・divided attention 言葉通り注意力を複数の対象に分割する。
マルチタスクは効率落ちるって話もあるが、意識レベルで全くできないのは問題がある。
例えばスマホを見ながら車を運転したらかなり重い罰になるわけだが、そのつもりはなくとも通知があった時点で多少は気が取られるだろう。カーナビとして使っている人も多いし、通知に気付く程度には近くに元からあることは珍しくはない。
もしも注意力の100%がそちらに向いたら、つまり自分が今は運転中だと忘れた場合は、死ぬか死なすかになる。
というか、スマホじゃなくてもクラクション鳴らされただけで後ろが気になって事故起こすとかそういうレベルになる。
何かに注意を向けるということは、裏を返せばそれ以外の情報を減衰させる。
・つまり分割的注意は「邪魔」に対して最小限のリソースを割り当て、今やるべきことへの集中力の被害を最小限に抑えるためにも必要になる。注意を奪われた後の「再分配」にも。まぁ実際にはそこまで意識的にコントロールはできないだろうが。
チェリーの実験に於いても、機械音などは、意識を向けていない耳でも把握されていた。意識を向けていない物事も情報としては拾っており、変化が大きければ気づいている。ある程度の意識リソースは分配されているものと思われる。
・ここから見れば、なにかに気を取られるというのはそちらに(不随意的に)意識リソースを割り当ててしまっていると取れる。それは他人の起こす騒音かもしれないし、心の中からの何かかもしれない。
分割的注意に於いては注意力は限りあるものであるとされる(注意容量モデル)。分割の対象が多いほどぼやけてくるし、少なければはっきりする。
メインとして意識が向いていない対象は、認識が比較的、甘くなるだろう。それが本来やるべきことなら集中できていない、気が散っている状態となる。
・特に何かしら不随意的に注意をひくようなもの、例えば他人が出す騒音、突発的なものなどで気を引かれるのはある意味仕方がない。それに気付けるのは脳が正常に働いているとも言える。
問題はその後で、意識的にタスクに向き直る必要があるだろう。どうも社会不安障害などはこの辺りの注意機能が低下するらしい。