる気は繋がっているため、モチベ管理としてみれば「イベント」に仕立てることも別に間違ってはいない。
ここは人それぞれだから、まぁなんか自分にいい感じのモチベと効果量とのバランスを探っていくしか無いだろう。方向間違ってたら話にならんけど。

アウトプットするつもりで学ぶ

こういうトピックで東大を引き合いに出すと逆に頭悪そうで嫌なんだが、まぁ東大生のノートを調べた結果、かなり個性的では有るが共通して「アウトプットを目的としたノートのとり方」をしていた、と。
https://toyokeizai.net/articles/-/424389

もうちょっと砕いて言うと「再現性」、要するに「後で役立てることを考えている」ノートのとり方。ただの記録ではなく。

テストに出そうだとか、テストに出るとしたらどのような形となるかなど。
あるいは自分の苦手分野をカウントしているノート。
あるいは発見や気付きなどの「収穫」を記載しているノート。

「わかりました!」
「じゃあやってみて」
「できません!」
というアレなやり取りがこれでなくなるわけだ。逆に飲み込みが遅い人はこれが多い。

一部は「わかった」とするハードルが低い。これかなり致命的で、まずそれ以上は知ろうとしなくなる。他にやれることもない。実際にはできない。詰んでる。

「話の意味はわかった」と、「自分がそれを再現できるか」は違う。

飲み込みが遅い人の方がキレイで見やすいノートを取ろうとする傾向は割とあるように思えるが、その場合は拘っている所がもう違う。


ついでに言えば説明する側の話で「わかったつもりにさせる説明」と、「わからせる説明」がこれまた違う。

同じように聞く側も「わかったつもり」と「わかった」の2つがある。これの区別に注意を払わないのなら、飲み込みは悪くなる。
「わかった」つもりが、「わかったつもり」だった、ということにもなりかねない。ややこしいな。

で、わかりやすい「わかった」と言える基準は、「再現できるかどうか」だ。再現にも種類があるが。説明としての再現、実現としての再現と。

教わる時のよく聞く心構えである、「後で説明するつもりで聞け」「人に教えるつもりで覚えろ」という話とここで繋がる。

より実用的にするなら、「後で自分がそれを使うことを前提として聞け・覚えろ」とかになるかな。これらを意識しないと「話としてわかった」になる。

努力の「質」を気にする

個人的には「才能」とか「天才」は作り物の概念ではないかと思っている。そう呼ばれる彼・彼女たちは「適切」であり、むしろそうじゃない我々が思い込みや間違った信念でよく失敗するだけだ、と。

アンダース・エリクソンの「能力に対する3つの誤解」は、

  1. 遺伝で決まっている
  2. 時間かければいい
  3. 努力すればいい
    である。

大抵の人間がどれか、あるいは複数この「誤解」とされるイメージを持っている。
飲み込みが遅い人は「(つまり練習量)をかければいい」として最初から飲み込みを早くするつもりがないか、「努力すればいい」として質を意識しない努力をいつまでも続けるかが多い。

特に何も考えずに初手で努力を選ぶことのリスクに鈍感なところはある。
努力は最終的に実る、あるいは報われるイメージであり、わかりやすいフィードバックがすぐには得られないのが常だ。
これは「間違った努力にすぐに気づくのは難しい」ということだ。思い込みで間違った努力を初め、これが間違いであると気づく頃には時間切れ、は十分にありえる。


ピアノの練習の調査でも、限られた時間でより上達した者は「自分がミスした所」を徹底的に潰すような行動をとった。逆に大して上手くならなかった者たちは、なんとなく繰り返す、とりあえず通しでやってみる、みたいなことしかしていなかったという。

この調査では練習時間は当人が決めることができたが、注目するべきは練習時間の大小は上達の有無と関係なかった点だ。「時間をかければいい」「努力すればいい」は誤解であり、上達するかしないかは努力の「質」だった、となる。
つまり「何をやるか」。

また難しい問題をすぐに解ける者は、正解を見つけるのが早いのではなく、間違いに気づくのが早いとする発表も有る。

総じて飲み込みが早い人は「正しい努力の方法を見つけられる(=間違った努力にすぐ気づける)」と言える。質の高い、効果的な努力ができる。

そして飲み込みの遅い人は「時間をかければいい」「努力すればいい」との誤信念により、自ら努力の質を高める余地を潰している。なぜならこの誤信念は「叶うまでただひたすらに努力する」ことを当人にやらせるからだ。

飲み込みが遅い人が、飲み込みが早い人になるには

思うに課題を課題と認識せず、手癖と習慣で努力になってるんだかなってないんだかよくわからん努力をし、結果が出てから自分は飲み込みが遅い、あいつは飲み込みが早い、となってはいないかとの疑いは持てる。

