ひたすらやる努力について

ひたすら努力する

・個人的には確信しているが、人間には「努力をしたい」という欲求がある。何もしていないことに焦燥感や罪悪感を感じることもある。これは怠け者でもそうだ。加減知らないから珍しくやる気になるとやらかしやすいけどなそういうのは。

・ひたすら努力すると言っても二種類ある。目標を決して諦めずあの手この手でそれに向かい続けることと、同じ手法を延々と繰り返すこととだ。前者はほっといても大丈夫だろう。問題は後者だ。

・努力には信仰に近い種類のものがある。ひたすらそれを続けていれば、いつかはきっとたどり着けるはずだ、と。まぁスポ根的な。これは容易に狂信になり得る。

ひたすら努力することの危険性

・努力という行為そのものは「速力」のようなもので、まぁ目標に向かって進んでいくわけだ。方角間違ってたらひでぇことになる。「ひたすら」努力するってことは、もう方角を気にしないってことだ。だったらやる前にちゃんと確認している必要がある。

・また何か一つをひたすらやるというのは、人の自然体と比べれば相当不自然な状態だ。逆説的にその努力は「ゴールしたら終わり」というタイプの努力だと当人が思っていると考えられる。


これは目的次第では裏目になる認識だ。例えばダイエットは目標値まで体重を落とした後に元に(あるいはそれ以上に)太る通称リバウンドという形での失敗が多い。単に気を抜いた、ゴールして油断したとも取れるが、そもそも努力その物が間違っていた可能性もある。

極端な話、体重落としたきゃ下剤でも飲んで3日くらい水だけ飲んでりゃ誰でも落ちる。命の保証はしないが。これを「痩せる努力」だとしようか。はい確かに体重落ちたねおめでとう。

だが終わったら流石にメシ食うだろう。死ぬし。で、また太ると。なぜかって食事に対しての節制を身につける努力はしてないし勉強もしてないならそりゃそうだ。運動習慣身につける努力をしてないなら同じだけ食ったら同じだけ太るだろう。「何も身に着けてはいない」から、終わったら戻る。はい残念。

要するに、「目標」自体が大雑把な状態でまだ細分化可能であり、「本当の目標」はその中の一つであることが非常に多い。この場合の目的が「痩せた体型の自分でいること」だったなら、一時的な達成は当人にとってすら全く無価値になり、そもそも永続することが不可能な努力など最初から候補に入ってはいけなかった。痩せる習慣を身に付けたり太る習慣を止めたりなどをするべきだろう。

あるいは本当の目標を叶えるための「手段」として目指そうとしている目標がある。モテたいからダイエットしようみたいなそんなん。この場合は内容にも依るが、まぁ付き合い出した途端に相手が太り始めたらアレですね。

・「ひたすらやる」というのは、放たれた矢、射出された弾丸のようなものだ。やることがわかりやすい分、割とやる気になりやすいもんで、その分やる前に慎重になる必要がある。

限定的にはひたすら努力してもいい

・この上で「とりあえず頑張ってみる」とかだともう潜水するようなものだ。周りを見ないで突き進むから迷子になり得る。明後日の方向にかなり進んでいることになりかねない。逆を言えば息継ぎして同時に景色を確認して修正していくのなら、そこまで最短で行ける。

・まずは(そして最後の)思考的な努力として、計画には慎重になったほうがいいだろう。

あるいはマイルストーン(節目)を設定して、その達成のタイミングで進捗や状況の見直しをするようにしてもいい。進捗何%とか、一週間ごとにとか。本当にそれだけ進んだのか、このペースで最後まで走り続けられるのか。

やる気を削がないためには、着手自体は軽率な方が良いかもしれない。となると節目で確認の方がひたすら努力したい人には向いている。まぁ両方やった方がいいんだが。

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