目標に対してペナルティを設定するべきか否か

・つまり罰。他者への罰もそうだが、自分へのペナルティも含める。

例えば子供同士の口約束でなら、負けるわけがないと思っているから「負けたら●●してやんよ」って言う、みたいなペナルティを設定したりするだろう。実際に負けたら逃げそう。

さて、では大人の世界ではどうか。割と予定として機能するね。つまりいくらかは、実行するつもりがあるペナルティになる。自分に対してのペナルティならなおさらだ。

 

短期的なペナルティの効果

まぁ目的に必死に注目させる効果はあるだろう。

前回で言うところの、頭の中の「すぐに報酬がほしいサル」に対して、人によっては割とガチ殺意を抱いている。彼/彼女が設定するペナルティは、このサルへの脅迫めいたものになりやすい。

「恐怖」というのは原始的な、だからこそ他に優先される強い感情でもある。言い方を変えれば、たしかに「サルに通じる脅し文句」ではあるわけだ。

 

・コンフォートゾーンという考えがある。まぁ「安全地帯」だと思ってくれていい。

そこからちょっと外へ踏み出したところがパフォーマンスゾーン。その名の通り実力を発揮できる地帯。重要なのは、“安全地帯の外”にこれがあるということだ。

ここから考えれば、ペナルティによる緊張でしっかりやろうとする試みは、コンフォートゾーンからパフォーマンスゾーンへ自分を追い立てることと同義だと言える。

さらに外へ踏み出すと、今度はパニックゾーンになる。その名の通り、パニックになる。テンパった状態。グダグダ。まぁなんというか、緊張させるにも限度があるね。

総じて、加減を間違えなければ短期的には効果があると思われる。

 

長期的なペナルティの効果

・罰を設定すると、挑戦の価値が多面となる。結果が報酬を得るか、罰を受けるかになるから。

で、「挑戦」の難易度は元からかなり高い。「手を付けたら半分は終わったようなものだ」なんて言われることもある。半分は言い過ぎだとも思うけどね。

 

・人に依ってはタスクに対しての考えが恐らく変わる。人は餌より罠のほうが目につく脳みそをしている。まぁ当然といえば当然だろう。

つまり、タスクに対してペナルティを警戒し、できるにしても必死にならなければならない、という認知ができてしまう可能性。

結果「割りに合わない」という考えが浮かび、手をつけることにためらいが生まれる。

極端な例としては失敗恐怖症/敗北恐怖症だ。

Q:失敗や敗北を避けるには?

A:挑戦しないで逃げればいい。

これが最適解だ。失敗や敗北のリスクがゼロになる。そのリスクだけは。

これだと手を付けようとするよりも逃げることを先に考えるようになるかもしれない。元々「しっかりやるため」にペナルティを設定しておいて、このような認知が定着するようでは逆効果だ。

 

・反対に長期的にもペナルティの効果が機能するためには、“適度な緊張感”でとどまらなければならない。毎回毎回「失敗したら腹切って死ぬ」とか本気で思って事にあたってたらまぁ、ノイローゼになってもおかしくはない。

真面目な話、命を賭けるとしたら確実な方に賭けるだろう。仮に毎回脳内で命かけてて、この上で失敗もしていないのだとしたら、多分、“自分にできる無難なことしかやろうとしない”頭と身体になっている。

過剰なペナルティを毎度毎度設定するのは、自分からこうなるように仕向けている、という形になる。

総じて、長期的には逆効果になる可能性を含んでいると思われる。ペナルティがきついほど「失敗の可能性」に目が行きやすくなるからだ。

手を付けてしまったらやり遂げるだろう。だがそもそも近寄らなくなってしまっては意味がない。

 

ペナルティの価値

・一見するとやっぱない方がいいよなってなるのだが。

人は結構このような緊迫感、緊張感による力をアテにして頑張っている。

ペナルティは本来、ともすれば脱線したり、気が散ったりする自分をしっかりさせるためのものだろう。
真剣にやりたいなら気を緩める訳にはいかない。慎重にやりたい時もそうだ。

反対にこれがなかった場合、前回のとおりに“いつまでも先伸ばす”だとかそういうのもあり得る話になってくる。

多分、「ペナルティとはさようなら」ってわけにはいかない。うまく設定する方法を考えたほうが良さそうだ。

希望とやる気だけを胸に事に当たる、というのは無理かもしれない。実際、なんというか「成り上がった」者たちは、結構血の気多い印象があるしな。いくらか自分からピリピリしてく必要はあるのかもしれない。

 

・ただまぁ、恥の概念で十分だろって気持ちもある。それを利用したのが「目標を周囲の人に話してやるしかない状況に自分を追い詰める」とかそういうライフハックだろう。自分で言い出しておいてやれなかったら恥ずかしいからやるだろ、ってこと。

ただこれ、話したらなんかもう「果たした」気持ちになっちゃってむしろスペック落ちるタイプもいるので、個人差が大きい。ここから「ペナルティを意識しているかどうか」も個人差に影響を与えることがわかる。

 

・また、一度失敗した場合、なんかもう全部どうでも良くなっちゃうタイプもいる。割といる。

このタイプはペナルティは不要だろう。これは一種の完璧主義であり、失敗自体が相当なペナルティの意味を持つ。この上でさらに、というのはオーバーキルだと思われる。

他人の目から見てのペナルティではなくて、自分がどう感じるかは大切にしたほうがいい。ペナルティの内容に、他人の目から見てのわかりやすさを意識している、いわばパフォーマンス性があるケースが見受けられる。

 

・願掛けというか、「これを達成するまでこれをやらない」系なら緊張のかかり方も比較的緩やかなのではないか、と考える。緊張させる方法はペナルティだけだと思わないほうが良いだろう。

 

メモ

・多分あれだ、緊張状態そのものに慣れる必要がある。緊張が悪影響を及ぼすのは、身体もこわばったりするが、心理的な面も見逃せない。

ストレスが体に悪いと思ってるやつだけがストレスの悪影響が発生するなんて、TEDトークもある。
同じように緊張状態を“受け入れて、乗りこなす”ことができるなら、身体的な影響はクリアできるかもしれない。

 

・世間では平常心はいいものだ、とされている。このため相対的に緊張はよろしくないものだ、とされやすい。まぁ平常心の価値に異論はない。

ただ、意識とは恐らく複数のモジュールが同時に起動しているという代物だ。問題は緊張により正常心が失われることであるが、これは本当に相克関係にあるのだろうか。両立できる気がする。目指すべきは「緊張しつつ冷静でいる」という状態ではないだろうか。

つまり、対象に注目し、他のことは意識の外に追いやられ、対象について思考が巡っている状態で、冷静な判断ができ、やるべきことはわかっていて。

……あれ、これって「フロー状態」っていわねーかな。フロー状態って交感神経と副交感神経同時に活発になってるって話あったな。

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