非飲み込みが早い人は、飲み込みの速さが天然というか自前の能力だと思っている面がある。「才能」と言ったほうが早いか。好きな言葉じゃないが。

しかしこうして比べてみれば、彼・彼女たちの飲み込みの速さの半分は「元から効果的であろうとしている」こと、もう半分は非飲み込みが早い人の側の「非効果的なこだわり」だと言える。つまり取り組む姿勢の違いでほとんど説明できる。


特に後者。明らかに飲み込みの速さを発揮することとは別方向のことに拘っている所がある。不安や恥への恐怖からくる安全性・確実性の追求、・達成シナリオの認知的ゲームのロールプレイなど。

別にそれに拘ることはかまわないが、そもそも競うなよというレベルで方向が違う。道順から目的まで。

望んだものを得る余地はある。だからこそ本当に「早く飲み込もう」と望んで、実際にその様に動いたのかと疑問がある行動は多い。それよりも安心やロールプレイが重要ならば(否定はしない)、別にそのままでいいのだが。それは改めて選択するべきだろう。

理解したい欲の対処

「理解したい欲」が、飲み込みが早い人のほうが無い。それよりもできるようになる方が優先される。単にドライなだけなケースも有るが、大抵は最初に具体的な目的を得るための分析をするので、その欲が既に果たされている事が多い。概要レベルでは既に「見えている」。

理解したい欲が未消化のまま事に臨むことになると、分かっていないで進む不安を抱えたままカリキュラムだけ終えることになり、自信がない状態で本番に投げ出される。
「分かっていない・自信がないのになんとなくできる」状態で進んでしまう落ち着かなさ。

この場合「分かってからは早い」ため、割り切って初めに欲を満たしたほうが良い。まぁ後からここ分かってなかった、調べてなかった、とか出るかも知れんが、山積みになってるよかマシである。

理解したい欲は一種の不安感(安全欲求)で、過剰な用心深さにつながりやすい。「飲み込みが早い人は飲み込める人」との言もあり、確かにその通りでは有るが、分からず進む不安から歩みが遅くなることは否めない。

思考パターンは防衛的ペシミズムなので、用心深い振る舞いのほうが恐らく向いている。自分の特性は活かした方が上手く長く続くことは多い。気質的には飲み込みが早い人よりは「用心深いが、動き始めてからは正確で早い人」の方が目指しやすいかも知れない。

ただし「どこまでの用心が必要か」「何を知れば・できれば良いのか」を割り出さなくてはならない。でなければ不安感から過剰に勉強・練習することになる。最悪、いつまでも。

目的を持ち、情報を抽出する

「必要な理解」をするためにも、目的を持つ必要がある。それにより必要なものが違ってくるから。何のための理解か。

例えばバラエティ番組でも見ていたとして、ファッションに関心が有ればファッションに、トークに関心が有ればトークに、ゲストに関心が有ればゲストの発言に、自然と注目が向く。その分他は入ってこない。

目的が有れば関心が生まれ、それに関連したものの「抽出」が自ずとできる。それを捕まえればいい。丸暗記よりは少なくて済む。目的がないと全ての情報が「不要必要がわからないがとりあえず覚えておこう」となって、簡単に頭が破裂する。

必要なのは覚えることよりも、それを現実的な難易度にするために余計なものを削ぎ落とすフィルターである。


現実的な話をすれば、日常の全部にこんな態度取ってられっか、というのはある。ガラじゃなければなおさらに。

一番手っ取り早いのは、「出題範囲」や「課題の傾向」に予め目星をつけておくことだ。学業だけでなく、仕事でも予測は立てられる。今後、自分に何が求められるのか。自分に何が必要となるのか。

それがわからないのなら受け身に過ぎる。それが仕方ないことなのか、改善の余地が有るのかはこちらではわからないが。

それができた時点で、「抽出」は機能する。自分に関係があることだと認識し、情報を拾い上げることができる。

アウトプット=理解度チェック

「わかった」と思ったら、何かしら形にして残したほうが良いね。じゃないと消える。もったいない。

ポイントは、たとえ自分しか見ないのだとしても、自分と同レベルのそれを知らない「第三者」が理解可能な形にすること。じゃなけりゃ「わかったつもり」か「わかった」かがはっきりしない。第三者にはわからないだろうが自分にはわかるゾーンだと、一時間後にはもう怪しい。

もちろんその時に形にできないのなら、わかったと思ったのは気のせいか、まとめられないかのどちらかだ。前者は頭に入ってない。後者は情報同士のリンクが形成できていない(=忘れやすい)か、頭から出せない。
このあたりは特に意識しなくとも、第三者にわかるつもりでのアウトプットを前提にインプットしていれば自ずと頭が働く。「他人に伝えられるレベル」は一つの完成の雛形だから。

素質や能力的な意味での飲み込みの早さを鍛えたいなら、知ったその場でアウトプットを試みて、自分が分かったか分かってないかを確認した方が良い。一番気を張るべきはこの時だ。結局の所、その時点で理解の「深さ」が足りないのなら、後で勝手に理解度が上がっていることはないだろう。

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