緊急中毒と先延ばし

緊急中毒と先延ばし

・「先延ばし」は最終的には時間不足になり、焦燥に依るミスが増える。前回の通り、ミスや不注意の頻度が上がり、視野が狭くなり、衝動性が増す。

・一方、緊急中毒なる概念がある。こちらは正式な心理学的用語ではなく、一般で言われているものだが(自己啓発系の話が発祥らしい)。
まぁ「中毒」って言葉の使い方からもそれがわかるね。実態に合わせるなら「依存症」としたほうがいいだろう。

内容としては、端的に言えば「わざと忙しい状態を探す/作る」。
緊急状態に対する心理的状況、即ち

  • やるべきことに取り組む
  • それらをやりきったときの心理的開放感/達成感

これらに対する中毒/依存症の状態とされる。意図的にこの状態を発生/維持しようとする傾向。

依存状態だからあまり正気ではない。緊急の雑用を好んで探したり、時には自作自演で作り出す。この方法の一つとして先延ばしが選択されることがある。

緊急中毒はどこか問題があるのか

・緊急状態の、目の前のことに取り組み、その達成感を味わう、というのは一見問題なさそうに見える。

・まずはじめに緊急状態への追求性。
意識的な集中と完了による達成感は条件反射として学習しやすい。つまり中毒になりやすい。端的に言えばやったことに対してご褒美(ドーパミン)がでるから脳が餌付けされる。

コレ自体は学習システムであり別にいいんだが、条件が「期日が迫ってるタスク」限定なのが問題になるだろう。
この上「快感」に対して、人は抵抗力があまり働かない。つまり緊急状態を求める心理が働く。イコール、「再現」を試みる。

自分で放火して自分で消化して満足するのをマッチポンプって言うんだが(和製外来語)、自作自演で緊急状態になってそれを切り抜けようとするならまぁそれに近い。

・次、緊急状態の心理とされるやるべきことに取り込む状態そのものについて。

前回の自己志向型完璧主義の先延ばしに於いては、この状態は焦燥が勝り、アクションスリップ、つまりイージーミスやど忘れ、確認不足などが増える傾向があるとされている。

更に「視野が狭くなる」、「衝動性」が挙げられている。衝動性に至っては「目の前のことに取り組む」ことそのものがそうだと言えるだろう。

正直な所、本当に「達成」できているのかどうかは怪しい。つまりクオリティの問題。

さらに言えば、このような状態が慢性化するため、「熟考することをしなくなる」傾向があるとされる。要はせっかちで軽率なのが地の性格になる。

・次、とんでもない事に人に感染すること。

ある研修プログラムで某国際企業の上級管理職の方々に『緊急度指数チェック』をしてもらったときのこと。休憩時間にひとりの上級管理職が私に話しかけてきた。

「信じられないことに私は完全な緊急中毒者です。誰かが『緊急だ』と言わない限り事態が進展しないのです」

このように話していると、彼の後輩がうなずきながら近づいてきた。その後輩について彼はこう紹介した。

「入社したときの彼は、こんな感じではなかったのです。だけど今は彼も緊急中毒者になってしまったのです」

そして最後に彼は悟ったかのように言った。

「分かりますか。私は自分が緊急中毒であるばかりでなく、部下たちみんなを緊急中毒にしてしまったのです」

http://www.franklinplanner.co.jp/learning/selfstudy/ss-16.html

・おーけー、こっちくんな。

・もう一つ重要なのが「誰かが緊急だと言わない限り自体が進展しない」と言っている点。

ハイラム・スミスのエピソードを紹介しましょう。

彼は、シティバンクの社員に対し研修していたとき、彼らが「本を読む」ことを「重要事項」だと知りながら実行しないことを知り、理由を尋ねたそうです。

長い沈黙のあと、ひとりが答えました。「本は私たちに『読みなさい』といってこないからです」

http://www.franklinplanner.co.jp/learning/selfstudy/ss-17.html

・回答者を情けないと思うだろうか? 私は賢いと思うね。その場の誰も言語化できなかったことを、できたのだから。

・要するに、緊急状態は「対応」であり、積極的/能動的な「行動」とは言い難い。リアクションであり、アクションではない。

「指示待ち人間」が問題視されて久しいが、別に日本の特定の世代に限ったわけでもない。もっと根本的な「原因」があるだろう。

逆を言えば、緊急中毒は能動的に動くこととは別のエネルギーを使っている。緊急中毒の人間に自主性があるとは限らない、となるだろう。

「忙しいと偉い 暇なのは恥」

・バカジャネーノ。

・上記の理由とは全く別の、もう一つの人の「忙しくなりたい」動機。

・「忙しい」という概念の社会的扱いについて。

・個人的に「忙しいが口癖の人」は4パターンあると考えている。

1:断る能力がないため実際に忙しい。一見すると「良い人」だが、大抵の場合近くの人間を巻き込んで沈む。
「嫌な奴」を呼び寄せやすい。身近な人間にほど嫌われるだろう。或いは「八方美人」と謗られるか。
自己犠牲的なナルシシズム。或いは社会規定型の完璧主義者。

2:誇大的なナルシシズム。「忙しい人間には価値がある」という価値観による自惚れとその喧伝=自己顕示欲。

3:やりたいこと/やるべきことで実際に忙しい。大体は問題はない。他人にしわ寄せが行かない限りは。
一部は優先順位付けが下手とか、そもそも優先順位考えてないなど、要領が悪いだけの可能性もある。

