集中力

選択的注意とメタ認知

投稿日:2019年7月20日 更新日:

・いくら集中力があろうが、それが集中したい対象でなければ意味がない。

 

だがこの辺りのコントロールは誰もが満足にできているわけでもない。

 

油断すればすでに何か想定外のものに没頭しているということは、自覚している以上によくあることだ。

 

 

:アミシ・ジャー: さまよう心を鎮めるには

 

 

 

「人間の脳は10%しか使われていない」

 

・これはかなり昔から言われてたようだが、当時そのくらいしか脳がどう動いてるのかわかってなかったことから来たミームに過ぎない。

 

何に使われてるかわからない → じゃあ使ってないという暴走。

 

現在では「そんなことはない」の一言で済む話。

 

 

・逆を言えば余計なことに働きまくってる可能性が十分にあるということだ。今回言われている「情報過多」がそれに入る。

 

 

・むしろ意識して何かしているときのほうが情報の選択が行われて燃費がいいことすらある。

何もしてないときのほうが脳のアイドリング状態(DMN:デフォルト・モード・ネットワーク)になってエネルギーを食うことも。

 

 

DMN優位の状態が、後で話題になってくる「ぼんやりしている状態」なわけだが、必ずしも悪いわけでもないし、ましてや不要でもない。

ただ集中するべき時に集中できない、向けるべき対象に意識が向かないときなどは非常に困る。

 

 

注意システム

 

・いわゆる「」。
重要なものに注意を向けること。相対的に重要でないものはあまり目に入らなくなる。

 

 

・選択的注意に意識的が必要か、と言えば実はそんなこともなかったりする。

 

なんか変としか言えないようなものとか、明らかな異物とか、そういった「違和感」などを感じさせるようなものは勝手に注目「してしまう」。

 

「気になってしょうがない」とか、「目に飛び込んでくる」だとかそういうこと。わざと人目を引くために、広告の類がやったりする。挑発的だったり、変なのだったり。

デザイン系の分野の人なら、この辺り詳しいかもね。

 

 

・この注意システムがリーダー的存在だ、とここではされている。
注意が向けられるところに、脳の他の部分も追従すると。

 

しかし前述の通り「勝手に何に注目するか決める」傾向もある。
この注意システムを「意識」と混同しないように注意する必要があるだろう。

 

プライオリティはやたら高いが、意識ではない。逆を言えば意識のプライオリティは注意システムに負けている。

 

「集中しなくちゃならないのに●●が気になる」だとかは、まさにその状態だろう。

 

本来は、警戒対象をメインに注目させるシステムだったのではないか。

 

 

顔認識

 

・脳のこの部分がどれだけ活動するかを基準として、注目できているか、それとも気が散っているかを探ることになる。

 

 

・脳波「成分」ってよくわからんが、まぁとにかくN170って名前。
顔の初期認識の指標となるとはされている。

 

 

・ただしN170が反応するのは「顔」だけではなくて、「意味のある文字」と「無意味な記号列」では前者のほうがより活発になったという論文もあった。

 

 

実験に使った画像について

 

・画像では顔と風景が合成されている。実験では「どちらに注目するか」を指示し、基本的に被験者はそうするよう努力している。

 

これ自体が「見ようと思ったものが見える」ことの示唆だろう。
これは希望に満ちた話でもない。恐れがあるなら「怖いもの」しか目に入らない、そういうことを含めている。

 

 

・人は元から、当人特有の価値観がある。個性がないと悩む人間だってここは変わらない。

その者が「目に入る物」は、その人間にとっての「見ようとしているもの」だ。

 

 

・例えば潔癖症なら「汚れ」が目に入るだろう。これは潔癖症が「キレイ」を求めているのではなく、「汚れていないもの」を求めていることになる。実際清潔さを求めていると言うよりは、ウイルスや細菌など見えないものに対しての恐怖が強いらしいね。

 

一見言葉遊びだが、認知レベルでこの様な違いがあるのだとしたら。実際にキレイなものは目に入らず、汚ればかりが目に入るなら。

 

