メモ・ノート・書くことについて

 自分用。テクより理論寄り。

ノートを取るのは手書きが良い

ハーバード大では、ノートを取ることは手書きを推奨しているようだ。理由はラップトップでは学習効率が落ちるから。そう結果が出た調査がある。

For Note Taking, Low-Tech Is Often Best:https://www.gse.harvard.edu/news/uk/17/08/note-taking-low-tech-often-best

  • 講義に対してメモをとる
  • ラップトップと手書きの2グループ
  • 理解度チェックをした所、ラップトップは低かった。

ラップトップより、手書きの生徒の方が学習できていた。なおこの比較では、ラップトップと手書きの両グループの成績が同レベルであった。

講師の言葉を、

  • ラップトップだと、入力が早いので、理解せずともそのまま書ける。
  • 手書きだと、書くのが遅いので、理解して整理して書く(記事内ではエンコーディングと呼ばれている)必要がある。

この違いだと仮定されている。手法が直接の問題ではなく、「その時に当人が頭の中で何やってるか」の問題だと言える。

前者は、理解のためには何もしていない(必要がない)状態。後者は、元から情報を整理する動機と意図を持ち、そのために理解して要点を見出す必要がある。自然とその状態になるため、手書きの方がいいと。


 なお、これらは講義の直後の理解度チェックのようで、現実にはラップトップ使用者は後でエンコーディングするだろうし、その際にはより正確なデジタルでのメモがあるため、それほど問題にならないかもしれない、と思われていたのだが。

さらなる大規模な実験に依ると、

At the end of the semester, students in the classrooms where electronics were allowed had performed substantially worse, with scores 0.2 standard deviations below those of the sections where electronics were banned.

※DeepL翻訳
『学期末には、電子機器の使用が許可されていた教室の生徒の成績は、電子機器の使用が禁止されていた教室よりも0.2標準偏差低く、大幅に悪化していました。』

https://www.gse.harvard.edu/news/uk/17/08/note-taking-low-tech-often-best

個人的な仮説だが、「その情報と接触した時」にエンコーディングしないと効率悪いのかもしれない。記録してから理解するのではなく、理解しようとして聞くみたいな。


 余談だが、参照先にはもっと面白いことが書いてある。講義中の一部の生徒に、ラップトップでタスクをランダムに割り振り対応させた。講義を聞きながらだから、マルチタスクということになる。

これは対照群と比べ理解度が11%悪かった。脱線しているんだから当然ではある。

そしてマルチタスカーのモニターが目に入る周りの生徒達の理解度が、対照群と比べて17%落ちている。マルチタスカー当人よりひどい。

いわゆる「居るだけでうるさい」タイプの人間は、周囲の集中や学習に害があることになる。

早さの需要と遅いことのメリット

 例えばタイピングは、慣れれば喋るより早く書ける。日本語の場合は変換の手間がついてまわるが。こちらに慣れると、手書きは遅いにもほどがあるという気持ちにはなる。

現代人は忙しく、早さを求めているという話はよく耳にする。

Googleでもユーザーは数秒で見るサイトを決める、サイト管理者サイドの話だとサイト表示が遅いと表示がされる前に離脱される、なんて話は広く知れ渡っている。

とまぁ、とかくスピードを求められている世の中だ。


 一方で、いくつかは学習に於いて手書きが効果的だと結果を出している研究がある。上記ハーバード大の記事でも、全体的に手書き側が優勢だと書かれている。

その理由の一つが、先に挙げたように「遅い」ことにある。

私にとってそれほど不思議なことでもなく、以前にも「先延ばしをする人間は熟考方略(よく考えてことに当たること)を使わない傾向がある」という論文を挙げた。(先延ばしと自己志向型完璧主義

先延ばしをしてなにかするでもなく、結局ぎりぎりになって慌てるために「慌てグセ」が付き、ミスをしやすく、衝動的で、視野も狭くなるという話。

この様になると、「十分な時間があるのに熟考方略を使わない」という状態になると示唆されている。


 ハーバード大の発表は、手書きが学習に向いているという要素もある。それに加えて、デジタルの使用者がその早さに慣れてしまい、熟考方略を使わない傾向を育てるのではないか、とも考えることが出来る。