4:断る方便。それは時間の価値を知っているからこそかも知れないし、ただの責任逃れかも知れない。

今回は2について。正直2と4のハイブリッドがかなり多いと思うが。

・「忙しい」という言葉・演技は質の悪いナルシシズムとしても使われている。

忙しそうなら有能なのだろうという社会レベルのいい加減な「人を見る目(笑)」を意識したパフォーマンス。
人間の「人を見る目」なんてこんなものだ。言動から雑に人格を連想するバイアスやスキーマがある。
拠って「自分をよく見せたい」から忙しいふりをするのなら、ナルシシズム=自己愛と言えるだろう。

多少は構わんがね。いきなり目の前でバタバタおっ始められたらうざい。あと普通に邪魔。

・で、忙しくなるのは簡単だ。優先順位なんてつけないで全部抱え込めばいい。この上で単純に急げばいい。馬鹿でも役立たずでも忙しくはなれる。

忙しいだけでは、ぶっちゃけ毛ほども自慢にならん。露骨に人前でだけバタバタする奴もいる。有ろう事かそのために仕事をためてスタンバってる奴も。

・2と4のハイブリッドとは、つまりは上記のような状態でバタバタしていれば当然いい加減な仕事になるだろう。その時の言い訳で「自分は忙しいんだ! だから仕方ないんだ!」とか言っちゃう奴ら。多い。

最悪なのが仕事を横取りした上で塩漬けし、ぎりぎりになって手付かずの状態で周りに押し付け始める連中で、いない方がスムーズなのは当然だろう。

ここから見るに、忙しいと偉いというよりも「抱えてる仕事の量」=「自分の価値」みたいな認知になってるように見えるが。
一種のマウンティング、自己顕示、価値観がおさるカースト。普通に仕事しろ。

・残業や睡眠不足に対しての、それを自慢するナルシシズムとも通じる話だ。
これらは「仕事ができない/自己管理ができない」ということに他ならない。
まぁ管理職が仕事しないせいで平社員が割りを食って残業とかもあるけどね。それにしたって無能な上司、無能な会社を自慢しているってことになるからやっぱりおかしい。

「恥」を掻いたら腹を切るか相手を口封じするような思考回路持ってる我々日本人が、このような「恥さらし」を自らするわけがない。普通は隠す。それをわざわざやるってことは「これは自慢できること」と認識しているからだろう。

・安直で愚かな行動力信仰と言おうか、無駄にバタバタ動き回ってりゃ有能だと思う/思ってもらえると信じているかのような。
これはかなり浸透しており、「忙しそうにしてなきゃいけない」というプレッシャーは実際にある。仕事終わったのに定時で帰りづらい空気とか、有能な人間がわざわざ「残業になるペース」で仕事をしなくてはならなかったり。

拠って、個人のパーソナリティの問題だけとは言い難い。同じく能力の問題というよりは、価値観の問題であるとも言える。

メモ

・といっても、時間がありすぎると逆に時間に合わせた「引き伸ばし」現象もある。前述の、有能な人間に残業するよう時間を引き伸ばさせる無言の圧力などもそうだ。

残業ゼロにした会社が、まず定時帰宅必須、残業してはいけない、として時間を詰めたという話もある。それで成功した。

つまり時間は少なくてもいけないし、多くてもいけない。妥当な時間はそもそもわからん、と。大変だな。

・また、期限がないならないでいつまでも手を付けないことはありえる。

ビジネス本なんかでよく見るだろう「時間管理のマトリクス」、緊急度と重要度の二次元の分類。
これで言えば、「緊急で重要」「緊急で重要でない」の2つ、つまり緊急性を優先し、重要度では動かない(或いはそんな時間はなくなる)。

拠って、自分からあえて期限を設ける「締切の力を借りる」ようなこと自体は有用だと思う。ある意味必要とすら言えるかも知れない。
これは「重要で緊急ではない」ことを、「重要で緊急」にしてしまうテクニックだろう。

・ちなみに上記分類の「緊急だが重要でない」タスクは「さっさと片付けろ」という扱いのもの。雑事であり、「そもそも増やすな」とも言われることがある。
緊急中毒はこれを抱え込む傾向がある。或いはすべてが「緊急で重要」と認識する。

本来この部分はあまりクオリティは問われない。手際よく片付けるか、人に任せられるなら任せてしまうべきものとされる。

逆を言えばこればっかやってるなら「自分はギリギリでもなんとかなる」という自己認識を維持できてしまう。「自作自演」と呼ぶ所以。
後、実質雑用しかやってないことになってるんだけどそれでいいのか。

ここで言う「重要だが緊急でない」タスクが、一番未来への投資となり、人生を変えると言われているのだが(ここには、なりたい自分へ歩を進める、環境、備え、計画などの要素が集まりやすい)。ここに時間を割けば、「重要で緊急」が増えることは避けられる。

・多分だが、緊急状態にはどうしてもなるだろう。自分だけの問題ではないことも多い。また、上記「締切の力を借りる」ような、自分からその環境に赴くこともある。

中毒にならないよう、また、焦燥状態でのイージーミスなどを抑え、その活力のみを利用できるよう乗りこなすことは可能だろうか?

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