「視点」についてはいくつか記事を書いてきたわけだが、この様な「無意識的選択的注意」とでも言うような、まぁ厄介なモジュールがあるね。

 

これは特に恐怖や驚異となり得る、ネガティブなものに反応しやすい。野生で考えれば、それらには一定の注意を払う必要があったからだろう。

 

 

・また、現実もこの「画像」のように、様々な要素が重なり合っており、見ようと思ったものが見えている(当人は「見たくない」つもりでいてもだ)。

 

「見方」によって印象も違うのは、同じものに対して様々な意見があることから想像できるだろう。

彼らは個性的で熟考しているのか? 必ずしもそうとは限らない。ただ、「そう見える」だけのこともある。

 

「視点」はコントロールできる余地があり、その必要もある。

 

仕事量にしたってそうだろう。「あとこれだけ残ってる」と考えるより、「もうこれだけやった」と考えたほうが、精神衛生上よろしい。

作業量はどっちみち変わらんのだから、いちいち自分を絶望させなくていいわけだ。

 

 

「注意は増幅装置のようなもの」

 

・異論はないね。だからこそ「見たはずなのに思い出せない」とかあるわけだし。

 

 

・集中していたはずなのに、気が散る何かを「後から」認識したり思い出したりして、以降集中できなくなるだとかもそうだろう。

 

フィルタリングのような完全なカットや、スイッチの様な完全な切り替えならば、これらはそもそも発生しないはずだ。

 

 

・見たもの全て、認知自体はしている。その後の情報は「注意」により増幅される、というところだろうか。

 

そしてその時間はN170で言えば170ms。意識より早い。

 

 

精神的な負荷が注意力を失わせる

 

・広い意味でストレス。これは外的な、例えば嫌なヤツがすぐそこにいることから、心配事のような内面からのものも含める。

 

わかりやすくショッキングな画像を見せれば、脳は確かに気が散っていた。

 

 

・「人の気を散らせるには退屈させればいい」というのは的を得ている。
「注意」の対象が特にないのなら、脳は暇を持て余し、DMNが活発になり、余計なことを考え始める。

どうも脳はあまり休むつもりはないね。暇さえあればこれをやるから。

 

 

・紹介されている実験では、顔が上下逆さまで「見れば分かる」ものだった。
ポイントは「極稀にしかそれは起きない」ことだ。

 

結果、人はそれを見逃し、逆さまの時はボタンを押さないように支持されていたにもかかわらず、反射的にボタンを押す。

 

これはヒューマンエラーのベタな例でもあるだろう。「いつもと変わらないと思って」「いつもどおりの行動をとった」。結果大惨事、とかね。

 

 

・N170は外的ストレスや邪魔が入ったときと同様に選択的注意が働いていないことを示した。

 

 

・総じて「注意力」は「強い」が、邪魔が入るとかなり弱い。

 

まぁそうじゃない場合って、野生で言えば捕食者がうろついてる時に自分のメシ優先するようなものだからな。そんな生物いてもとっくに絶滅してるだろうし。妥当な仕様だろう。

 

恐らくストレスに対しては、

 

注意をフラットな状態にする(気が散っていると自覚できる状態) →

驚異を見つける

 

というシステムではないだろうか。実際、ストレス溜めこんで明るくポジティブになる奴なんていない。大体ネガティブなものが目に付き始める。

 

それに反発するかのように「意識的に」ポジティブなものを求める人だとか、どっぷりネガティブに浸る人だとか、色々いるけどね。

 

 

・内的なものに対して気が散るのは、そちらに注意が行ってしまい、結果的にタスクに対しての注意力が失われている状態だと考えられる。
動画内のグラフだけ見れば「どこにも注意が向いていない」ように見えてしまうかもしれないが、そうではないだろう。

 

要するに「作業に気が向いていない」だけで、注意力自体は「内部の何か」に向いている状態。

 

動画の方で後で出てくるが、マインドワンダリング、モンキーマインド、メンタルタイムトラベルなどが該当する。というかマインドワンダリングって言ってるな。精神の放浪。

 