この2つがそのまま学習効率の差にでたのではないだろうか。どちらも書き終わればタスクとして「完了」だ。だからこそ、楽に終わるデジタルは何も成果がない。嫌でも工夫しなくてはならない手書きは、やっただけ成果となる。

この上で、刺激特異的順応(繰り返しの刺激には反応が鈍る現象)も影響があるだろう。一度メモったものを見直すのは、当然それを意識するのは「二回目」であり、脳は「これはもう知っている」と判断する。無意識的に、表面的な理解で済ませてしまうかもしれない。

手書きかデジタルか

 単純に「書く早さ・手軽さ」が効率に影響を及ぼす場合、PCでの入力とスマホとは分けて考えるべきな気がする。PCの文字入力とスマホのそれとでは、効率が違う。

 デジタルは利便性で圧倒的に上回る。むしろ取り柄が、(編集のしやすさなども含めた)利便性だけな気がする。

結局の所、デジタルは「作業」に向いていて、手書きは「知的活動」に向いているのだと思う。理解・学習・思考のためには、状況が許す限り、手書きのほうが良いのだろう。

todoを書くときには、デジタルで良いと思われる。これは「処理」だから。最終的なアーカイブ化なども。これは資料だから。ユビキタス・キャプチャーも情報自体に意味があり、理解は必要ないだろう。書くのが事実か、思いついたことだから。

GTDなどで見られる「気が散るようなことはメモって忘れろ」的な使い方にも向いている。これも処理。ブレインダンプ(頭の中のことをすべて書き出す)も同じ目的だから同上。

結構「処理」が多いな。

頭に浮かんだこと片っ端からメモってみた話

 要するにブレインダンプを丸一日やってみた。これをデジタルでやると、

  • 一日で1万文字くらい。
  • ダブりはない。
  • 質が低い。ゴミ以上、アイデア未満で始末に困る。

という個性あふれる微妙なゴミが大量に生産される。

これ多分、ヒナが形を為す前に、卵を割ってしまったような状態なんだろう。
おそらくだが、これを手書きでやってれば、まだ書くまでもないとして「卵を割るような真似」をせずに済んだ気がしてる。

思い浮かんだ知覚できたことは全て記録した自覚はある。これもまた手書きだったらめんどくさいからとカットしたであろうことだ。無駄かどうか考えるよりもやった方が早かったからだが、こうしてみると余計に処理で困る。

結果、自身で情報過多の状況を作り出す事態となった。他人はどうだか知らんが、私はもっと質を求めたほうがいいね。

ダブリが殆どないことは、「書き出せば思考の反芻は止まる」ことの証拠となる。

アイデアを「寝かせる」あるいは「熟成させる」などの表現をし、メモを取りときどき見返すようなスタイルがある。これは「外部」でアイデアを育てるスタイルだが、そもそも「内部」で育てることも可能ではないだろうか。

予め知っていることを書き出してから勉強すると理解が早い

これもハーバード大の研究、と聞いたのだが、こちらではソースを確認できていない。が、やってみると確かに早い。考えられる要因は、

  • 事前に関連情報を思い出そうとすることで、手持ちの知識が利用可能な活性状態になる
  • 知っていることと知らないことの区別がよりつきやすくなり、知らないことを覚えて既存の知識に継ぎ足すことに専念できる

このあたりだろうか。

一日の終りに15分、その日の学びをまとめると定着しやすい

 これもハーバード大とされているが、ソース未確認。

 これをやると23%効率が上がったとのこと。

 これが確かだとしたら、デジタルによる身に付かなさをカバーできることにもなるか。

 考えられる理由は、なんだろな。よくわからんな。情報不足にもほどがあるな。

ここで言う「書き出す」が、デジタルを元に手書きなのか、デジタル-デジタルなのか、手書きを元にデジタルなのか、手書き-手書きなのかの情報がないからわからん。

記憶を想起している時、その記憶は「柔らかくなっている」というのは読んだことがある。つまり改変や変更、強化が可能な状態。まぁアクセスしてるんだからハッキングも出来るだろみたいな。

この一日の終りの「まとめ」が手書きであることを条件として含めるのか、どうなのか。デジタル-デジタルだとおそらく表面的な「作業」になってしまい(コピペとデリートでほとんど済むだろう)、できの良い資料は作れるが頭の中には入ってないみたいなことになりそう。

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