これらはただ思いつく、思い出すだけではなく、再現し、没頭する「再体験」に近い。特にメンタルタイムトラベルではそう言われている。

 

メンタルタイムトラベルもちょっと動画にでているな。上記の理由で「再体験」までしてしまうからタイムトラベル(時間旅行)ね。

過去でも未来でも、この状態だと意識は「今、ここ」にはいなくなる。その世界に行ってしまう。

 

また、ダニエル・デネットの「意識の評判モデル」で言えば「注意のひったくり」。

このモデルでは考えや思いと言ったものそれぞれが、忘却を恐れて「自己主張」することになる。注意システムはそれに気を取られるわけだ。

 

 

半分は注意が向いていない

 

・正直もっと少ないと思ってるけどね。慣れてることなら、なおさらに。
注意がそれほど必要でないのなら、その分精神は彷徨うことになる。
簡単に言えば、手が空いたら余計なことするやつが暇になるという話だ。

 

例えば以前やった「嫌なことを思い出すタイミング」だが、ほとんどが慣れきった、単調で、繰り返すものだった。料理、シャワー、真っ直ぐな道での車の運転など。

 

ともかく日常においては、起きている時間の半分は気が散っているとのこと。

 

 

・前述のメンタルタイムトラベルなどを「頻繁に行う」のが通常の人間のだ、と。しかも意識せずに、気が付きもせず。

 

こうなってしまうことは、自覚できる人はすでに自覚しているはずだ。

だから私は、気が散りやすいという人は「そうでもないのではないのか」と疑うし、「集中できる」という人は馬鹿である可能性を疑う。まぁ、結構多い。

 

 

・ページの最後まで読んで、内容思い出せない、ということは、まぁあるね。
私の場合は気づくと数行全く頭に入っていないことがある。読み直せば、見覚えはあるが、意味としては新鮮に感じる。読みはしたが認知してなかった、ということだろう。

つまり、ただ目に入るだけではなく、何らかの理解というか、「情報の咀嚼」には、注意力は必要なのだと思われる。

 

 

・また、この注意力がとっちらかってるのに上っ面だけそれっぽくできてしまう機能を、コリン・ウィルソンは「ロボット」と呼んだ。

これは物事を自動的に行い、でしゃばり、今ここで起きている物事から意識を遠ざける。

遠ざけると言うか、仕事を奪って暇にさせる。暇になった意識は「放浪」を始めるわけだ。

 

 

気が散ることの反対がマインドフル

・まぁ動画見る前からマインドフルネス関係だろうなって思ってたし。タイトルで推測余裕でしたし。

 

「マインドフルネス」は禅や瞑想などから研究された手法を指すこともあるが今回のように、覚醒した、今ここに意識のある、「気付き」の精神状態を指す場合もある。

 

 

・こうでない時とは、前述の「ロボット」が何ぞ適当に処理しているということでもある。ミスして気づけばいいほうで、大騒ぎになってようやく自分がやらかしたことに気づく、なんてこともあるだろう。

まぁ、普段はこれでもそこそこ無難に済ませてしまえる辺りすごいんだが。

 

 

・実践が重要であり、継続の重要性もまた示唆されている。

マインドフルネスは、たとえ短時間でも習慣的にやることを推奨されている。逆に数時間まとめてやって数日やらない、というのはあまり意味がないとも。

 

恐らく神経可塑性とも関連あると思う。8週間とか言われるとそう思ってしまうね。神経可塑性が大体4~8週間だと論文ではされることが多いし。

早いと2週間くらい。場所というか機能にも依るのかもしれない。

 

要するに「そういった状態の脳に鍛え上げる/作り変わる」こと。筋肉に例えるのは正解だろう。

 

どちらかと言えば「体質づくり」に近い。
そもそも認知は意識の前に起こる情報処理だから、「思考法」では手遅れだ。

回復もそうなんだが、理不尽かつ突発的な物事に対しての精神的防御力(レジリエンス)にもつながるだろう。

 

 

・まずパフォーマンス低下の防止、次いでパフォーマンスの向上が見込める、とこの動画ではされている。

これは「ストレス期」、要するにテスト期間だとか繁忙期だとかの最中のデータだとされている。

つまり、「ストレスに依るパフォーマンスの低下よりも、マインドフルネスに依るトレーニングのほうが効果が大きい」ことになる。

 

 

・……あんまり手放しで褒めたか無いんだけどね。やり方間違えるとデメリット多いし、やってて性格おかしい奴も見かけるって話もある。妙に腰が低いとか、逆に傲慢になったとか。

 

忠告するとしたら、「何かに集中する、または何かをイメージするタイプの瞑想はやめておけ」ってところになるか。初心者にはリスクが高い。ただ自分の心を観察するだけにしておいたほうがいい。

 

それに対して「一切の介入・連想・反応をしないで見続ける」ことができるようになれば、あまり振り回されなくなるはずだ。必死に目をそらすこととも違う。許容/需要の上での無反応に近い。

今回の話の範囲では、それで十分だろう。

 

 

救急車やらなんやらの話について

 

・本来怒りや恐怖などは、生命を守るための本能だった。ただ、基本的にこれは「外敵」をイメージしているもので、それ以外のトラブルには弱いようにも思える。

 

外敵以外の話なら、現代ではそれ以上の最適解が存在している。今回のように「さっさと救急車を呼ぶ」などもそうだ。

 

当たり前の話だが、本能は救急車なんて知らんしな。織り込まれていない。
ただただ異常を察知し、「戦うか逃げるか反応」になり、血圧を上げ、呼吸を荒くする。

 

 

・これは相対的に「冷静な判断」ができなくなる。行動は「戦うか逃げるか」で決まっている。それを「やるかやらないか」の状態。
自分の心臓からは逃げられんからな。「戦うか逃げるか」は両方とも的外れだね。

 

ともかく、本能があんまり当てにならないというか、現代の技術や知識は本能より賢いことは多い。

また当然ながら、社会的な振る舞いとして本能的、感情的言動はほぼ歓迎されない。冗談抜きで変態か、犯罪者になる可能性もある。

 

これだと動物のように本能/感情の優先度が高すぎるのは問題になってくる。ここが私達人間の大きな問題だろう。

 

 

・今回の場合は、マインドフルネスのおかげで恐怖や不安、そこから考える未来=絶望などに「とらわれず(つまり発生自体は普通にするだろう)」、救急車を呼ぶことができた、という話。

 

マインドフルネスのおかげっていうか、それによって培ったメタ認知能力のおかげだと思うが。

 

・私達の最も根幹的で重要な「選択」は、内側から湧くものも含めたあらゆるものに対しての「反応するか、しないか」だろう。そして普段は気づきもせずに反応し、派生する思考・イメージに飲み込まれている。

 

「あなたの注意に注意を向けてください」というのは、メタ認知のことだろう。

認知の認知。認知したものに自動的に反応する前に、ただそう認知したと知ること。

この辺りは大抵の場合、混同されている。見たもの思ったことは「現実」であると。

これが認知フュージョンとか言われる、大抵の人間の状態。

 

 

・知っている中で良い例えは、認知フュージョンは認知という「雲」に頭を突っ込んでる状態で示される。当然ながら視界はその「雲」しか見えない。何を見たつもりでも。

これが認知したものに没頭し、囚われ、融合(フュージョン)している状態。

 

雲から頭を抜き出して、「空」から雲を眺めるのがメタ認知の状態。

 

 

メモ

 

・そう言えば以前、同じくTEDで、「緊張しないようにするためには、普段から緊張するような場所で練習しとけ」的な話があった。

 

これは今回の話で改めて見てみれば、「緊張状態でも選択的注意を発揮する訓練」としては理にかなっているかもしれない。

 

 

・ストレスに対しての過敏性は、「ストレスに注目してしまうから」とも言い換えることが出来るだろう。

「注目の対象」をコントロールすることと、そもそもストレスに注目してしまうような精神状態から脱却する必要はある。

 

 







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